第二話「イア」
意識が覚醒してくると、次第に物がはっきりと見えてくるようになった。まだ感覚には慣れておらず少し曇って見えるが、目の前には黒髪ロングの……クールな美人といった感じの人が憂鬱な顔をして俺の事を覗き込んでいる。
意識して作っているのかは分からないが、その表情は男性の保護欲を引き立てて止まない妖艶な魅力を帯びていた。
そんな黒髪美人は俺が目を覚ましたのに気付き、物憂い表情を明るく変えて話しかけてきた。しかし……
「66、gtぜqt」
理解不能だった。少なくとも、自分が知っているどの言語とも似つかない言葉だったのだ(俺が他の国の言葉をそんなに知ってるわけでもないけど)。これを聞いて、自分は異世界に来てしまったんだな、と改めて実感する。
現実に起きたことを否定しても何も変わらないけど、それでも俺が異世界召喚なんて、不思議な夢を見たような気分だ。もしかしたらこれは唯の夢なんじゃないか……現実と空想、三次元と二次元の分別が出来る俺が、その様に思ってしまうのも無理はあるまい。
その時、不意に頭痛が走る。
乗り物酔いの様なよくあるガンガンとするようなものではなく、キーンと鋭い針を刺した様な……そんな痛みだ。それも、試みていた思考の全てが一瞬で一蹴されてしまう程の。
そんな真っ白の頭に残った言葉はただ一つ、『不思議な夢』。この言葉が痛みの要因となったのだろうか。
しかし、不思議な夢……? そんな物、見た記憶がない。最近見た夢はエルフの様な長い耳と白い肌を持った人と放送禁止用語ってた夢だけだ。たった二日我慢しただけなのに……。全てが弾け飛ぶ爽快な気持ちになった事後にすぐ目が覚め、冷静に最短ルートでシャワーに走った覚えがある。
そんなくだらないことを考えていると、女の人は俺に自分の言葉がさっぱり通じてないことを感じ取ったのか、納得したように言葉を続ける。
「33、bsftlてwぐえkt。c;うおあ9zsj-46t:94」
彼女がそう言い終わって俺に手をかざした瞬間、俺は光に包まれた。これは教室の時と同じものだろうか。何だか少し暖かいような、むず痒いような感覚が体を襲う。
そして次の瞬間。
「さて、これで大丈夫?」
「ふぇ?」
思わず変な声が出てしまった。なにせ女の人の言葉が日本語で理解できるようになっていたのだ。
こんなことをされると、もはや異世界召喚されたんだと認めざるを得ない。
しかし、5歳と言っていたがかなり声が高いな。声変わりしなかった元の俺の声と比べても相当高いし、まるで俺が俺じゃないみたいだ。まあこの年齢の子供は変声も全くしてないし、男でも女でも同じ様なもんか。
「私の名はイア。貴方の名は?」
言葉が理解できる様になったわけだし、ここは自分から名乗り出るべきだろうか……と考えている内に、先に名乗られてしまった。
イアか……地球ではいあいあ言って邪神を讃えてたけど、こっちではそんな意味は無いだろう。
まあそんなことはさておき、自分の番だ……と思った時、違和感は露出する。
「……あれ?」
前の名前が思い出せないのだ。口から出掛かってるのに、何処かで魚の骨の様に引っかかって出てこない。
体は5歳でも中身は育ち盛りの高校生である俺が、自分の名前を忘れるなんて、もしかして若年性の痴呆とか、そういう系統の病気にかかってるわけじゃないよな……?
