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25話 膝枕をして

「はぁ……」

「はーちゃん、どぉしたのぉ? ウーリのやり方違ったぁ?」


 俺の隣で幼い手を香油でテカテカにしたウーリが、手を止めて心配そうに尋ねてくる。

 しまった……と思う。せっかくウーリに羽繕はづくろいをしてもらっているのに、他のことを考え、あまつさえため息をつくなど失礼極まりない。

 俺は香油を塗ってもらったツヤツヤの翼を一瞥し、それからウーリを見る。


「いや、ウーリの羽繕いはケチのつけようがない。いつもムラなくツヤツヤで、気持ちがいいんだ。本当に感謝している。そうじゃなくて、ちょっと他のことを考えててな……。うわの空にして悪かった。ウーリの羽繕いを堪能したいから、残りも頼む」

「はーちゃん、何に困ってるのぉ?」


 流すつもりだったが、ウーリは手を止めたまま俺の溜息に言及してきた。ウーリが相手ならべつに隠すようなことでもないので、素直に打ち明けることにする。


心象魔術ユニークに進展がなくてな……。始めてからだいぶ経つが、いまだに心の在り方というものが見つからない。それに、心象魔術ユニークだけじゃない、空精魔術エアリエッティの[爆肢はぜあし]も糸口がつかめないままだ……。目的地は見えているのに、そこまでの道筋がまるで見えてこないのがもどかしくてな」


 夜が来ないので正確な日数は不明だが、体感的には一週間をゆうに超えているにもかかわらず、魔術の修行が停滞してしまっている。ラウレとも相談したが効果はなく、それまでトントン拍子で来ていたこともあり、早く強くなりたい俺はこの手詰まり感にこたえていた。

 

 俺の愚痴に、ウーリはくるくるふわふわの白い髪を揺らしながら首を傾げる。


「もどかしぃ? ゆっくりしたらいいよぉ?」

「っ……」

 

 言葉に詰まった。ウーリからそれを言われるとは思いもしなかった。

 ……俺は、一度肩の力を抜くと、ウーリに優しく微笑みかける。


「ありがとう、ウーリ。……だが、俺は早く強くなりたい。恐怖の魔物を早く倒して、ウーリをここから出したいんだ。あまりゆっくりはしていられない」

「……はーちゃんっ! うりぃ!」


 俺が急ぐ理由に思い至っていなかったらしいウーリは、感極まったような意識とともに喜色を露わにすると、そのまま俺に飛びついてきた。俺の背中に腕を回し、顔をこすりつけるようにして何度もすぅはぁと匂いを嗅ぐ。

 いつもならその可愛さと柔らかさに免じて大人しく匂いを嗅がれるのだが、ウーリの手についていた香油で背中がぬめり、俺は眉をひそめた。


「ウーリ……香油が背中につくんだが……」

「――あぁっ、ごめんねはーちゃん!」


 慌てて俺の背中をまさぐるウーリ。その小さな手が通るとぬめりがなくなる。どうやっているのかわからないが、そのまま余すところなく香油を取り除いてくれたので俺はホッと息をついた。


「助かった。ありがとう」

「ウーリのせいだからぁ……。ヌルヌルぅ、羽繕いの続きするねぇ」

「ああ、頼む」

 

 俺が翼を差し出すと、ウーリは羽の一枚一枚を手入れするように、小さな手で柔らかく香油を撫でつけてくれる。

 本当はブラシでやるのが一番いいのだが、ここにはないのでどうしようもない。次点は布だが、試してみたところなぜかウーリの素手のほうが綺麗に仕上がった。しかもウーリの手には真心が込められているのか、受ける感触がブラシに負けず劣らずとても気持ちいいので、最終的には今の形に落ち着いている。


