17話 魔術を学び
「この世界は精霊でできているんだ。空気も、風も、土も、水も、火も、生き物も、あらゆるものが精霊でできているよ」
待ちに待った魔術の授業。
ラウレは常識のところから説明することにしたらしく、俺は首肯を返す。
養母ちゃんの教育のおかげで精霊のことなら俺も理解している。精霊とは、簡単にいえば原子と同義だ。自然界の構成物そのものを指している。そこには精霊信仰の要素も含まれていて、つまり、原子を精霊化させたものだった。
「精霊には代表する五精があって、それぞれ空精のエアリエル、地精のゲブ、水精のアプサラ、火精のヴァルコ、命精のセフィアだよ。ここまでは大丈夫かな?」
「ああ、大丈夫」
日常会話でも雨が降らなければ「水精の機嫌が悪いのだろう」なんて言い回しをする。大地の実りが少なければ「地精が体調を崩している」、強風の日であれば「空精が怒っている」など、五精はすっかり日常の一部なのだ。
ただし回りくどい表現ではあるので、公式の場やカッコつけたいときなどに使うのが一般的だと養母ちゃんが言っていた。どちらかといえば文語の要素が強いと思う。愛護ギルドの連中が俺にはやたら使ってくるのはそういうことなのだろう。
「魔術というのは一般的に、この五精を操る不思議な技術のことだよ。だから五精魔術とも言うね。正式名称は五精魔術なんだけど、“アーツ”を省略して五精魔術っていうことが多いかな」
「そうか。正式名称は知らなかった」
「うん。他にも空精魔術を空精魔術とは言わずに空精魔術って言うみたいに、たいていアーツを省略して言うから、学者じゃなければ正式名称は知らなくてもいいかもしれないね。専門用語みたいな感じかな」
「了解した」
「うん。……えっと、ここまでが基本知識なんだけど、イスハは問題なさそうだね。ウーリちゃんは……えっ」
ラウレが言葉を失う。俺は集中していてウーリの様子まで気を払っていなかったが、なにやら隣で大型生物の出現した気配がある。
ウーリのほうを見れば、案の定、大きな羊がウーリの後ろにいた。ウーリは今まさにその羊毛に埋もれようとしていたのを途中でやめて、こちらを不思議そうに見返している。
「どぉしたのぉ?」
「……いや、ウーリ、それって布団羊だよな?」
「そぉだよぉ?」
「何をするつもりだった?」
「眠るのぉ」
「……いや、その、なぜ?」
「眠たくなったからぁ」
そういえば以前、ウーリからお願いの区画に夜がないことを聞いたとき、いつ寝るのかと尋ねたら眠たくなったときと答えていたのを思い出す。
俺はラウレと顔を見合わせる。ラウレはそもそも状況を把握できていない様子で、狐耳とか尻尾とか視線とかが落ち着きなくうろうろしている。
まだ回復まで時間が掛かりそうなので、俺がウーリに尋ねることにする。
「ウーリには難しかった?」
「えっとぉ……精霊さんが、いっぱぃ……?」
……うん、間違ってはいないが。
「ウーリ、もしかして精霊の話は聞いたことがない?」
「ないよぉ。ニのお姉ちゃんも言ってなかったぁ」
「そうか。ラウレ、魔界で精霊の話はどのくらい知られてる?」
ラウレに話を振ると、ようやくウーリの羊睡眠ショックから回復したらしく、慌てたように口を開く。
「そ、そういえば聞いたことがないかな。精霊の代わりに魔力の話があるけど、あれは魔力のことだから……精霊に相当するものはないのかも」
「そうか。そうなるとウーリには精霊の話は不要な感じがするな。……まあ、ウーリは好きに行動するということでいいと思う」
「う、うん。そうだね」
俺たちがそう結論づけると、ウーリは「おやすみぃ」とそのまま羊毛に埋もれてあっという間に入眠した。入眠が早すぎるように思えるが、あの羊を使えばたぶん俺もああなる。
ウーリは羊に寄りかかるような体勢だが、しっかり眠るときは羊の上に乗って眠るので、今回はそれほど時間をかけずに目を覚ますだろう。
俺はラウレに向き直ると、苦笑を浮かべる。
「悪い。ただ、べつにラウレの説明が難しかったから眠くなったわけじゃなくて、ウーリも魔物だから精霊の話はよくわからなかったんだと思う。知識欲が旺盛ならまだしも、ウーリはそういうタイプでもないから」
「ううん、わかってるよ。知らないことをいきなり聞かされても困っちゃうもんね。
えっと、じゃあ、イスハは問題なさそうだから、次に進むね。今度は魔術の相性についてだよ」
魔術の相性と聞いて、俺は少し考える。
「相性の話は初めて聞くが、それは魔術が使えるかどうかの話?」
聞いたことのない話題なので興味が引かれるが、一方で不安を覚える。
実は魔術が使えない体質だったら目も当てられないんだが……。