冗談じゃないぞ。割とマジで……
「もしかして忘れちゃったのかしら?」
俺はその言葉に頷いた。
目の前の人、イアさんは日本には滅多にいない凄い美人だ。……でも、逆に言えば万分の一の確率でエンカウントしてもおかしくはない、そんな美人に見える。
しかしその実は例の神に言わせてみれば、この世界では『かなり強い』部類の人間だと言う。強さの基準もまだわからないし、見た目にそぐわない強さを持ってる可能性だって十分にある。下手な受け答えで怒らせるわけにもいかないので、正直に答える。
「そう……まあしょうがないわ。何てったってあの界渡りをして来たのでしょう? 普通の人間なら精神的に折れて脳の中身がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる様な場所なんだから、狂人になってないだけでも儲けものね。自分の名前の一つや二つ位失ったって死ぬ訳でもないし、また名付ければいい。貴方は恵まれてるのね」
不意に頭が最大限の警鐘を鳴らしてピンっと痛む。さっきの『不思議な夢』と同じ様な痛みだ。彼女……イアさんの言葉に何か可笑しい点があったのだろうか。
しかし、俺がそんなことになってることも露知らずイアさんは話し続ける。
「まあそんな年寄りの戯言はさておき、まずは一連の出来事について知ってることを教えて頂戴。するとしないとでは対応が変わっちゃうから」
「……? わかりました」
俺は二十代前半か十代後半にしか見えないイアさんの『年寄りの戯言』という言葉に違和感を抱いたものの、取り敢えず答えるのが先だと気を取り直して首を縦に振り、自身に起こった出来事を話し始めたのであった。
◇◆◇
「……という訳で此処に来たのですが……はっきり言って一連の出来事があまりに現実味が無さすぎてよく分かっていないんです」
俺は攣りそうな程顔を無理矢理引き攣らせて、貼り付けた様な笑顔を作りながら何とか話し終えた。助けてくれ。いや、ほんと、マジで。
何でこうなってるのかって? 答えは簡単。ここまでの出来事を話していく内にイアさんの顔がどんどん歪んでいくんだ。
しかも途中から悪寒を感じる気配が滲み出てたし……漫画とかで例えるなら〝殺気〟かな?
最初はイアさんの事、魔法を使える美人だと思ってましたが変わりました。化け物ですわ。この状況でお漏らししなかった俺は最上の賛美を受けていいと思う。
ともあれ、俺が語り終えた後、イアさんはぽつりぽつりと話し始めた。何か追い詰められた草食動物の気持ちがわかった気がする。
「成程……そういう認識なのね。あいつはいつもいつもこうやって面倒事を押し付けてきやがる……おっと失礼、思わず殺気が漏れちゃったわ。ごめんなさい」
同時にイアさんの表情も元に戻って悪寒は消え去り、普通に行動できるようになった。しかし、聞き間違いじゃなければ今神様のことをあいつとか言った!? 神様だよね? そんなぞんざいに扱っていいの!? というかイアさん口調変わってるし!
「私はあいつに君がこの世界で生きていけるように世話を頼まれたのよ。……頼まれた、と言うよりは一方的に押し付けられた、の方が近いけど。
あなたも突然あの糞にこんなところに放り込まれて訳が分からないでしょう。何でも知らないことを聞いていいわよ」
あ、今度は糞とか言ったよ。やっぱり神様のことどうとも思ってないな。
……それはともかく、聞きたいことを聞けるチャンスだ。自重せずに思いっきり聞こう。ここはどこだとか肉体のことだとか聞きたいことはいっぱいあるけど、まずはこれだ。
「この世界には、魔法があるのですか?」
It's浪漫。これぞ異世界。テンプレの有無にかかわらず大抵の小説や漫画にはこれがある。子供の頃誰もいない所でこそっとゲームの呪文を詠唱してみた人もいるはず。魔法とは誰もが憧れる物なのだ。ちなみに俺は小学生の頃先生にアバダケタブラ連呼してたぞ。どんだけ殺したいんだか……
「あるわよ。属性とかもあったりするの。そこからはちょっと面倒な話になるけど」
よっしゃぁ! ……とちょっと待て。何も俺が使えるとは言ってない。極論、この世界では強い部類に入るというイアさんが例外で、普通人間には使用出来ず、使えるのはモンスターオンリーかも知れないのだ。
「じゃあ、俺も使えるんですか?」
イアさんは、少し怪訝な表情を浮かべてから答えた。
「ああ、あなたなら文句なしね。ちょっと魔法で適性を調べてみましょうか。《基本を一とし彼の能力を開示せよ》」
