始まり
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真と西田の下り他、少々訂正
六月なのにセミの喧しい声が響く炎天下、暑さに辟易しながら自転車を漕いで学校に到着した俺、東野 真はいつもと何ら変わり映えの無い自分の席に座り、支度を整えた。
教室内は誰が付けたか冷房が効いており、オアシスという比喩がぴったりの空間になっていて、外の茹だる様な暑さとのギャップがそれを後押ししていた。
少し来るには早い時間だが周囲はちらほら来ており、皆スマホの画面をのぞき込んだり、勉強をしたりしている。今はかなり静かなこの教室だが、後十数分も経てば部活の朝練習から帰って来た者で賑やかなことになる事は容易に想像できる。
一息ついたところで俺は鞄から本を取り出した。
元々本が好きだった俺だが、中学の時に苛められてからはさらにどっぷりと浸かっていた。
ちなみに中学校の時はプライドか何か知らないが、気取って哲学の本や経済学、純文学とかに手を出していたが(勿論文字を目で追うだけで理解はしてない)、高校になってからはそんなプライドなんかかなぐり捨て、どうせ自分に読解能力なんかないんだと割り切り普通の小説しか読んでいない。
ところで、今俺はライトノベルにはまっていた。ままならない現実の中、慎重に周囲を日和見て行動する余り気疲れしている俺には、ご都合主義の鏡でありほぼ障害なく軽快に読めるライトノベルは清涼な風となっていた。
汗がその身から引くのを感じながらページを捲った本の題名は、「ちょっと異世界行って来たんだが何か質問ない?」二巻。
……異世界転生ラノベの典型的な題名だろう。文章題、某チャンネルのスレの様な名前、題名に異世界。テンプレをこれでもかと踏襲している量産型的な名前だ。
ストーリーはというと……
自宅警備員で、高校中退、就職失敗、おまけにDTの五味 直人、三十歳。こだわりや、容姿への執着はないのに生まれて今まで彼女募集中。
そんなゴミだが、ある日自宅で震度七の地震が起こり、二百五十キロ爆弾が撃ち込まれ、自宅に隕石が落下、持ち前の豪運で奇跡的に生き残るが、最後に魔法陣のようなものでレーザーを打たれ死んでしまう。
気が付くと白い部屋にいて女神さんに「あんた死んだよー」とか言われ、スキルやらステータスやらがある剣と魔法の世界に転生することになった。勿論チートスキル付きで。
容姿とかの設定をして準備完了と思い、女神さまにそのことをつたえると、テキトーに、なんかやばそうな洞窟に投げ出されてしまった。
しかし、持ち前の豪運を駆使して(要は運任せのクソゲー)ゴミは異世界で平穏な(以前のような惰眠をむさぼるような)暮らしを目指すこと、DTを卒業しハーレムを作ることの2つを目標に、ゴミは今日も異世界を縦横無尽に冒険する!!