「あ、えっと、魔術はたぶん誰でも使えるよ。そうじゃなくて、五精のうちどれが使いやすいかだね」
「そうか、それを聞いて安心した」
「紛らわしい言い方しちゃったね」
「いや、それはいいんだが……その相性はどうやってわかるんだ?」
特別な道具が必要だったら困るんだが……。
「相性がいい精霊を“親和精”って言うんだけど、親和性は個人の性格でだいたいわかるよ」
「……ん? 体質じゃないのか」
「そうだよ。
それで、よく言われているのは、繊細で丁寧な職人タイプは空精、大胆で力押しを好む肉体派は地精、穏和で平穏を求める聖人タイプは水精、変化や競争を好む変革者タイプは火精、独創的で天然な天才肌は命精だよ」
ラウレは淀みなく長文を言いきった。
「よく覚えていられるな……」
「実例を見てきたからね。それに、冒険者の間では有名な例えだよ。
それより、どうかな? イスハの親和精は見つかった?」
俺はうなずく。親和精を戦闘に関連づけながら理解していったので間違ってはいないはず。
「俺なりの解釈だが……、空精が技巧派、地精が力押し、水精が平和主義、火精が好戦的、命精が天然の天才肌と考えれば、俺は空精だ。ちなみにラウレは水精で、ウーリは水精と命精だと思う」
俺が予想を述べると、ラウレは青緑色の瞳を大きく見開く。
「いろいろすごいね……例えもだけど、イスハの答えはボクの見立てと同じだよ。それと、ボクの親和精は確かに水精だよ」
「五精同士の相性もあるんじゃないか? 技巧派の空精と力押しの地精は反発しそうだし、平和主義の水精と好戦的な火精もそうだと思うが」
「その通りだよ。空精と地精、水精と火精はそれぞれが対立関係にあるんだ。あと、命精は独立しているよ。絵を書くとこんな感じかな」
ラウレは手ごろな石をどけた地面に、石を使って十字の線を書き、線の両端にそれぞれ、空と地、水と火を書いていく。まるで数学のx軸とy軸のようだ。y軸の正の方向が空、負の方向が地になっていて、x軸の正の方向が火、負の方向が水になっている。
「……ん? 命精は?」
「命精はここだよ」
ラウレは地面から手を離すと、目の前の空中を指で示す。
……なるほど、いわばz軸。命精の独立とはそういうことか。
ラウレは石に触れた手をパンパンとはたき、立ち上がる。
「イスハの親和精は空精だから、不和精……相性の悪い精霊は、地精になるよ。ボクとウーリちゃんなら火精が不和精だね」
「なるほど、……わかりやすかった、ありがとう。
じゃあ、とりあえず俺は空精魔術を極めればいいんだな」
「そういうことだね。
事前知識はこのくらいにして、次は実践に移ろうと思うけど、いいかな? 早速、空精魔術の練習だよ」
俺とラウレはウーリの眠る羊から適度に離れると、いよいよ魔術の実践に入る。
俺は年甲斐もなく――身体は一歳だが気分はニ十八歳なので――興奮し、張りきって実践に取り組む。だが……。
「……空精魔術、できないんだが」
「え? そんなはずは……」
魔術の使い方は、なんというか、簡単すぎて逆に難しいものだった。
ラウレいわく、「風を起こそうとしてみたらできると思うよ」だそうだが……。
そんなバカなと半信半疑でやってみたところ、果たしてうまくいかなかった。それはそうだろう。俺が魔術の師としてラウレに教えてほしかったのは、理論立った技術なのだ。やればできるよ、なんてアバウトなことを言われても困る。
「ラウレ、もうちょっと理論を教えてくれ」
「……イスハは、命精と親和かもね」
「おい、どういう意味だ」
ラウレは困惑の意識とともに、変人を見るような視線を向けてくる。確か命精は天然の天才肌だから……ああ、天才には変人が多いということか。おい。
「理論ね……。本当は順番が逆なんだけど、魔力を使うイメージでやってみたらどうかな? 普通は魔術を使っているうちに魔力を感じられるようになるんだけど、魔界堕ちしているってことは、キミは既に魔力を感じられるよね? ……あれ? なんで魔力を感じられるの?」
「俺の特技だ」
「……やっぱりキミ、命精と親和だよね」
「天才という意味ならありがたく受け取っておく」
さて、早速やってみるか。まずは魔力を感知する。
魔力感知の感覚は、色をどう説明すればいいかわからないようなもので表現が難しいのだが、第三の目というのが近いかもしれない。というのも方角、距離、密度がわかるためだ。
それによれば夢界には魔界同様、濃い魔力が満ちていて、空気のように漂っている。そして俺の身体は吸着剤のように、周囲の魔力を体内に集めて保持していることがわかる。
……ふと気づく。魔界堕ちする直前、俺は体内で魔力のあふれでてくる点を認識した。しかし今はその点がない。
