21話 空精魔術の技を見せ
「始めるぞ!」
俺は声を張り上げて、遠くで待機しているラウレにこれから空精魔術の技を使うことを宣言する。
……さあ、技のお披露目だ。
ウーリは練習段階から何度も見ているので興味なさげに羊の上でぐだっとしているが、初見のラウレからは期待と不安と緊張を混ぜたような意識が向けられている。技の仕組みどころか効果すら伝えていないので、頭の中ではいろいろな憶測が飛び交っていることだろう。
一つ目の技に関してはラウレの期待に応えられる。まだ課題はあるものの形にはできているのだ。
ラウレは驚いてくれるだろうかと想像しつつ、俺は空精魔術で周囲の空気に干渉し、トンネルを作るように空気をかき分ける。
準備はできた。
俺はラウレに向けて軽快に駆け出す。
――潜在覚醒、身体操作。
「――空精魔術の壱:風亡」
前方の空気をかき分けながら、いつものように加速していく。
初めのうちは以前とそんなに変わらないが、速度が出てくるにつれ違いが顕著になってくる。加速していくたびに強くなるはずの向かい風が、普段よりもずっと穏やかなのだ。
空気抵抗が小さいので、そのぶん加速の度合いを大きくできる。
そうしてあっという間に、最高速度だった時速110kmを超えた。
いつもなら暴風じみた向かい風に身体が押し戻されるのだが、[風亡]を使っている今、少し強い程度の風しか感じない。空気抵抗が速力に拮抗していないので、まだまだ加速できる。
加速して、加速して……時速150kmに到達。
これでもまだ空気抵抗は以前の最高速度ほどではないのだが、しかし残念ながら、今度は足の回転が追いつかなくなる。俺が時速150kmで走るなら、地面は時速150kmで後方に流れていくのだ。もはや地面を蹴っているというよりジャンプしているような感覚。ここが現在の最高速度であり、二足走行の限界だろう。
そして、その暴力的な速度を維持したままラウレの傍を通り抜けた。
ラウレは俺の走りで起こる突風に身構えていたが、すぐに驚愕の意識を俺に向けてくる。
……おそらく、風がほとんど吹かなかったのだろう。成功したようでなによりだ。
[風亡]でかき分けた風は、走り抜けたあと、後方で元通りに戻している。
[風亡]は空気抵抗を小さくして走りを速くするのと同時に、走りによる空気の動きを抑えて隠密性を高めるのだ。
コンセプトは、静かに速く。風を殺す魔術なので、[風亡]。
ただし完成には至っていない。課題が残っている。
[風亡]は常時発動型の空精魔術なので、魔力消費が激しい。現に、体内魔力をほとんど失っている。
十秒ほどしかもたないので、短期決戦でしか使えない。
休憩を挟めるのなら、周囲から魔力を取り込めばすぐに回復するので、十秒のインターバルで使い回せるが……やはり目標は、半永久的な運用だろう。
俺は課題を再確認しつつ、失った魔力を周囲から補充しながらラウレのもとに引き返す。
果たして、ラウレはぽかんと放心していた。
しかし俺が到着すると正気を取り戻したようで、いじけたように頬を膨らませる。尻尾も怒ったようにピンと立っていて、不満げの様子。
……時速150kmで傍を通り抜けたことがいけなかったのだろうか。確かに、いきなりそれをやられるのは怖いかもしれない。驚かせすぎたか。ここは先に謝っておこう。
「悪い。安全だろうとは思っていたが、傍を通り抜けたのは良くなかったよな」
「え? いや、それはいいよ。こっちに来たときはビックリしたけど、何か考えがあってのことだろうと思ったから」
あれ? それじゃないのか。
俺が首をひねると、ラウレは不満そうに言う。
「ねえ、それより、なんで完成してるのかな!? たった一日であそこまで形になるなんておかしいよ!」
「……まあ、もともとアイデアはあったから」
空気抵抗をいかに減らすかというのは、速度を極める者にとっての永遠のテーマだ。いや、この身体になってたった一年の俺が言うことではないかもしれないが。
「だとしてもっ……うー!」
ラウレはもどかしげに可愛らしくうなると、矛先を見つけたのか言葉を続ける。
「ていうかイスハ、何したのかな? 走りが速くなったよね? 追い風? でも風は吹かなかったし……周りの風を止めながら追い風を吹かせたの? よくわからないってば! 技も制御できていたし、助言のしようがないよ!」
「いや、助言は欲しい」
「ボクは……ボクはね!」
俺の言葉が聞こえなかったように、ラウレは熱く語りだす。
「一生懸命考えてたんだよ! 教えるの初めてだから、キミがどんなふうに失敗するかなとか、失敗したらどういうふうに助言しようかとか、いろいろ考えてたんだよ! 今回のために、イスハの戦い方に合う空精魔術はどんなものかなとか、それを使いこなすためにどんな訓練をしたらいいかなとか、いろいろ考えてたのに! それなのに! 一発で成功させちゃうなんて! しかもボクが考えてた空精魔術よりすごそうだし! キミは優秀すぎるよ!」
