23話 モジャモジャの魔物と戦い
「イスハ、やっぱりあれと戦うのはやめておいたほうが……」
俺の隣に立つラウレが、緊張気味に言った。
その視線の先、一キロメートルほど離れた場所には、魔界然とした荒野に浮かぶ白っぽくてモジャモジャとした何かがある。
奇妙な物体だ。大きさは通常の羊よりも小さいくらいだが、モップを連想させる太い糸のようなアイボリー色の毛が体中を覆っていて、しかもウニのトゲのようにぶわっと広がっている。
見えない何かに乗っているように地面側の毛は潰れ、そいつは四メートルほどの高度をぷかぷかと漂っている。
毛に隠れているのでどのような生き物かも定かではなく、得体が知れない。
しかし常に周囲から魔力を吸い取っていて、その魔力密度はツリ目男たちのそれと同等。つまり、あの浮いているモジャモジャの何かは魔物であり、それも野魔ではなく大魔であることがわかる。油断のならない相手だ。
ラウレが、戦うのをやめておけと言うのもよくわかる。
ただでさえ大魔相手だと、かつての俺では荷が重かった。ツリ目男たちに勝てたのはラウレとウーリの助力があったため。俺だけでは一対一でも勝てなかった。
加えて、ああいう強くて得体の知れない敵は厄介だ。得体の知れない分、思わぬ反撃を受ける可能性が高いためだ。
しかし……だからこそちょうどいい相手でもある。
かつての俺では荷が重いからこそ、相手の情報が少ないからこそ、今の俺の真価を計れるというものだ。
「今の俺には空精魔術がある。技の完成を確かめるには、あれぐらいを相手にするのがちょうどいい。技の完成についてはラウレも確認しただろ?」
「それはそうなんだけどね。でも急に完成したっていうから、何か見落としがないか不安だよ」
「それについては否定できないが……それこそ実戦をこなすしかないんじゃないか?」
「まあ、そうかもしれないけど……」
俺だって、不可解に思っている。
ラウレに技を見せてから、今日でちょうど一週間ぐらいたつだろうか。
一昨日まで目ぼしい成果がなかったのに、昨日、いきなり技が完成したのだ。
[風亡]については、なぜか突然、走りながら魔力吸収できるようになり課題の持続性をクリアできたし、[負爆]については、自分でもわけがわからないのだが爆風の重心のようなポイントが感覚的にわかり、安定して爆風に乗れるようになった。
まるで外部からの見えない何かにアシストされているような、奇妙な感覚。
メリットしかないので喜ぶべきなのだが、しかし鍛錬の積み重ねではなく天才的な感覚によって解決したようなものなので、自分のものではない力を飲み込まされたような気持ち悪さがある。
ラウレの言うように、何か見落としがあるのかもしれない。
だが、立ち止まるわけにもいかないのだ。
昨日、ラウレに技の完成を確認してもらった。ラウレからもオッケーはもらっている。
それならば、次のステージに進まなければならない。すなわち実戦へと。
「それに、大魔相手に足踏みしているわけにもいかないしな。俺の最終目標は、恐怖の魔物だ。あのモジャモジャに勝てないようじゃ、恐怖の魔物にも勝てないと思う」
恐怖の魔物の本当の強さは不明だが、しかし恐怖の魔物が大魔程度だと考えるのは浅はかだろう。
いくら恐怖があるとはいえウーリが対処できないレベルなのだから、少なくとも公魔、場合によっては君魔の可能性もある。
俺はもう魔術を習得した身だ。まだ空を駆けることはできないが、しかし[風亡]と[負爆]は実戦確認の段階にある。魔術を取り入れてもなお、あのモジャモジャした奇妙な大魔に勝てないというのなら、恐怖の魔物に勝つなど夢のまた夢だろう。
俺のやる気を見て取ったのか、ラウレは渋々といったような声を出す。
「わかったよ……。でも、危なくなったらウーリちゃんに助けてもらうんだよ? ボクだと間に合わないと思うし、ウーリちゃんなら空から見守ってくれているだろうしね」
「ああ、そうする」
返事をしつつ、ウーリに対するラウレの信頼も揺るがなくなったなとひそかに思う。
一週間前……ウーリの正体を知ったラウレは、ウーリに対してよそよそしくなったというか、遠慮するようになった。おそらくイメージとの乖離に心の整理がつかなかったのだろう。
だがそれも、ウーリと一緒にいるにつれて解消されていった。
イメージがどうあれ、ウーリは優しくて健気で可愛いゆるふわ幼女だ。確かにその能力は規格外だが、ウーリがウーリであることには変わらない。彼女の人の良さは接すれば嫌でもわかるというもの。