「ラウレ、魔界堕ちする前は、身体の中に魔力のあふれてくる点があったんだが、今はそれがないのはどうして?」
「その点って、魔孔のことかな? 魔孔は現界と魔界を繋ぐ孔のことだよ」
現界と魔界を繋ぐことから、俺は魔力のカラクリに思い至る。
「ああ、なるほど。現界にいたときは、魔孔という孔から魔界の魔力を取り込んでいたんだな?」
「察しがいいね。そういうことだよ」
つまり、魔力とは人の保有する潜在能力などではなく、魔界からの借り物だったわけだ。
「じゃあ、魔界堕ちしたら魔孔がなくなったのは?」
「ごめん、それはわからないよ。まだ解明されていないんじゃないかな」
「そうか」
俺は納得すると、魔力の話題ついでに別の質問もしてみる。
「それともう一つ。今の俺たちも、魔物みたいに周囲の魔力を取り込んでいるんだよな? 魔物のほうが圧倒的に魔力が多いのは、周囲から取り込んだ魔力を圧縮しているから?」
「うーん……たぶん、そうだと思うよ。魔物の人に聞いたわけじゃないからあくまで推測だけどね。ボクたちも魔力を圧縮できるのかもしれないけど、まあ、それは魔術を極めてからの課題かな」
「魔力圧縮は、一般的な技術じゃない?」
「少なくとも、魔物以外では聞かないかな。そもそも必要性を感じないっていうか……体内魔力がなくなっても、周囲から魔力を取り込めるからね。現界でも、魔孔から魔力を取り込めるし、大規模魔術をすぐに使わない限りは、魔力圧縮できなくても困らないかな」
「大規模魔術を使いたいときは?」
「そういうときは、かなり特殊なケースだよ。魔物を討伐するときとか、戦争のときとか……なんにせよ、時間はかかるけどその場でたくさん魔力を取り出せばいい話だから」
だとしても、魔力圧縮できれば便利なので、その技術が放置されていることに疑問を感じるが……とはいえ、あまりこの話題を引っ張ってもしょうがない。俺はひとまず納得することにする。本題は空精魔術の実践なのだから。
「なるほど、そうなるといかに効率良く魔術を運用するかが焦点になりそうだな。ありがとう、勉強になった。とりあえず、空精魔術の続きに戻ろうと思う」
「あ、そうだね……」
脱線に気づいて苦笑するラウレに見守られながら、俺は魔力感知を再開する。
とにかく空精魔術を成功させなければ話にならない。
俺は右の翼を前に出すと、翼から風が吹くことを想像しながら、翼に宿る魔力がすべて消費されるイメージをしてみる。
すると、翼の魔力が消えて翼の周囲を強風が吹き荒れた。その勢いで身体が飛ばされそうになり、反射的に踏ん張って耐える。
発動させた俺でさえ驚く強風に、ラウレが悲鳴を上げる。
「ひゃっ!?」
魔力を消費したきり補給しなかったためか、強風は次の瞬間にやんでいた。
俺は片方の翼でもう片方の翼の羽を撫でつけながら、同じようにもふもふの尻尾を慌てて手櫛ですいているラウレを見る。
「……悪い。それにしても、あっさり発動したな。これはこれで釈然としないが」
「いや、うまくいってなによりだけど……あれ? 初めてでこんな強い風が吹くっけ?」
ラウレは手櫛を止めると、空中に視線をさまよわせる。
俺は思いついたことを口にする。
「消費する魔力量の問題じゃないか? 一応、意識した通りの量を消費できたから、魔術の暴走ではないと思いたいが」
「そっか……え? なにそれすごい」
なぜかラウレが驚愕とともにこちらを見る。
俺としては言われた通り魔力を消費して発動させただけなので、どこに驚く要素があるのかさっぱりわからない。
初めてで暴走しなかったこと? いや、それにしては驚きすぎだろう。
「……すごいって、どこらへん?」
「普通は、魔術を使った結果、魔力が減っているんだよ」
当たり前のことを口にするラウレ。……いや、待て。
「魔力の消費量を決めてから魔術を使うんじゃないのか?」
「ボクにもできないよ、そんなこと。ていうか、魔力なんてそこまでハッキリわからないと思うけど……」
「……いや、ハッキリわかるが」
俺とラウレはお互いに困惑顔を見合わせる。
「…………」
「…………」
俺の【感知】がラウレのそれと異なる? いや、それならどうやってラウレは魔力を感知しているのかという話になるが……。
俺が黙考していると、沈黙に耐えかねたのかラウレが無理に明るい声を出す。
「と、とにかくおめでとう! イスハはあとで命精魔術も試してみるといいんじゃないかな!」
「……おい、命精でまとめようとするな」
ラウレは「あはは……」と視線を明後日のほうへと逃がす。
本来なら初の魔術成功とあって喜ぶ場面なのだが……非正規の方法で成功させてしまったような微妙な空気に、俺は先が思いやられてため息をつきたくなるのだった。