ふぅー、ふぅー、と荒く息をつくラウレ。八つ当たりのようにも見えるが、しかしその意識には俺への信頼や好意も隠れている。つまり甘えてくれているのだろう。
それにしても、ラウレの不満の正体は、行為が報われないことによるものか。これほど親身に考えてくれていたとは、頭が下がる思いだ。
というか、まだ無駄になったとは限らないんだよな。
「ラウレ、助言して欲しいところがある。さっきの技、完成しているように見えるかもしれないが、実はまだ課題があってな」
「え? ……あ、何かな? ボクでよければ力になるよ」
ラウレは興奮から一転、表情を明るくすると、嬉しそうに尋ねてくる。しかも、さっきの取り乱しように気づいたのか、恥ずかしそうな上目遣いだ。
思わぬ不意打ちに、俺は目を閉じて瞑想し、ラウレ可愛いなと思いつつ冷静に口を開く。
「ありがとう。さっきの技、[風亡]って言うんだが、魔力の消費が激しくて困っているんだ。十秒も使えば魔力がほとんどなくなる。
俺としては走りながら魔力を周囲から取り込めればと思っているんだが、ラウレはどう思う?」
「うーん、その方向で合っていると思うよ。でも現界ではきついかもしれないね。現界でも魔孔から魔力を取り込むことはできるんだけど、魔界で周囲から取り込むのに比べて集中力がいるから……。
あとは、技をもっと簡略化して魔力消費を抑える方法があるけど、そもそもカゼナキだっけ。どういう仕組みか聞いてもいいかな? もちろん秘密でもいいよ。普通は手の内を隠すものだしね」
「いや、ラウレには魔術の師をお願いしているからな。むしろ教えるべきだろう。
[風亡]は空気をかき分けて進み、走り抜けたあとに空気を元に戻す技だ。具体的な運用方法としては、頭部を起点に空精魔術を発動して、前方の空気を身体が入る大きさまで、外側に向けて圧縮する。走り抜けたあとは、圧縮した空気を内側に開放して、元に戻す。圧縮する理由は、外側に空気を出さないようにするためだな。……そんなところだ。質問はある?」
ラウレが頬に手を当てて考え込むので、俺はいったん区切った。
「……うん、やっていることはわかったよ。さっき横を駆け抜けたときに風が吹かなかったのも、外に空気を出さないからだって理解できたんだけど……でも、それでなんで走りが速くなるのかな?」
「ああ、空気をかき分けることで、空気を薄くしているんだ。空気が薄くなると、空気抵抗が小さくなる。それが理由だ」
「空気抵抗? ……えっと、何それ?」
……そうか。まあ、物理学をやらなければ、知らないことだよな。
「速く走ると、向かい風が強くなるだろ? 要するにあれだ」
「あー……わかったよ、あれが空気抵抗なんだね」
遠い目をしたラウレは、青緑色の瞳に納得の色を宿す。
俺はうなずいて説明を続ける。
「空気が薄くなると、空気抵抗が小さくなる……つまり走ったときの向かい風が弱くなる。だから、空気が薄くなればいつもより速く走れるというわけだ」
「そっか……もしかして、空気抵抗は空精の仕業なのかな? 空気が薄くなると、空精が減って、それで空気抵抗が小さくなる?」
「いや、それは……」
違うんじゃないか? と言おうと思ったが、空精の本体が実在する以上、空気抵抗が空精の仕業かどうかなんて俺には判断ができない。
そもそも空気と空精を同一視するなら、言っていることは同じだ。ここはあえて否定することもないだろう。
「まあ、俺たちは学者じゃないからな。空気と空精の関係までは考えなくてもいいんじゃないか? 知らなくても空精魔術を使えるわけだし」
「それもそうだね」
ラウレはひとまず納得したようだった。何度かうなずくと、言葉を続ける。
「技を簡略化する方法だけど、かき分けた空気を圧縮するんじゃなくて、そのまま外に出したらどうかな? 風は普通に吹いちゃうけど……ていうか、戦闘中に静かに走らなくてもいいんじゃ……?」
「一応目的としては、静かに近づくことで相手からの認識が遅れることを期待している。まあ、それはオマケで、本命は隠密行動と、走って起きる突風による周囲への被害を抑えることだが」
「そっか……いや、もちろん本命のほうも大事だけど、オマケのほうも効果は大きいと思うよ。ただでさえイスハの走りは速くて目で追うのが大変だから、静かに近づかれるとすごい気持ち悪いっていうか……対応しづらくて、やりづらそう」
「そうか。それなら良かった」
「そうなるとできれば残しておきたいよね、隠密性。