……という感じのコメディタッチな作品だ。表紙には「273万PV突破!」とか、「9000部突破! 大幅増刷!」等といまいちパッとしない言葉が並んでいる。でもこの作品、ネット界隅ではかなり評価が高く、隠れた名作として認知されているんだっけ。
一方で題名もさることながら、ステータス、ハーレム、異世界転生、チート、ご都合主義等これでもかと言う程テンプレ要素が入っているので合わない者には合わない小説と言えるだろう。
……平凡を望んでいる俺だが、この作品の様に自分よりも冴えない主人公が異世界で活躍している本を見るとふと思ってしまうことがある。
――もし、異世界に転生することができたなら――と。異世界なら性欲を抑える魔法もあるかもしれないし、異世界でなくとも転生すれば容姿や性欲のコンプレックスが改善するかも知れない。何よりこの、人とのちょっとした違いで理不尽に虐げられたりする腐った現実から解放される。
まあ、実際には異世界も「ご都合主義」なんてない「現実」であり、チートなんか無く、衛生面や倫理面なんかは今よりも酷い代物かもしれないのだが(実際異世界転生物の小説で描かれる異世界は大抵現代より命の価値が軽くポンポン人が死んだりするし、舞台が西洋の中世が多いからか下水の事情もあまり宜しくない)……こういう系統の本を見るとそんなことがわかっていても異世界の評価を上方修正してしまうのはしょうがないことだろう。
俺がもし異世界に転生することが出来たら、冒険者になって魔物を倒したり、魔法を使ってみたい。
それに、異世界に行くとしたら異種族のハーレムなども外せないな。エルフ、獣人、謎の技術で擬人化した龍……中には魔王なんて変わり種もある。でもよく考えれば余り増え過ぎるとヤンデレ化してハーレム内の殺し合いに発展するかもしれない。ちょっと管理が大変そうだし、何よりハーレムは俺にとっちゃ望み過ぎだろう。大切な人が一人でもできればそれで満足。御の字だ。
……しかし、こんな風に発展していった思考も、「異世界転生」という前提自体不可能なのは言うまでもないので、最後には笑い飛ばした。
俺が生まれて十七年間。その中で一丁前にできた座右の銘は「ご都合主義なんてありはしない」ということ。異世界転生とか異世界召喚なんかはその真骨頂だし、有り得るわけがない。
そこまで考えて一息つくと、思考から気を取り直して本に目を向ける。
すると、ドアの開く音と共に騒がしい声。
どうやらそこそこ時間が経っていたようで、朝練組が帰って来た様だ。そして、
「よう、マコト。今日も可愛いな」
とか、俺の気にさわる所か神経をペロペロ舐め回す様な事を言いながら近付いてきた奴がいる。
見ると、そこにはいつもの友人? のニヤニヤした顔。
――こいつは、西田 大輝。中学時代はかなりモテたらしいが(実際俺から見て十人に六人はかっこいいというような顔はしている。クラスに二、三人はいる人気の男子って感じだ)、生憎このクラスの容姿のレベルはそんなものじゃないのだ。その程度の容姿は平均でしかない。
このクラスの一通りの女子に告って玉砕してから(殆どの人に『好きな人がいる』とか言われた)、なぜか俺をからかう様になってきた。お調子者だがクラスのムードメーカーでもあり、根はいいやつだ。
何も言わないのもアレなので、とりあえず適当に言い返す。
「朝一番のあいさつがそれかよ」
「しょうがないだろ。実際可愛いんだから」
……多分、多分いい奴だ。
しかし文面だけ見れば俺の名前のせいか普通に聞こえるが、実際には異常だ……。
思わず溜息をついて俺は反論する。
「このクラスは男色なんか入る余地がないほどの美人ぞろいじゃん。お前が真正のホモならともかくさあ、女子を諦めてまで男子にせまる程か? 〝五大美女〟なんて言葉もこのクラスにはあるしな」
すると、その問に対し西田は俺の理解の範疇を遥かに超えた答えを導き出す。
「玉砕以来五大美女は勿論、クラスの女子に冷たい目で見られる上に避けられるんだよ! つまり、俺はどうしようと女っぽい上に俺を避けないお前で女成分を補給するしかないんだ!」
「いや、なんというか、性別が違うだろ……」
……前言撤回する。駄目だこいつ。熱意の方向を致命的に間違えてる。それに……
「それに、カンナはどうするんだ?」
「ああ、あいつは女として見れないからナシで」
とその時。
ガララララッ!
