18話 腹が鳴り
(2017/11/14 誤字修正)
「空精魔術の技って、どんなものがある?」
いくらか練習を積み、空精魔術で突風を起こしたり、ドライヤーのように風を連続して吹かせたりすることにも飽きてきた頃。
風の操作だけならあまりにも簡単なので、いいかげん次の段階に移りたくなり、俺は技についてラウレに尋ねてみる。
すると、ラウレはどこか懐かしむように青緑の瞳を細めた。
「ボクもね、最初はイスハみたいに技について先生に尋ねたんだけどね、こう言われたよ。
技は……キミ次第だって」
「……ん?」
さすがに話が見えないので、俺は催促するようにラウレを見る。するとラウレは回想から戻ってきたらしく、慌てて続きを口にする。
「あ、ごめんごめん。魔術って、基本的には“操作”なんだよね。それで、“いつどのように操作するか”が技になるんだよ。
空精魔術なら、追い風で速く走ったり、敵に突風をぶつけて体勢を崩したり、隠れているときに風の流れを止めて匂いを消したり……パッと思いつくのはそんな感じかな。
基本的に、どう使うかはイスハ次第だよ。まあ、ボクが空精魔術にそこまで詳しくないから教えられないってのもあるけどね」
「……なるほど」
要は、自分で考える必要があると。それなら、と想像が膨らむ。
走術に取り入れて、速さをさらに上げたいところ。そうなると追い風、いや、それよりもアレを優先するべきか。
対空手段も欲しかった。鹿鷲が浮遊していたように、上昇気流に乗れれば空を自由に飛べる……って、待て、胸筋がつるからそれは却下だ。
……ふむ、しかし魔術を一から考えるとはなかなかに、ロマンがあるな。
俺は思考から浮上すると、ラウレに笑みを見せる。
「ありがとう。あとは、技の開発のための時間ってところか?」
「う、うん……そのつもりなんだけどね……」
なぜかラウレは苦笑し、呆れた意識を向けてくる。
「さすが、空精。そういう考えることが好きだね」
なんだかバカにされて……はいないな。きみも例に漏れず、ってところか。
「アイデアがあるからな。それを早く形にしたいんだ」
「うん、それは良いことだよ。まあ、いきなり技を完成させるのは難しいと思うから、聞きたいことがあったら遠慮せずに聞いてね。ボクも力になれると思うから」
「ああ、そのときは頼む」
俺は会話を終えると、待ちきれないとばかりに思考を開始する。だが……。
――キュウ、クルルルル。
と、盛大な音を立てて、誰かの腹が鳴った。
「…………」
「…………」
ラウレが呆然と俺を見てくる。俺はたまらず顔を背けた。
「……イスハ?」
「悪い、食事にしないか?」
「いや、それはもちろんいいんだけど……そんなにおなかが空いてたなら、早く言ってくれたら良かったのに」
「……魔術に夢中になっててな」
俺は年甲斐もなく熱中し、体調を疎かにしていたことを恥じて、顔に熱が集まるのを感じる。だが、こんなことで赤面するなどそれこそ恥ずかしいことだ。俺は瞑想して心を落ち着ける。
……ふと、ラウレから絶大の好意と愛情の意識が向けられていることに気づく。
顔を上げれば、ラウレは俺のことを眺めてうっとりと締まりのない顔をしていた。
「……変態?」
「うぇ!? ……ち、違うよ!? 可愛いなって思っただけだよ!」
「ああ、まあ……」
気持ちはわからないでもない。今では俺も美少女だから、その赤面する姿は可愛いだろう。
しかし、それをあんなデレデレとした顔で見るのはどうなんだ? 養母ちゃんの少女趣味と似た何かを感じるんだが……。
「……俺を襲うのは勘弁な」
「しっ、しないよッ!?」
「それならいい」
まあ、養母ちゃんと比べればよほどマシだろう。養母ちゃんからはときどき貞操の危機を感じるからな……。
俺は気にしていないとばかりにひらひらと翼を振って、食事のためにウーリのもとに歩き出す。
そのドライな言動に拍子抜けしたのか、背後でラウレが不思議そうに言う。
