第九話 「少年アル」
転移をしている間の感覚を想像出来るだろうか、と言われて容易く思い付く人はいるまい。無論俺もその一人……だった。
……転移時に感じる感覚、それは俺の場合不安感。
転移魔法と言ったって、瞬時に移動できる訳では無い。一度、よくわからない場所……界渡りの空間に近い様な場所を経由してから、目的地に到着する。
その空間に留まる時間は、最早時間で例えられない程短い間なんだけど……確かにある。
強化された俺の体は、その光景をはっきり映し出す。時間は走馬灯の様に、一瞬でありながら永遠。
瞬間、俺は膨大な情報の海と化している空間にたった一人取り残される錯覚に陥る。
まるで……世界は、時は、空間は、みんなは、俺だけを置き去りにして……ぐるぐる回ってるんじゃないか。みんなが楽しく笑っている円の外側で、それをただ眺めるだけの存在……それが俺なのではないか。そんな根拠の無い、適当に一蹴出来そうな不安。
界渡りに似てるからって理由もしっくりこないし、なんでこんな馬鹿げた事を考えてしまうのかはわからない。
それでも……転移の瞬間、俺は確かにそう感じていた。
◇◆◇
目の前に広がるのは、規則正しく並んだ煉瓦造りの巨大な城壁と、活気と威厳に満ちた城門。大きさではとても日本の高層ビルに叶わないはずの無骨なソレは、俺の体が小さくなったからか妙に立派で迫力に満ちていた。
空は晴れ渡り、うっとりするほど爽やかな風が緑のじゅうたんとまだらに咲く新鮮な黄色の花を揺らす。イアさんの家の周辺は殆ど森かそれが少し開けただけだったし、ましてや日本では中途半端に都会なベットタウンに住んでいた俺だ。こんな場所に来たのは家族との旅行以来だった。
俺は息を大きく吸いこみ、目の前の大きな城塞都市に思いを寄せる。
そう、俺、忘れた名前改めトラシアは遂に異世界の街に到着したのだった。
◇◆◇
(さて、取り敢えずは弱体化がどれくらいだったかだな)
俺は城門を目指しながら、戦力分析の為にステータス魔法を使う。イアさんの魔法によって弱体化した今、三歳児の脆弱な体では些細な事で死の危険が付きまとうだろう。無論死にそうになったら弱体化が解除されるとはいえ、そんな自体はなるべく避けたい。
【名前 トラシア
5歳 女
種族及び性質 精神生命体
適正属性 毒 水 氷 火 風 土 電 闇 聖 無 増 動 止 静 反 変 空間 時
可能性 理の可能性 僅かに振の可能性
体力 120/120 ERROR
魔力 45/45 ERROR
攻撃力 130 ERROR
防御力 68 ERROR
魔法攻撃力 187 ERROR
魔法防御力 120 ERROR
注意
素質値の測定に障害が生じました。自身にかかっている魔法やその他の能力上昇効果を全て解除して再度試行して下さい。
能力及び技能
《完全記憶》《思考加速》《肉体変化》《不死》《不撓不屈》《ポーカーフェイス》《整理》《理解》《並列思考》《超速計算》《魔力暴走》《無詠唱魔法》《覚醒》
祝福及び加護
《気まぐれな神の加護》《転移者》《界渡り》《傍観者》《たけyzばっybwかいるにa》《eつhasnもu》《チめぇアぺr》】
途端多量の情報が頭を支配するが、その程度は想定済み。だけど……問題はそこではない。
(これは……酷い)
想像以上の散々な結果に俺は思わず顔を顰める。能力及び技能が変化していない点から考えると、一ヶ月で習得した技能や知識は変わらないだろうが……それにしてもそもそもの能力値が酷い。
以前の俺がおかしいのは認めるが、今の攻撃や防御の数値は運動神経の良い高校生程度。俺が幼児体型であることを考えれば十分異常だが、この数値、わかりやすく言うと「大人二人で組み伏せることができる」程度なのだ。
もし大人数に追いかけられる自体になったら、かなり厳しい戦いになる事は想像に難くない。
それに、この程度の魔力だと時属性魔法や空間属性魔法はおろか、範囲魔法すら満足に使えない。使えるものといえば精々「ファイアボール」とか、自衛用の反射魔法、緊急回避時に1メートルに満たない程度の転移位(一回なら使えるだろう。代償に以後魔力が回復するまで魔法を一切使えなくなるが)。
「自衛は武術を使うしかないな」
はじき出された結論は、技術のみを使うということ。
例えば集団戦に巻き込まれたとしよう。そうなった時、俺の場合最善は威力が高く広範囲を無力化できる範囲魔法で一気に殲滅することだ。しかし、この状態では範囲魔法など最低限の魔力を残したとしても打てて一発。そこに銃弾か、それに準ずる速度の何かが突撃してきたら。
銃弾は一直線に飛んでいくので銃口の先で予測する、なんて物語の主人公はほざいてるが、乱戦の中、全ての銃口に目を向けられるはずが無い。城塞都市が現役のこの文明では銃の狙いが不正確で、当たることが少ないとはいえ逆に考えると思いもしない所から飛んでくる可能性もある。そんな時高校生程度の力、そして動体視力しか持たない俺に避けることは不可能だろう。
故に必然的にそれを反射出来る程度の魔力マージンは持っておきたい。そうなると、行き着く先は自然とそれ一択になるのだった。
ああ、それと幼女が銃弾の飛び交う戦場に行く筈がない、なんて事は考えない方がいい。魔法使いとは、戦場で悠々自適に闊歩する大砲……謂わば無敵の切り札の様な物。他の兵士が死の恐怖と戦っている横で、反射魔法を尻目に一人死から切り離されている存在なのだ。数多くの口煩い「人権を守る」団体に加えて周囲の国の息苦しい監視がある元の世界はともかく、この世界がそんな便利な魔法使い、それも価値観の植え付けが可能な年頃のそれを放っておく程寛容なはずがないだろう。
「たっく……イアさんもとんだ土産を持たせてくれたな」
俺はイアさんに対する愚痴を吐きながらも、どうにか生きて行く為に色々な策を考える事にした。
例えば、周囲を囲まれた時の抜け出し方や、魔術師の集団に襲われた時の対処法。時空魔法の対処は……まあ、あんな可笑しい人異世界でも珍しそうだし必要ない、かな?