大きな音をたててドアが開き、140あるかないかのちびっこい女の子が入って来て。
「うっげ、お前はカンナ! お前別のクラスのはずだろ!」
「悪いけど私は自分の事に関して地獄耳でね。あんた……もしかしなくても私を女扱いして無いでしょ!!」
示し合わせた様に夫婦漫才が始まった。
西田の幼馴染、カンナだ。幼稚園以来ずっと同じ学校、同じクラスであり、本来西田はカンナを避けるためにこの高校を受験したらしい。結果はご覧の通り、失敗した訳だが。
「いや、幼馴染の上こんな可愛げの無いちびっこなんて俺のストライクゾーンに一ミリも入ってねえしー? 第一俺の好みは巨乳なおねーさんか可愛い娘で出来れば逆レイプとかされそうな妖艶な気配を出してるお前と真逆の人種だしー? てかそもそもこんな口の悪い女いないから!! 真の方がまだ女っぽいから!」
ここぞとばかりにマシンガントークで聞きたくもない性癖を暴露してくる西田に、俺は突っ込まずにはいられなかった。
「お前、もう少しマトモな事言えないのかよ……それに女っぽいって地味にショックだからな」
「へっ! 文句あるならカンナに言うんだな!」
しかし当人は悪びれる様子もなく、クズっぷりを発揮する……が。
ストレートに言われた本人は俺なんか比じゃない程にお怒りのご様子で。
「ちびっこぉ? 女じゃないぃ?」
突如カンナの声が下がる。後ろに鬼の様な何かが見えたのは俺だけだろうか……。
「え、きゅ、急にどうしたんですか、カンナさん……あ、そうだ。カンナさん甘ェもん好きだろ? 今日はこのお菓子の新しい味を用意したんですぜ、へへ」
西田は怒らせたと気づくや否や、必死にへりくだってどうにか怒りを鎮めようとする……が。
コンプレックスを散々弄った女子に対して、そんな適当な誤魔化しが効くはずもなく。
「ちょっと真くん、こいつ借りてもいいかしら♪」
「大歓迎です」
そういうと、カンナは了解とばかりにサムズアップし、どこからそんな力が出るのか、そこそこ背も高く中々に重いはずの西田を片手で引きずっていく。
「あ、ちょっ、マコト! お前は俺の味方じゃないのかよぉぉ!」
俺はその問に対し最大限の笑みでサムズアップしてやった。
「クソ畜生ォがあああぁぁぁ!!!!」
ガシャン!
こうして西田は幼馴染のカンナに連れ去られていった。どうぞ、末永く女成分とか言う奴を補給して来い。あ、帰って来なくていいぞ。
ここまでが毎朝一連の流れである。ほんと、西田も俺なんかに声掛ける位ならカンナさんと付き合ってしまえばいいのに。
カンナもあれはあれでしおらしくすれば、相当可愛いと思うんだけどな。
俺はハア、と溜息をつくとそんな事を考えながら本に向き直った。
すると、その少し後に隣の席から可愛い声が聴こえてくる。
「おはよう、マコト君」
このクラスの五大美女のうちの一人、水野 優月さんだ。去年も同じクラスだったのでこうして挨拶を交わしたり、ちょっとした話をする程度には親しかったりする。
ぱっちりとした目に、すらっとした鼻。それに花びらを添えるかの如くお淑やかに存在している唇。そんな絶妙なバランスの元成り立っているかわいらしい顔立ちに、流れる様な美しいポニーテールがよく似合っている。
出来ることならこんな人と結婚したいが……俺には高嶺の花だ。将来は現実を直視して、自分の容姿に見合った人と結婚したい。二十五過ぎたら結婚相談所に行くことは心の中で内定済みだ。
まあ、そんなことは関係なく俺には彼女を持たない諸事情があったりするのだが。
……一度も告られたことなんてないからな! 別に告られてOKしたら苛めの延長線上、つまりはイタズラだった、みたいな悲惨な過去なんてないからな!