結局、一日もたてばラウレの緊張もほぐれ、会話の機会も多かったのだろう、今ではすっかり打ち解けている。
そういう意味でも、ラウレが魔術の師になってくれて感謝している。
受けた恩を返すにも、できるだけ早く恐怖の魔物を倒してラウレの親友の解毒に向かいたいと思う。
そう、こんなところで足踏みしているわけにはいかないのだ。
俺は気合いを入れ直すと、隠れていた岩場の陰から動き出す。
……お膳立ては整った。
殺してしまっても仇討ちなどの問題が起こらないよう、人型ではない獣型の大魔をわざわざウーリに探してもらい、こうして転移で魔物の場所まで連れてきてもらった。
後ろにはラウレが待機し、空にはウーリが控えている。俺の手に負えなければ、手助けしてもらう手はずになっている。
ならば、あとは戦うだけだ。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、気をつけてね」
未知の強敵に対する不安を信念の使命感で塗りつぶす。
瞑想して思考をクリアにすると、視線の先で漂うモジャモジャの何かを見据えて走り出した。
ツリ目男の周囲を包む炎や、長髭親父の浮遊岩といった前例から、大魔にもなると身の安全を確保する術を身につけていることがわかる。
様子見していると、詰む可能性がある。
探り合いなど不要。
むしろ俺の戦い方を考えれば、相手の実力を出させる前に速攻で片づけるのがベストだろう。
そう判断していた俺は、最初から全力で駆け出していた。
――潜在覚醒、身体操作、感知。
――空精魔術の壱:風亡。
空気をかき分け、薄い空気の中を全力で加速していく。
五秒ほどで時速150kmのトップスピードに乗った俺は、四メートルほどの高さを漂うモジャモジャに向けてそのまま一直線に向かっていく。
……一応、命精魔術の[身体強化]も使えるようになったが、あれは今回使わないかもしれないな。
というか、【潜在覚醒】で充分なのだ。これ以上身体強化してもそこまで変わらない。足が追いつかないせいで最高速度の更新には至らないし、魔術併用の難しさからそもそもあまり使えたものではない。
あれの使い道としては、回避できない咄嗟の防御のために身体を強化するくらいだろう。
もう、余計なことは考えず、走りに集中しよう。
なにせ、こんなにも速く、爽快なのだから。
そうして俺が走りの喜びに酔いしれる中、彼我の距離はどんどんと縮んでいく。
残り八百メートルを切った。
七百、六百、五百……。
まだ意識感知にモジャモジャからの反応はない。
四百、三百、二百……。
ここで相手の意識が俺に向く。
驚愕と焦燥。
俺は走りの喜びを頭の片隅に追いやると、カチリと思考を切り替える。
つけ込むには良い隙だ。
――走術の壱:縮地。
相手の意識の隙をつくように、強い敵意を叩きつける。
相手は怯み、対抗するように強い意識を返してくることでこの技は成立する。そのはずだったが……。
相手は怯んだあと、意識の揺れがなくなった。
おそらく冷静になったのだろう。
なぜ? 迎撃に自信がある?
なんにせよ、[縮地]は失敗だ。動じない相手には通じない。
そうこうしている間にも、残り百メートルを切った。
……次の手だ。
――走術の弐:残影。
加速の予備動作を見せ、瞬時に方向転換してすぐにまた相手に向かう。別のルートから接近していく。
技を使った直後、相手の意識を振りきったが、すぐに冷静に俺を捉え直してくる。
……反応が淡泊すぎる。つまり、俺の行動が相手にとって取るに足らないということ。
間違いなく、迎撃に絶対の自信がある。
このまま突っ込むのはマズイか?
しかし引き返すに足る判断材料はない。
残り五十メートルを切った。
敵はもう目前。
残り一秒と少しで辿り着く。
情報不足。
突っ込むしかない。
――走術の肆:抜踏。
覚悟を決める。
最後の踏み込みを行う。
浮き上がる身体。
そして、羽や髪の毛がチリチリと立つ。
ここにきて警鐘を鳴らす直感。
悪い予感は的中した。
……間に合え!
――空精魔術の弐:負爆。
背後に待機させていた圧縮空気を、横にずらして解放。
[風亡]による空気の隠密を破って爆風を巻き起こしながら、斜めに加速。
俺は姿勢を制御しながらモジャモジャの魔物からつかずはなれずの方向に進路を取る。
直後、視界を横切る閃光。
バチバチと空気を割る音。
俺がいた付近の地面へと、モジャモジャの身体からほとばしる電撃。
全身の鳥肌がぶわっと粟立つ。
……二十メートルもあるのに届くのか!?
それなら、正確な距離範囲は?
弱点は?