俺は最初の戦闘訓練の後数十回に渡って行った「時を遡り、瞬間移動をすることの出来る者との戦い方」という意味不明でどこで活きるかが疑問な……むしろ一生活きて欲しくない訓練を思い出し、思わず苦笑いしてしまった。
……この時の俺は何故だか普段より頭が冴えていた。何かを考えればそれに対する案が幾つも思い付き、それらの優劣、取捨選択も容易。
しかし、それは俺が賢くなったとか、そんな事ではなく……前方の視界に割くリソースまで考えることに使ってしまっていただけだったのだ。要は前方不注意。ながらスマホとか、そんな類の注意散漫。
ここは名前さえ分からない初見の土地。安全な現代日本で生まれ育った俺にとってそれは大した事には感じないが、そんな土地に来た時にはまずは周囲を警戒しながら行くべき。ながら歩きなんて真似はご法度だったのだ。
「おい、そこの嬢ちゃん。そんな小綺麗な格好してどうしたんだ」
それ故に生まれた油断。低い声が全ての思考を遮断する。ハッとして前を見ると、そこはもう城門の最中。俺に声をかけているのはそこの門番であろう、兵隊だった。
「え? っはい! いや……えっと、その……」
急に話かけられ思考に空白が生まれたからだろう、俺は何も言えず、口ごもるばかり。
「見てくれから考えて庶民ではないし、ましてや奴隷なんて天地がひっくり返ってもあり得ない。まさか、貴族の娘が迷子にでもなったのかい?」
「いえ、そうではないんですけど……」
一息ついて落ち着いた俺は、一先ず門番の質問に答えることにした。
「それならますますもって何者だよ」
門番は困ったような声でそうつぶやく。そして、はぁ、とため息を一つ。
「しょうがねえな。取り敢えず拘留所にでも置いとくか」
「い、いや、それはお断りします!」
その予想を突き抜けた答えに、必死になって否定をする。
やばい。ここで閉じ込められたら、どうなることか。知らない国だし、最悪奴隷落ちも有り得る。城門を通る事なんてあまり考えていなかったが、よくよく考えるに中々厄介な問題だった。通れることを前提として考えていたさっきまでの自分を殴りたい気分だ。気配を消すとかちょっとした対策をしておけば素通り出来ただろうに……
「しょうがねえだろ……貴族の娘の家出なんて可能性もあるし、記憶喪失なんて線もある。待遇は悪くはしねえよ」
奴隷ルートは無くなったけど……どうしよう。魔法で逃げたとして、ここで目立ったらこんな容姿だ。目立たないはずがない。同じ理由で門番を昏倒させることも不可能、というかそれをやったら今度こそ衛兵的な人に捕まる。
「それじゃあ、ちょっと担ぐから我慢してくれよ?」
俺は必死に言い訳を考えていたが、門番は答えが無いと知るや否や、突然ひょいと効果音がつきそうな具合に俺を担ぎ上げ、子育ての経験があるのだろうか、優しく、しかし脱出不可能な絶妙な塩梅に拘束した。
「うわぁ! ちょ、ちょっと待って! 降ろして下さい!」
「うおぉっ!? 何だこのガキ! 見てくれとは大違いじゃねえかっ!」
一見してひ弱な幼女に見える俺の思いもよらぬ抵抗に門番は凄く驚いていたが、高校生程度の腕力に負ける程柔な鍛え方をしていないらしく易易と押さえ付けられる。
「ガルさん、何してるんだ?」「あの子、どっかで見た事あるような……」「こんな可愛い子供この街にいたっけ」「は、所詮は世間知らずのチンチクリンが引き起こした騒ぎじゃねえのか?」「可愛いなぁ……」「俺前にもこの子見たよ!」「何言ってんだ馬鹿」
更にそんな騒ぎを聞きつけたのか、周囲に野次馬が集まり始めてしまった。
これは本格的にヤバい。そうだ!精神を操るまほ……いや、魔力量を考えろ。この野次馬全員を操れるかといえばそうでもない。
……こうなりゃしょうがない。全力を以てこの状況を打破しないと。
魔法を使うことは不可能。故に気配を消して最短ルートで……
……武術で拘束を解き、全員を首トンで昏睡させる。そんなどっかの漫画の暗殺者みたいな事を俺が本気で考え始めた……その時だった。
「ちょっと待って!」
辺りに凛とした、少年の声が響き渡る。
声の先に立っていたのは、やや赤に近い焦げ茶色の髪の毛をしている少年。まだ幼さの面影が残る見た目とは裏腹にその雰囲気は尋常ではなく……どこか覚悟を決めた様な、物凄く重い何かを背負っている様に見えた。