 ウーリからゆっくりやればいいと言われて少しだけ気持ちの軽くなった俺は、雑念を払うと、ウーリの手で施される羽繕いを堪能した。


「ウーリちゃん、それ代わってくれたりはしないよね……?」


 うかがうような声に顔を上げると、感知でわかってはいたが、フル装備のラウレが見回りから戻ってきたところだった。

 何度も断られているラウレはあわよくばといった様子だが、案の定、作業の手を止めないウーリは顔も上げずに答える。


「ダメぇ。はーちゃんのお世話はウーリの仕事ぉ」

「そっか……。イスハはオーケー出してくれてるんだけどね……」


 ラウレはもの欲しそうな目をウーリの手元に向けている。

 ……おそらく俺がラウレの尻尾を触ってみたいのと同じような感覚だと思うのだが、ラウレは俺の翼の羽繕いをやりたがってくれている。俺としてはラウレにしてもらっても全然構わないのだが、ウーリが一度も許可を出さないので、ラウレはずっとお預け状態だ。

 俺の翼を求められているようで鼻が高いのだが、一方で女性同士の仁義なき戦いも心配だ。そのときは交替制にするつもりだが、ラウレとウーリの性格から争いには発展しそうになく、あとウーリにはいろいろと世話になっているのでそのお礼も兼ねて、今のところウーリに判断を任せている。


「……よし、ウーリちゃん、あとでちょっとお話しよっか」

「わかったぁ」


 なにやら考え込んでいたラウレは、何を企んだのかウーリを誘う。……何をするつもりか気になるが、しかしラウレのことだ、心配するようなことは起きないだろうと考え、俺が沈黙を保っていると、ラウレは俺にも声をかけてきた。


「イスハ、それが終わったら最後の座学をしよっか」

「……最後? どうして?」


 聞き逃せない単語に俺がすかさず問い返すと、ラウレは少し申し訳なさそうな顔をする。


「そろそろボクが教えられることはなくなってきたからね……イスハももう、一人前の術師だし、師弟関係の座学は次で最後にしようと思って」

「俺が、一人前? ここ最近、魔術の進展がまったくないんだが……」


 思わず暗い声が出てしまうが、ラウレは苦笑する。


「いやぁ、本来はそういうものなんだよ? 一週間やそこらで目に見えて上達なんて、なかなかしないよ。もちろん最初は上達するけど、それは初心者限定だよ。中級者以上になると、地道にやっていくしかないからね。だから逆に言えばイスハは、初心者ではなくなったってことなんだよ?」

「う……そう言われると、返す言葉もない」


 俺も武術を修めた身だ。長期的な目標を見据えた地道な反復練習こそが大事だと、よく理解している。


「うん。それでね、最後の座学のあとは、師弟卒業試験をしようと思うんだ。合格すれば、晴れて師弟卒業だよ。

 もちろん卒業だからといって、そこでバイバイするわけじゃないし、そこからは術師同士として……まあ、これまでとあまり変わらないけど、アドバイスしたりしたいなって思っているよ。そんな感じで、どうかな?」


 気恥ずかしそうに尻尾を揺らしながら提案してくるラウレ。あくまで想像だが、ラウレの心境の変化のきっかけは、俺が空精魔術エアリエッティを実戦で使えるようになり、さらに魔術の修行が停滞……いや、一段落したことなのではないだろうか。


「べつに、ずっと俺の師でいてもらっても構わないが」


 何気なくそう口にすると、ラウレは拒否の意識とともに頬を引きつらせた。


「いや、いやいやいや、この機会だからハッキリ言わせてもらうけど……少なくとも、イスハはもうボクと同格だからね!? そのうえハゼアシとかいう夢のような空精魔術エアリエッティとか、強力な心象魔術ユニークとか習得されたら、ボクを余裕で超えるからね!? それでキミの師なんて名乗ったら、ボクの立つ瀬がないよ!」

「そ、そうか……。そういうことなら、ラウレの言うとおりにしよう」


 俺の感覚では、学校におけるかつての先輩が卒業後もずっとそうであるように、たとえラウレを超えたとしても師のままだと思うのだが、おそらくラウレは力不足や力関係といったことを気にするのだろう。