すぐに[負爆]用の圧縮空気を用意。
俺は攻撃範囲を探るようにモジャモジャの周囲を駆け回る。
方向転換の関係で少し減速。
電撃の距離を測るため、モジャモジャに近づいては直感を頼りに[負爆]で逃げ、電撃を避けていく。
十秒のうちに何度か繰り返してわかった。
モジャモジャから攻撃の意識は一度も飛んでこない。電撃は自動迎撃だろう。
その範囲は半径およそ二十メートル。
そして連続で電撃を放つと、その威力が弱まる。
そこまでわかると、俺は数秒だけ使って[負爆]で消費した魔力を完全に回復させ、勝負に出る。
モジャモジャに思考の時間を与えないうちにその弱点を突かなければならない。
電撃の有効範囲の境界を、[負爆]による回避と、方向転換による突撃で、息つく間もなく行ったり来たりしながら駆け回る。
連続で放たれ続ける電撃。
目減りしていく俺の残存魔力。
しかし電撃の太さがだんだん細まっていき、そうして六度目にはついに途絶えた。
瞬間、見計らっていた俺はモジャモジャに向けて跳躍。
[風亡]で空気抵抗を減らした中を、[負爆]で一気に加速。
その一瞬だけ走行のトップスピード時速150kmを超越し、モジャモジャへと飛び掛かる。
モジャモジャから驚愕の意識。直後、揺らぎが落ち着く。
理由はわかる。その毛に触れても電気が流れるのだろう。
ならば、触れずに蹴ればいい。
[負爆]の圧縮空気を足裏に移動。
――走術の肆:抜踏。
――空精魔術の肆:爆肢。
身体をひねり、モジャモジャを踏み抜く直前、足とモジャモジャとの間で圧縮空気を解放する。
だが、[負爆]の発展形であり、爆風を背中ではなく足で受ける[爆肢]はまだ完成していない。
当然のように俺は吹き飛ばされ、しかも踏み抜こうと力を入れた足からバランスを崩したため、自分でもよくわからない回転をしながら宙を舞う。
くるくると回る視界。
[風亡]の制御などとうに手放し、[身体強化]に注力して防御力を上げ、動体視力と感知と直感をフル活用し、落下による即死に備える。
数秒後、回転が緩やかになり、幸運にも空に向けて吹き飛んでいたことが判明。
地面がきっちりと見えたので、翼を広げて姿勢を制御し、空精魔術で風を操作してふわりと着地。
直後、[風亡]と[負爆]でスタートダッシュをかけ、離れたところで倒れているモジャモジャへと駆けていく。
……先の一撃、モジャモジャが墜落する程度にはダメージが通ったらしい。
だが仕留めるには至っていないはず。
[爆肢]も結局は移動の技。[抜踏]による足の踏み抜きも加わってそれなりの衝撃が伝わったのだろうが、しかし制御できていない攻撃ゆえにロスも多い。
俺は空気を長めに圧縮すると、モジャモジャの横を駆け抜ける。
これでトドメだ。
――空精魔術の参:爆撃。
同時、直感が警鐘を鳴らす。
できればモジャモジャから離れて爆風を起こしたかったが、それを待つこともできずに発動させる。
パァン、と割れるような音ともに、[負爆]を超えた威力で襲い来る衝撃。
この威力の爆風にはさすがに乗ることができず、きりもみ回転しながら吹き飛んでいく。
――ここ!
奇跡的にも地面を捉え、着地に成功。
すぐに振り返ってモジャモジャへと駆け出す。……が、すぐにその勢いを弱めた。
モジャモジャは潰れていた。
爆風によってそのモップのような毛が広がり、本体がむき出しになっている。
本体は犬のようだった。
……そういえば、モップのような犬がいたようないなかったような。
まあ、どうでもいいか。
モジャモジャだった魔物が絶命していることを確認すると、俺は安堵の溜息をついた。
……今回もしんどかった。
というか電撃ってなんだ。自動迎撃ってなんだ。そりゃあ、走術使っても動じないわけだ。
駆け引きができないぶん、ものすごくやりにくかったな……。
俺は瞑想し、疲労感を回復させる。
さて……。
大魔の単独撃破、成功。
[風亡]と[負爆]の実戦使用、成功。
ついでに[身体強化]と[爆撃]の実戦使用、成功。
ただし[爆肢]まで使わされたうえでの辛勝、か。
正直、[爆肢]を使う予定はなかった。[身体強化]と[爆撃]はともかく、[風亡]と[負爆]をメインウェポンとして戦う予定だった。
[爆肢]は使わされた形になる。まったく、ままならないものだ。
……だが、その有用性は証明された。空を駆けるだけでなく、触れずに相手を吹き飛ばせるのは嬉しい。
できれば[爆肢]も習得したいところだが……。
俺は自分の足先を見る。
人の足よりさらに細い鳥の足。
地面を蹴る分にはいいが、爆風を受けるとなるとその面積は心もとなさすぎる。
爆風を受けるには背中でさえ四苦八苦した。今では成功しているが、その理由すら掴めていない状況。
俺の足の面積は、果たして背中の何十分の一か。
……これ、無理だろ。
いや、そう思うのはよろしくない。魔術はイメージも重要だ。ネガティブな思念は成功率に直結する。
とはいえ……これ、無理だろ。海に浮かぶ藁でサーフィンをするようなものだろ。
どうやっても成功するイメージが浮かばない。
[爆肢]を習得するには、果たして何か月、いや、何年かかることやら。
……そういえば、ユニークとかいう魔術は俺には使えないのだろうか。
ユニークの内容にもよるが、[爆肢]のヒントになるかもしれない。
あるいは、それ単体で強力な武器になる可能性だってある。
というか、モジャモジャのさっきの電撃ってユニークだよな? 五精魔術では説明がつかないよな?