「あれ? ……なんか慣れてる?」
「ああ、我が家には真正の変態がいるからな」
「それは……ご愁傷さま――ってボクは変態じゃないからね!?」
必死に反論するラウレが追いついてくるが、その意識は誤解された嫌悪ではなく、羞恥に染まっている。加えて、どこか楽しそうでもある。
変態予備軍に追いかけられて、相手が男なら引くところだが、ラウレは美少女だ。それに養母ちゃんと比べれば、この程度のじゃれあいなど可愛いもの。
今後もラウレを弄るネタにしようと思いつつ、俺はラウレを適当になだめるのだった。
「はーちゃん、あぁーしてぇ」
「あぁー」
「……な、なにしてるのかな?」
いつも通りにウーリの前でかがみ、ブドウのように青くて小さいルリの実をウーリの手で食べさせてもらっていると、ラウレが頬を引きつらせながら尋ねてきた。
先ほどちょうど目が覚めていたウーリに食事の世話を頼み、そこからは無我の境地に没入してヒナ鳥のように無心にルリの実を丸呑みにしていた俺は、ラウレの質問に無感情に答えようとして、それより先にウーリが弾む声で答える。
「はーちゃんに食べさせてあげてるのぉ」
「……えっと、それはイスハが頼んだのかな?」
「そぉ」
「へ、へぇ……キミってそういう……」
ラウレから嫌悪の意識が向けられてきて、俺はハッと正気を取り戻す。
「待て、それは誤解だ。手が使えないんだ。この通り」
俺は両翼をひらめかす。途端に、ラウレの嫌悪が消えて納得の表情に変わった。
「なーんだ、そっかぁ。てっきり、ウーリちゃんに世話させて喜ぶ変態かと思っちゃったよ」
「それは強く否定しておく。ラウレじゃあるまいし」
「なッ!? ボ、ボクだって違うよ!?」
「はーちゃん、あぁーしてぇ」
「あぁー」
「……それにしても、どことなく危ない絵だね」
急に熱が冷めたようにラウレから苦笑の気配がある。
まあ、外から見れば幼女に世話されることを自然に受け入れる少女の図だ。異性でないぶんマシかもしれないが、同性だからこその怪しさもある。
ラウレが見つめるなか、ウーリがせっせとルリの実を口元に運んでくれる。俺ばかりが食べているところを見られるのも気まずいので、ラウレに食事を促す。
「ラウレも食べたらどう? ああ、ウーリのことは気にしなくていい。ウーリは魔力を食べるから」
「そっか、魔物だもんね。じゃあボクも……」
ラウレはポーチから取り出していた宝石箱のようなものを開けた。そこにはサイコロ状の何かが入っていて、ラウレはそれをつまむと口に入れる。おそらく携帯食料だろう。
食べ慣れているのかラウレは表情を変えないまま小さな筒に口をつけて傾け、一息つく。
「ふぅ……。イスハも飲む? 普通の水だよ」
「ああ、いただく。……ウーリ、飲ませてくれ」
「はぁぃ。ウーリにお任せぇ」
俺はぐっと最大限にかがみ、口を開いて上を向く。ウーリはラウレから水筒を受け取ると俺の横に来て、真剣な表情で俺の口元に水筒を傾ける。
ゆっくりと、チョロロロと水が注がれる。
そこそこ口に溜まったところでウーリが注ぐのをやめ、俺は姿勢を戻して飲み干す。一連の動作の間、ラウレが呆れたような意識を向けてきていた。
「……なんというか、淀みないね」
「ウーリが俺の動きをよく観察して、考えて動いてくれているからな」
ウーリは優しくて気の利く子なのだ。たまに見当違いの方向に走ることもあるが。
俺がウーリを褒めると、ウーリはふわりと首を傾げる。
「はーちゃんはぁ、お世話しやすいよぉ?」
「……まあ、俺は世話され慣れてるから」
するとラウレが興味深そうに尋ねてくる。
「誰にお世話されていたのかな?」
「……俺を一から育ててくれた養母ちゃんだ」
「ふうん?」
俺が羞恥心とか拒否感とかもろもろを捨て去ざるをえなかった壮絶な過去を思い返して達観して告げると、ラウレは何かを察したようでそれ以上聞いては来なかった。
「はーちゃん、まだ飲むぅ?」