 俺がラウレの提案を受けたことで話は終わりだと思っていたのだが、しかしラウレは不満そうに口を尖らせる。


「むぅ、なんだかまだイスハは理解していない気がするよ……。そもそも何が原因かって、イスハが、手がかからなすぎるのがいけないんだよ? 確かにボクは知識を教えたけどね、実技のところはほとんどアドバイスできていないんだよ? キミってば、戦いの下地があって、異常な上達速度であっという間に一人前になっちゃうんだもん。ボク、ほとんど役に立っていないよ……。知識を教えただけなんて、そんなんじゃ、師ではなくただの教本だよ……」


 ラウレはすねるような声で言った。

 ……それは胸にぐさりと突き刺さった。まず意外だった。ラウレがそのようなことで悩んでいたとはつゆ思わなかった。そして、それは誤解だった。ラウレは俺にとって立派な師であり、ただの教本なんかであるはずがない。

 そのことをきちんと伝えるために、俺はウーリに羽繕いの手を止めてもらうと、立ち上がってラウレに正面から向き直った。


「ラウレ、それは違う。ラウレは俺の師だ。ただの教本なんかじゃない」

「あ、文句ばかり言っちゃったけど、ごめんね、気にしないで。ボクの力不足だってことはわかっているから」


 ラウレは手で押しとどめるようにして遠慮してくる。このままではただの慰めだと誤解されそうなので、俺は伝え方について少し考え込む。


「……その知識量にはもちろん感謝しているが、ラウレ、俺が魔術の師を頼むにあたって、一番重視したことはなんだと思う?」

「え」


 ラウレはぽかんと口を開け、それから視線を落として真剣な顔つきをする。


「……なんだろ。魔物じゃないこととか? 魔力量が近いほうが良いと思うから」

「それもあるが……一番は、人柄だ」

「……えっと、ちゃんと教えてもらうため?」

「簡単に言えばそうなるが、欲を言えば、俺の戦い方を否定せず、ウーリの存在も受け入れてくれる人物が好ましかった。最低限、不和を生まない人物を望んでいた」

「……まあ、魔界じゃあまり見つからないかもしれないけど……」


 ラウレが自分の価値に気づいていないようなので、俺は言葉を続ける。


「その点、ラウレはこの上ない人物だった。良識的で、思いやりがある。俺の戦い方については、わざわざ模擬戦をして確めたうえで、それを伸ばすよう魔術を一緒に考えてくれた。ウーリについては、受け入れたうえで仲良くしてくれている。

 普通なら、俺の戦い方にかかわらず、遠距離攻撃を使うように強要したり、ウーリのことを認めようとしなかったり、あるいは拒絶したりしてもおかしくなかった。ラウレは俺たちにピッタリの人物だった。正直なところ、今では手放したくないと思っている」

「…………」

「俺が思うに、師の優劣というのは戦いの能力では決まらない。人柄や、教え方、考え方が合うかどうか、それが重要だろう。そう判断する俺にとっては、ラウレは優秀な師だ。誰がなんと言おうと、それは変わらない。俺と合うかどうかは、俺が決めることだからだ。……どうかそのことは覚えておいて欲しい」


 普段であれば言いづらいことを、この空気も手伝って一息に言いきった。照れ臭い気持ちもあるが、しかしラウレの悩みを解くには必要なことなので、真面目な表情を崩さずにラウレを見つめ続ける。

 すると……ふいに、じわりとラウレの瞳に涙がたまり、柔らかな曲線の眉が歪む。

 同時に、嬉しさや感謝の意識を感じ取る。感涙と知って安心したが、だとしても目の前で可愛い女の子に泣かれると動揺してしまう。

 こっそりと瞑想して決まりの悪さに堪えていると、ラウレは照れたように笑った。目尻の涙を指ですくい取り、震える声で言う。


「あはは……ごめんね、ちょっとうるっときちゃって……。ここ最近、そういう温かさに触れてなかったから……。あー、今ならイスハが男の人でも大丈夫な気がするよ」

「……一応オスだが」

「ふふ、わかっているよ」


 涙しながら照れ笑いするラウレは、とりわけ幼く見えた。

 ……改めて考えてみれば、ラウレのような女の子が一人で魔界まで旅をするなんて、過酷でないはずがない。いくら心象魔術ユニークが使えるとはいえ、男性恐怖症で、頼るべき仲間も連れていないのだ。きっと心細かったに違いない。しかも、その目的は猛毒に侵された親友を助けるためだという。裏返せば、親友が助からないという不安を抱えていたはず。そのような生活を続けてきたとすれば、ふとした拍子に涙するなんて当たり前に思える。