嗚呼、世知辛い世の中だ……。
俺は今日何度目か分からない溜息をつきそうになるが、何とか堪え、笑顔を作る。
「おはよう、水野さん」
なるべく波風をたたせたくないので軽く会釈して返事を返す。
何故って? 簡単な話だ。小説にボーイミーツガールなんてジャンルがあることからもわかる通り、昔から美人というものは厄介事の塊なのだ。
ましてや画面の中からそのまま出て来たような類まれなる容姿の持ち主である彼女。周囲では何が起こるかわからないし、静かに生きたい俺は関わりを最小限にするべきだろう。
「水野さん、そんな辛気臭い奴と話さずに僕と話そう」
これを世間一般的には一行でフラグ回収と言うのですね……ってそんなことはどうでもいい。
どうやら恐れていた事態がおこってしまったようだ。
横槍を入れたのは、このクラスの三大イケメンの一人、金堂 新。
少々強引な性格だが、モデル顔負けのルックスでしかも全国常連のサッカー部のエース。こんなゲームに出てくるような奴が女子に人気がないわけがなく、案の定この学校とその近隣の学校を跨いだファンクラブ(会員は約千人)も存在している。
「……」
気のせいか、水野さんの方から舌打ちが聞こえた気がした。
でも表情が変わってないし、何よりあんなリア充の塊の様な奴が話しかけてるのだ。辛気臭い俺と喋るよりは、金堂と喋る方が本意だろう。水野さんの後ろの席には少なからず女子もいるし、どうせそのへんが嫉妬してしたんだろう。
「で、でも私はマコト君と……」
「君の隣にはぼくしか似合わないよ」
あいつ、スイッチはいったな。これを男子はイケメンモードと呼んでいる。俺と一部の男子以外は全員体験済みだとか。……非リア充で悪かったな!
しかし、聞くだけで痛々しい発言だが、イケメンが言うとまるで映画のワンシーンの様で違和感がなかったりする。
……俺がやったら笑いしか起きないだろう。これだから非凡な容姿のやつは反則なんだよな……顔の骨格と表面の薄皮一枚寄越せ。
と、そのとき。面倒事の予感しかしなかったこの状況では、救世主とでも言うべき声が掛かる。
「君達、ホームルームの時間だから自分の席に戻ろうか」
このクラスのクラス委員長、宇賀神 征史だ。
彼を一言で表そうとすると、どうしても「完璧」や、「傑物」といった類の言葉しか思いつかない。性格、成績、身体能力、育ち、容姿、人徳……欠けた要素が見つからない、三大イケメンのひとりだ。このハイスペッククラス四十人の中でもリアルチートという言葉がこれ以上無い程似合う人間である。
一例として運動神経の話をすれば、余り運動している風には見えないのにサッカーで金堂と互角以上に渡り合う壊れステータス。動きが速すぎて見えないなんて漫画の話だと思ってたぞ。
唯一あったからかい所は妹に対してイケメンモードになったことがある位。あの時は遠い目をしてたな……
しかし、そんなリアルチートが近くにいるせいで、異世界に転生したらあんな奴になれるのかな……なんて思ってしまう。
まあ、正直異世界転生、転移系の物語でも、彼を超える様な傑物は大抵神とかそんなイカれた存在ぐらいなので、異世界転生しても勝てる自信は無いが。
◇◆◇
それから少し経って。
HR担任の香先生の授業の時間。
「ここは…………ですから……」
黒板の真ん中あたりに板書が差し掛かったところで、突然先生が筆を止めた。
「あれっ? 黒板ちゃんと消しましたかー? ふしぎな模様が書いてあるのですが……先生は怒らないので誰かやった人いませんかー?」
このセリフだけ見るとあざとく見えるかも知れないが、香先生はこれを意識してやっている訳では無い。単純にド天然なだけだ。
どれほどかというと、自分の眼鏡をおでこに乗せたまま「眼鏡を見かけた人いませんかー?」とか言ってるレベル。これを演じているのなら大した役者だ。
しかしそんなアホの子なところがまた生徒たちには気に入られていて、生徒たちにはかおりん先生とか、かおりんとか呼ばれている。
そんな先生が言ったことなので、みんないつもの冗談か見間違いだと思い、先生を生暖かい目で見ていた。
……黒板の全体に魔法陣のようなものが出てくるまでは。
「な、なんだよあ……」「きゃああああぁぁぁ!!」「う、うわあああああぁぁぁぁ!!」
途端、魔法陣から光があふれ、目を開けられないほどの光量を感じながら俺は意識を失った。