「いや、もういい。ありがとう、ウーリ。それとラウレも。
……ところで、この水はどこで?」
「魔界の空に浮遊している水場とか、地面の水溜まりとかからだね。水精魔術で汲んでいるから綺麗だと思うよ」
「そうか、そういう魔術があるのか。その宝石箱は?」
「宝石箱? ああ、これのことかな?」
ウーリから水筒を受け取ったラウレは、もう一方の手で宝石箱のようなものを掲げてみせる。それは両手ほどの大きさで、周りに宝石が埋め込まれている。
「これは携帯食料生産器だよ。周囲の魔力を取り込んで携帯食料を作ってくれるんだ」
「……そんな便利なものがあるのか」
「あ、現界にはないよ? 魔界産で、たぶんこっちでしかうまく機能しないと思う。たくさん魔力を使うから」
魔界では掃いて捨てるほどにある魔力だが、現界ではそうではない。つまり魔界限定の道具だろう。
俺は再びウーリにルリの実を食べさせてもらいながら、ラウレの話に耳を傾ける。
「魔界って食べ物がなくて大変だよね。基本的に植物が生えていないから、山菜とか木の実とか採れないし。動物も魔物しかいないし。まあ、魔物の中にはウーリトゥーリみたいに植物を作り出せるものもいるけど、そういうのはかなり珍しいからね。植物があるのはウーリトゥーリの領域とか、都サミットとか、かなり限定的だから、魔界堕ちした人からすれば魔界は過酷な環境だよね。魔物に襲われるのと同じくらい、餓死が怖いもの」
俺も内心同意しつつ、しかしルリの実を飲み込む姿勢を崩さずに食事を続ける。
「ボクもこの生産器を手に入れるまでは大変だったよ。一応魔界に来る前に食糧を用意していたんだけど、それも尽きちゃって。何度か現界と魔界を往復することになったんだ」
……そうか、ラウレは現界に戻る方法を知っているのか。
まあ、ウーリの件が片づいたら一緒に戻る予定だから、すぐにその方法を聞き出す必要はないだろう。
俺はそう考えながらも、ウーリから与えられるルリの実を食べ続ける。
「この食糧生産器をサミットで手に入れたあとは、随分と楽になったけどね。イスハも、さっきから青い木の実を食べてるけど、それも生産器でしょ? どこの集落で手に入れたのかな? 手に隠れるくらい小型化したものはサミットでも見かけなかったけど……」
ラウレが興味を隠しきれない様子で尋ねてくる。今の長話からもわかるように、ラウレは俺よりも食糧に苦労した身だ。
ラウレの期待に添えないのは残念だが、ラウレがウーリの正体を認めるきっかけになるかと想像しつつ、俺は答えを口にしようとして……ちょうどウーリが楽しそうにルリの実を差し出してきた。
「はーちゃん、あぁー」
「ちょっと待ってくれ。ラウレの質問に答えるから」
「あっ――はぁぃ」
ウーリはどうやら夢中になって気づいていなかったらしく、申し訳なさそうな意識を向けてくる。俺は気にするなとウーリの頭を撫で、ウーリの表情が明るくなるのを見届けると、ラウレに顔を向ける。
「これはな、ウーリの魔術だ」
「……え、生産器じゃないの?」
「そうだ」
「……転移だけじゃなくて、木の実まで作れるなんて……」
ラウレは尻尾をゆらりと振って考え込む。
ようやくウーリの正体に勘づき始めたかと期待していると、ラウレは難しそうな顔のままで告げる。
「複雑な心象魔術だね。見当もつかないよ」
「……ああ、そうだな」
ユニークとは固有魔術のことだろうか。ともかく、まだウーリの正体には結びつかないか。
俺は内心で気落ちしつつ、しかしこれからだと気持ちを切り替える。
その間にもラウレがウーリに話しかけている。
「ウーリちゃん、いい魔術持ってるね。ボクもその木の実、食べてみたいんだけど、一つもらってもいいかな?」
「いいよぉ。はぃ、らーちゃん、あぁー」
「えっ? あ、えっと…………」
ラウレは戸惑うように狐耳と尻尾を動かし、助けてほしいのかちらちらと俺を見てくる。……いや、俺だけというのも、な?