 ただでさえラウレは、前世の感覚でいえば年の離れた妹よりもさらに年下の少女だ。今のか弱い姿は、幼女レベルの庇護対象に思えてくる。

 ――途端、俺が何かしてあげなくてはとの思いに駆られた。


「膝枕でもしようか?」

「えっ」

「いや、ウーリがよく俺の膝で安心したように眠るから、気持ちが落ち着くかと思って」

「…………えっと」


 頬を赤く染めて視線をさまよわせるラウレ。尻尾が慌ただしく揺れているのが微笑ましい。

 俺が一応座って待っていると、ラウレはウーリに目を留めた。


「……いいの、かな?」

「ウーリぃ? なんでぇ?」

「え、だって、イスハの膝だし……」

「はーちゃんの膝はウーリのじゃないよぉ?」

「……えっと」


 ラウレは俺の膝をじっと見る。しかし、なかなか一歩が出てこない。

 すると、ウーリがふわりと天使のような口添えをした。


「はーちゃんの膝枕はぁ、落ち着くよぉ」


 それが後押しになったらしい。すぐにラウレは恥ずかしそうに駆け寄ってくると、俺が座っている石に腰掛け、それからころんと俺のほうに倒れてきた。

 もぞもぞと頭の位置を調整するラウレに合わせて俺も膝を動かすと、いい角度が見つかったのか、太ももにかかるラウレの頭の重みが増す。


 実を言えばくすぐったいのだが、それは耐えるしかないだろう。燃えるような赤い髪のポニーテールが俺の腹をくすぐり、結ばれていない横の髪が俺の膝をつつくのだ。走行時の放熱を考えてチューブトップと短パンという軽装なので、晒されている肌に髪の毛が直接当たるのは防ぐことができない。この際、ウーリの自由奔放な髪先よりはマシだと思うしかないだろう。ちなみに太ももに乗られるくすぐったさもあるが、そちらはもう慣れたものだ。


 髪の間からのぞくラウレの小ぶりな耳が、髪と同じ色になっている。ラウレの早鐘のような鼓動の音も聞こえてくる。

 しかし俺は見て見ぬふりをして、ウーリに羽繕いの続きを頼んだ。


 だが……ほとんど終わっていたので、結局数分でウーリの手が止まる。


「はーちゃん、終わったよぉ」

「そうか、ありがとう」


 膝枕をしたまま翼の仕上がりを確認していると、ふいに膝からラウレが起き出し、さっさと立ち上がった。


「あ、ありがとうイスハ! お、落ち着いたよ!」

「……落ち着いているようには見えないが」


 顔の赤みも取れていない。膝枕の時間が短かったので、慣れることなく終わってしまったのだろう。


「もう少しゆっくりしていっても良いんじゃないか?」

「い、いや、遠慮しとくよ! ちょっと顔を冷やしてくるね!」


 ラウレはそれだけ言い残すと、俺の返答を待たずに丘を駆け下りていった。全力疾走しているのか、後ろ姿が見る見るうちに小さくなっていく。

 俺の隣でウーリがふわりと首を傾げる。


「らーちゃん、大丈夫かなぁ?」

「……まあ、大丈夫だろう。でも可哀そうだから、また今度膝枕をしてあげよう。ちゃんと時間を取って慣れるまでしてあげれば、ああいうふうにはならずに済むはずだ」

「そぉだねぇ」


 今回は不完全燃焼だった。日ごろの感謝を込めて、次はきちんとリラックスできるまで膝枕をしてあげようと俺は心に決めるのだった。


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