地面を燃やすツリ目男の炎も、考えてみればユニークじゃないか?
ウーリの能力も当然ながらユニークだろう。
大魔以上はユニークを使うのか?
空精魔術を使えるようになって、浮かれている場合でもなさそうだ。
次は、ユニークについて学ぶべきだろうか……。
「はーちゃんすごぃ!」
ラウレのもとに戻る途中、転移で現れたウーリが嬉しそうにうりうりと抱き着いてくるのを受け止める。そして褒めちぎってくれるウーリにお礼を言いながら歩いていく。
こちらに歩いてきていたラウレと合流すると、そこからはウーリの転移で“魔界の区画”から“お願いの区画”、つまり草原へと戻って来た。
ユニークの魔術も含め、これからのことについてラウレに相談したいが、その前にさっきの戦いについて反省会を開く。
途端、ラウレが呆れながら言う。
「遠くからイスハの戦いはずっと見ていたんだけどね……なんというか、大魔相手に勝つだけでもとんでもないのに、イスハと相性の悪い相手によく勝てたよね。反省点なんて見つからないよ」
と、始めた傍から反省会は終わってしまった。
まあ、俺も魔術の練度は別として、戦いの内容に凡ミスはなかったと思っているので良しとしよう。
「ちなみにラウレの言う相性が悪いっていうのは、走術の効きが悪かったこと?」
「え、走術あまり効かなかったの? いや、そうじゃなくて、電撃だっけ? あのバチバチするやつ、近づいた瞬間に来るから、近接専門のイスハとは相性が悪いかなって」
電撃という言葉はあまり一般的ではないのか、少したどたどしくラウレは言った。
「まあ、相性が良いとは言えないが……いや」
自分の魔術のことばかり考えていたから気づかなかったが、客観的に見れば相性悪いんじゃないか?
走術があまり効かず、攻撃の意識もないうえに、近づけば勝手に電撃が飛んでくる相手。
こんなの、俺の天敵じゃないか。
なんでそんなやつと当たるんだ。いや、魔術の確認には悪くなかったんだが……。
胸中で不運を嘆く俺に、ラウレが真面目な顔を向けてくる。
「ボク、最初はイスハ勝てないなって思ったもん。まず初撃をかわしたことからして奇跡というか、ありえないというか。【直感】持ちでも、普通はかわせないでしょ、あれ。しかも回避を連発するし。
でも結局近づけなくて、引き分けかと思えば、今度は連続で電撃を使わせて、使えなくなった瞬間に攻撃を仕掛けるし。
たぶん触らないようにだと思うけど、爆風を使った蹴りで吹き飛ばしちゃうし。
そのまま爆風でトドメを刺しちゃうし。
……確かに、大魔自体は信じられないことに上から三番目のランクだけど、相性の悪い相手に勝つのはそうそうできることじゃないよ。もしかしたら、イスハ、公魔の下のほうに届いているかも」
「……そう?」
俺は思わず首を傾げる。身近な公魔といえばウーリだが、彼女の万能な能力と比較すると、俺なんて全然大したことないように思える。
怖いので確かめていないが、俺の速度はウーリも出せるのではないだろうか。
「イスハ、ウーリちゃんと比べているよね?」
「……まあ」
「言っておくけど、ウーリちゃんって公魔最強って噂されるくらいだから、それと比べても仕方がないよ」
「……そうだな」
とはいえ、仮に公魔の下のほうに届いていたとしても、あまり興味はない。
俺の目的は恐怖の魔物を倒すことだ。恐怖の魔物を倒せると確信できない以上、その情報にあまり価値はない。
しかし、俺を認めようとしくれるラウレの心遣いを無駄にするのも忍びない。
俺はとりあえず、ラウレの言葉にうなずきを返す。
すると、俺の心境を察したのかラウレは苦笑した。
「うーん、とりあえずはそれでいいのかな……? それで、イスハは何が不満なのかな?」
「ああ、不満というか、ユニークの魔術について聞きたいんだ」