うーん、あと簡略化できそうなところで考えられるのは、かき分ける空気の量かな。できるだけイスハが通る場所のギリギリに減らせれば、少しは魔力消費を抑えられるとは思うけど……ちなみに今はどのくらいの範囲をかき分けているのかな?」
俺が両翼で身体が隠れる範囲を示すと、渋い顔をするラウレ。
「今でも無駄は少ないね……じゃあ、魔力の節約はあまり期待できないかな。ギリギリを攻めすぎると、今度はミスが怖いから、少し余裕も必要だし…………ごめんね、良い案が思いつかないから、ちょっと時間をおいて考えてみるよ」
「いや、そこまで考えてもらわなくていい。今出ているアイデアでどうにかしてみようと思う。
そういえば、体内魔力じゃなくて、周囲の魔力を使って魔術を発動させることはできる?」
「……どうかな。考えたこともなかったよ」
ラウレは手の平を持ち上げると、じっと見つめる。
「少なくとも聞いたことはないかな。……うーん、試してみたけどできないみたい。
体内魔力を外に放出して操るという話は聞いたことあるけど、外の魔力を直接使うのは別だもんね。……わからないや。ごめんね」
「いや、ただの思いつきだ。気にしないでくれ。
俺としては、走りながら魔力を取り込む方法を習得しようと思っている。そっちで行き詰ったら、また意見を求めようと思う」
「うん、ボクはいつでも答えるから、好きなときに質問してくれていいよ」
ラウレは頼られて嬉しいのか、尻尾を左右に振りながら照れたように笑う。
……可愛いのもそうだが、ここまで親身になってくれるなんて予想以上だ。彼女に魔術の師を頼んで正解だった。ラウレにはもちろん、ラウレを見つけてくれたウーリにも感謝しないとな。
「ああ、ありがとう」
「ううん、いいよ。
あ、それと、これは興味で聞くんだけど、カゼナキはボクにもできそうかな?」
言葉通り、期待の意識があまりないラウレに俺は首を横に振る。
「残念だが、難しいだろうな。あの技は空気を薄くするんだが、たぶんラウレだと息苦しくなると思う。試してみる?」
「えっと……じゃあ一応、お願いしようかな」
俺は空精魔術で空気を操作し、自分とラウレの周囲から空気を外に追い出していく。ただし[風亡]よりはその度合いを小さく、段階を追って慎重に。
直接比較できないのであくまで想像だが、[風亡]発動時の空気の薄さは高山病にかかるレベルだと思う。俺の呼吸器は鳥の優れたそれなので、高山レベルの低酸素濃度でも問題ないが、ラウレはマズイだろう。
果たして、ラウレは顔をしかめて呼吸を乱した。
「もういいよ、ありがとう。これ、結構きついね。慣らせばまだいけるけど、この中で走り回るのは無理かな」
「ちなみに俺が使う[風亡]は、もっと空気が薄い」
「……うん、イスハ専用なんだね。もともと技の仕組みからして器用じゃないと難しそうだったけど、この空気の薄さは決定的だよ」
俺専用と言われて胸が躍ったが、しかしそれより気になる言葉があった。
「[風亡]の仕組みって、そんなに難しい? 空気をかき分けて圧縮して元に戻すだけだと思うんだが」
「うん、それを難しいと思わないところが空精親和だよ。細かい作業とか好きでしょ、イスハ」
「……まあ、嫌いではないな」
「ボクもやればできるとは思うけど、戦闘中に使うとなると、そっちに気を取られて集中できなくなりそうだもん」
……なるほど、だからあまり期待していなかったのか。
「親和精って、そういう感じなんだな」
「うん。親和精が性格でわかるのもそういうことだね。
……さてと、技の話も終わったし、イスハはこれからまた練習に戻るのかな?」
ラウレが終わった雰囲気を出すので、俺は待ったをかけた。
「いや、まだ終わっていない。言い忘れていたが、開発中の技は二つあるんだ。できればもう一つの技も見てもらいたいんだが……」
「……え、まだあるの?」
ラウレは無表情で俺を見る。
俺はたまらず視線を逸らすと、ウーリがこちらに歩いてくるのが見えた。これ幸いと、ウーリに向かって翼を振る。
「はーちゃん、くるくる飛ぶぅ?」
「まあ……それだな」
くるくる飛ぶのは失敗の証なんだが……。
苦笑していると、ラウレが首を傾げる。
「くるくる飛ぶ?」
「……実際に見せよう」
あまり説明したいものではない。なんといっても、この技の成功率は0%だ。
しかも、七割くらいの確率でケガを負うので、そのたびにウーリに治療してもらっている。
治療もできるウーリはさすがだが、そのたびにお世話になっているので申し訳ない。いや、それを言えば食事や羽の手入れなどをいつもやってくれているので、今更ではあるのだが、技の失敗が原因でケガを負っているので、こちらは罪悪感がある。
しかし練習しなければ上達もしない。ラウレから助言をもらうためにもやるしかない。
俺はため息を飲み込むと、二つ目の技の準備に取り掛かるのだった。