せっかくだから体験してもらおうと助け舟を出さず、黙って見守っていると、ついに根負けしたのかラウレは頬を染めてためらいがちに口を開く。
「……あ、あぁー」
少し屈んで恥ずかしそうに待ち受けるラウレ。その様子はすごく可愛いのだが……ラウレの心境がありありと想像できて、愛でるのではなく同情してしまう俺。
そんなことにはお構いなく、ウーリは嬉しそうにルリの実をラウレの口に中にそっと入れた。
ラウレはまだ赤い顔でもぐもぐと口を動かし、ルリの実を噛み潰す。
本来のルリの実は、それはもう兵器といっても過言ではない不味さなのだが、ウーリの出すルリの実はウーリの夢改造が施されたもの。果たして、ラウレは目が覚めたように青緑の瞳を見開いた。
「甘ッ! なにこれ!? 美味しい!」
「らーちゃん、まだ食べるぅ?」
「えっ、いいのかな!? 食べる、食べるよ!」
さっきまでの羞恥はどこへやら、嬉々としてウーリから食べさせてもらうラウレを眺めつつ、俺はふと、ラウレが木の実の正体に気づいていないことを悟る。
「そういえば言ってなかったが――」
「らーちゃん、あぁー」
「あぁー」
「――それ、ルリの実だ」
「はむ……ぶほぉ!?」
ラウレは噛む直前に吹き出した。
まだ原形を保った青い実が、ウーリの顔の横を鋭い角度で飛んでいく。
「あっ、あっ、ルリの実ッ!? ひぃっ! もったいないッ!」
血相を変え、泣きそうな表情で慌ててラウレは吹き出したルリの実を拾いに走る。そうして草の間からすぐにそれを見つけると、水を手に出して洗い、両手で大切そうに持ってこちらに戻って来る。
毎食食べてすっかり感覚の麻痺していた俺は、ラウレの取り乱しように申し訳なくていたたまれなかった。
「こっ、これ! 本当にルリの実!?」
「一応、そうだ」
「万能薬の素材の!? 一粒で金貨二十枚もする!?」
「そうだ」
「うぇ!? あっ、でもっ、聞いていたのと味が全然違うよ!?」
「ウーリが味を改良したから」
「えええッ!? そ、そんな!? 万能薬の不味さはルリの実が原因なんだよ!? それが美味しくなったら大変なことになっちゃうよっ! 少なくとも値段が二倍、いや三倍、いや四倍になるかも!?」
「まあ……今のところ売るつもりはないから、気にするな」
「気にするよおおお! 金貨八十枚もすると思ったらすっごく気にするよおおお!」
発狂するように叫ぶラウレ。隣でウーリがびくっと肩を跳ねさせている。
「ら、らーちゃん、大丈夫ぅ?」
「ウーリ、大丈夫だ。ウーリの作るルリの実がすごすぎて驚いているだけだから」
「わ、わかったぁ」
「じゃあ、食事の続きを頼む」
「はぁぃ」
そうして食事を再開していると、ラウレからぎょっと驚愕の意識が向けられる。
「さ、さっきからパクパク食べてるけど、それがどれだけ価値あるものかわかっているよね!?」
「んぐ。……ああ、わかっている。しかし、他に食べるものがないからな」
「あ……、それは、そうかもしれないけど……」
「べつに、減るものじゃないし、ラウレも食べたらどう? さすがルリの実だけあって、健康にいいぞ?」
「むっ、無理無理無理! 絶対無理! ボクもう食べられないよ!」
「そうか。じゃあ俺はまだ食べるので……ウーリ、あぁー」
「ええっ!? キミどんだけ食べるの!?」
「んぐ。……少女鳥は大食いなんだ。ルリの実は身体の調子を整えるが、エネルギーは少ない。何個も食べる必要があるから……一日二百粒くらい?」
「二百……ルリの実を……? それも改良されて一粒金貨八十枚……全部でいくらに……」
ふいに、ラウレの頭がふらつくと、その身体がゆっくりと傾きだす。
「――おっと」
俺は跳躍し、ラウレの身体を受け止める。
……ラウレは目を閉じてぐったりとしている。信じられないことに、気絶していた。
「そんなにショックだったか……」
「らーちゃん!?」
「あー、大丈夫だ。ウーリ、布団羊を出してくれる? 寝かせておけば回復するはずだから」
「そぉなのぉ……?」
「ああ。ルリの実の価値があまりにも高すぎて……って言っても、金銭感覚がないと理解は難しいか。とにかく驚きすぎて気を失っただけだから」
俺は改めてルリの実に思いをはせる。
……もっと低価格のもの、例えば俺の高級栄養調整丸薬とか、ラウレの携帯食料とかをウーリに複製してもらうという手もある。しかし、べつにルリの実じゃいけないということもないんだよな……。いくら高価だろうと、ウーリに作ってもらうぶんにはタダ同然だから。
結局、このままでもいいかと結論づける。
「はーちゃん、あぁー」
「あぁー」
ウーリの浮遊によりラウレを布団羊に横たえると、俺は再び無心になってルリの実を丸呑みし続けるのだった。