「ん? ああ、パン屋のアル坊じゃねえか。どうしたんだ?」
「ガルドさん。もう十二歳だし、せめてギルドの名前とか呼び捨てで呼んで欲しいな……」
「ちょっとギルドに入ったからって人が変わるわけでもねぇ。俺から見たらアル坊は幾つになってもアル坊さ」
アル坊と呼ばれた少年は、苦笑いしながら続ける。
「はあ……まあ、呼び方なんて大したことではないしいいんだけどね。
その女の子、僕の知り合いなんだ。最近新しく入ったギルドの仕事仲間だよ」
思いもよらぬ言葉に声を上げそうになるが、よくよく考えるとこれは脱出するチャンス。少年が覚悟を決めている事やそもそも少年の事を一切知らない事など幾つか疑問符が浮かぶものの、そもそもこの状況を抜け出さなければ俺に未来は無い。
「そ、そうです! 俺、最近ギルドに入ったからどうするかも分からず、こっちの方に来たら迷っちゃって……」
四の五の言ってられる場合ではなかった。俺はどうにかして少年と話を合わせる。
「急にそんな事言われてもな。さっきまでの訳分からん言動は何だったんだよ……でもなあ、アル坊がそう言ってるんなら、な。しょうがねえ。今度は迷うんじゃねえぞ?」
「ありがとう、ガルさん。さあ行こう」
俺は拘束を解かれ、少年の元に立たされた。
そんな俺の耳元で少年はこう囁く。
「取り敢えず、ついて来て」
「あ……はい」
このまま別れるのも門番や野次馬からしてみれば違和感しか無く……何より窮地を救ってくれた少年にあまり生意気なことを言うのも気乗りしない俺は、一先ずは少年について行く事にしたのだった。
◇◆◇
俺はアル坊、と呼ばれた少年に付いていき城塞都市の中に入った。
「旅のお供に、マーブルク印の外套はいかがっ!」「ほら、そこのガタイのいい兄ちゃん、この干し肉買っていかないかい? ついでに水筒もさ」「早くしやがれ! 昼下がりに集合じゃ無かったのかよ!」「魔物避け~魔物避けはいらないかい〜!」「どんな魔物も一刀両断! 世紀の名剣、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
周囲は門の前だからか商人と冒険者、それに旅人でうるさい位に盛況していた。それに……
「おやっパン屋の……いや、今はギルドに入ってたっけ。アルじゃないか」
「ハンヌおばさん。こんにちは」
この俺を連れて行っているアルという少年は、こんな風にしょっちゅう声をかけられている。周囲の反応を見るにどうやらそれ程危険でも無く、ギルド、とやらに入っていることを除くと歳相応の明るい少年の様だった。
俺は意を決して少年に話しかけてみた。
「あの……」
「どうかした?」
少年がそういった瞬間、ふと違和感が走る。咄嗟に俺は周囲や少年を見るが、少年は首を傾げるだけだし、周囲にも異常はない。その結果に虫の知らせなんて所詮オカルトだよな、なんて勝手に完結しながら改めて少年に話しかける。
「見知らぬお……私を救っていただきありがとうございました」
この容姿では私の方が自然だと思い直し、言い直す。少年は言葉の最初の方でピクリと反応した後、凛々しい顔を緩めて人好きの良い笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。これでも困ってる人を助けずにはいられない性分だからね。
……っと。名前を言うの忘れてたね。僕はアル。ギルド『時に翻弄されし旅人』のメンバーをやっているよ。君の名前は?」
「トラシアです」
『時に翻弄されし旅人』、か。時にがんじがらめにされてるイアさんといい、この世界では時間に縁があるらしい。
「君は、どこか行く場所があるのかい?」
「いえ……特には」
「それなら少し付いて来てよ。取っておきの場所があるんだ」
取っておきの場所……この少年、アルは他の人との会話を聞くにギルドに所属しているらしいし、恐らくギルドにでも行くのかな、と検討を立てる。実はギルドが何なのかすら理解して無いし、憶測が混じってるけど。
「……案内してくださると助かります」
「じゃあ、決まりだね! ここからは少し道がややこしいから、ちゃんとついてきてね!」
俺はアルに誘われるがままについて行った。