すると、目の前に光輝く板状の物が現れた。すごい。ステータスなんてあるのか。本当にゲームの中に入ったようだな。どれどれ……
名前 無し
※エラーが発生しています。対象の個人名称データは破損しています
5歳 女
種族及び性質 精神生命体
適正属性 毒 水 氷 火 風 土 電 闇 聖 無 増 止 反 空間 時
体力 10/10 189250
魔力 150/150 259000
攻撃力 5 34500
防御力 10 78000
魔法攻撃力 50 128000
魔法防御力 1500 1087645
能力及び技能
《完全記憶》《思考加速》《肉体変化》《不死》《不撓不屈》《ポーカーフェイス》《整理》《理解》
祝福及び加護
《気まぐれな神の加護》《転移者》《界渡り》《傍観者》
「ちなみに体力とかの横に書いてある数字は《素質値》と言って、まあ、読んで字のごとくって感じ。これからどれ位成長するのか大まかに示してくれる数字よ。
ボソッ(強くなるとこのステータス当てにならなくなるんだけど)」
……チート臭いぞ。なんだよ。魔法防御の素質値が百万超えてるし、不死とか字の通りだと明らかにチートかな?それに適正属性も明らかに可笑しいやつが混じってる気が……
まあ、アレだ。異世界だから、価値観が違うかもしれない。だからみんながみんな時とか空間魔法を使えるのかもしれないし、この世界のステータスはあまり補正とかがないのかもしれないからな。前の世界のステータスはSTRとかINTみたく英語が多かったにも関わらず、これは表記が堅苦しいし。糠喜びは禁物だぞ。
ちょっと気になる表記もあったし質問タイムといこう。
「すみません、少し質問をしてもいいですか?」
「もちろん」
「このステータスは普通なんでしょうか?」
「正直《普通》がどの位かちょっとうろ覚えだけど、素質値が高い以外はそこそこって感じ。適正も職業も素質値も界渡りで鍛えられたようだし。属性も、私が知っている二十八の中の十五は使える様だしね」
そういや神も『常識に疎い』って言ってたし、この世界の平均や、普通について彼女に質問するのは少し拙そうだ。言葉の意味みたいに、知り過ぎても悪くは無いし基本不変な筈の知識系から質問しよう。
「界渡りって何ですか?」
「世界から他の世界に渡ること。普通は転移魔法を使用の上、何重にも魂に保護をしてやるんだけど、あなたはどうやら違うようね。貴方の方法だと保護ありでも魂が四散して消滅する可能性もあるから、最低限の保護で消滅しなかったあなたはもともと心が強かったんでしょうけど」
「魔法の属性ってどんなものがあるんですか?」
「知る限りだと毒、火、水、氷、風、土、電、闇、聖、無、邪、空、理、星、増、止、反、動、静、変、振、重、核、時、獄、真の理、超、虚ぐらい。私の知る範囲だからもっと多いと思うわ」
最後の方とか物騒な属性があった気がするが、気にしないことだ。でも属性の数から考えて、この世界の魔法は大体のことが出来る万能の力って感じがする。
「何か名前の欄に個人名称データが破損って書いてて名前が無しになってるんですけど……」
「ステータスは心身の表層の情報を数値化、文字化する魔法だから存在しない名称が出てきたらエラーが起きるのよ」
「あとは、《理解》ってどんな能力なんですか?」
他のスキルは見てくれで何となく効果がわかるが、唯一これだけは全く分からん。
「友達で持ってた人がいるけど、多分何かをする時、それを適切にする方法が分かるっていうのと、物や文字の意味を理解できるっていう能力だったかしら。制約は多いけど、かなり便利な能力だと思うわ」
お、これならステータスの能力の意味も分かるかもな。
「他には……ええと」
今すぐ知りたいことはこれぐらいか?
……いいや、あと一つあった。まるで冗談の様な、可笑しな表記がステータスにあったからね。
どうせバグってるって笑い飛ばしてくれる筈だし、一応聞いてみよう。うん。
何度も躊躇いながらも意を決して俺はその質問を口にする。
「あのーもしかして……もしかすると俺って女になっちゃってます?」
「もしかしなくても、もともと女じゃないの?」
「えぇっ……は、はああああああああぁぁぁぁ!?」
……そう、俺が異世界で最初に失ったものは男の証と、三十歳で賢者になるための称号であった。
つまるところ……俺は女になってしまったのだ。