第7話 記憶空白
ガタンゴトン、ガタンゴトン――――
少年は、電車に揺られながら色々と拙かったことに気付く。
まず何より最初に聞いておくべきだった女の子の名前のこと。そして、自身も名前を語っていなかったこと。互いのクラスを教え合わなかったこと。連絡手段を確保しなかったこと。いつどこで会うか決めなかったこと。それに、他の生徒たちに今日のことが見られて噂になったりして彼女に迷惑が掛からないかということ。
考えれば考える程、きりがない位に沸いてきた。
(拙いなんてものじゃあ済まされない……。何だ、このざまは……。それに俺は、一線を踏み越えた変態かも、知れない……)
と、そんな感じで、後の祭りだというのに、ごちゃごちゃと、同じようなことをうじうじ頭の中で考え続け、悩み続けるのだった。
彼はそうして、母親から指定されていた、山岬駅から東へ十駅ほど行ったとある駅で降り、駅の出口に止められたいた黒塗りの車に乗り込む。
彼にとって、それは割といつも通りのことだった。母親の職場に呼ばれる際は、その場所が特定できないようにどうしてかいつもそうされる。彼にはそもそも、母親の職場の所在地何ぞ、どうでも良かったのだが。
いつも通り、母親ではない、雇われのムキムキマッチョな角刈りサングラスの男性運転手が、車に乗り込んだ彼に目隠しをする。いつも通り、何も尋ねない。車が発進し、何処かへ着いて、止まる。
(今回は割と短かったな。30分程度だろうか? それだけ母ちゃんも俺から早く事情を聞きたいってことなんだろう。呼び出さずとも、家で聞きゃあいいのに。事が事だけに、家族全員に話さないといけないのは確定しているというのに)
車を下ろされても、いつも通り、目隠しはされたまま。運転手もそこで車から降り、彼は、運転手に手を引かれ何処かへ連れていかれる。
それなりの距離を何回か曲がりつつ歩き、手を引っ張られるのが終わる。そして、目隠しを外され、いつものように、運転手は後ろへ下がり、前へ進むように促してくる。
そこは、何処かは分からない。恐らく地下か何か。そして、すっかり見慣れた光景でもある。
(もう数えるのも忘れる位に来ているが、今でもここが何処かは全く見当が付かない儘、か)
天井には、蛍光灯が。だが、それでも暗い。この、一辺2メートル程度の正方形が前に後ろに延々と連続しているような、そんな通路を照らすに十分ではない。それに、切れかけで点滅しているものも、半分くらい紛れており、不気味ですらある。
(そして、いつ来ても、慣れない……)
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ――――
少年は、いつものように、その通路を前方へと進んでいく。金属板の張り合わせでできたその通路を。天井を数々のケーブルが通っている薄暗い通路を。
いつも少年が降ろされる位置はバラバラだが、いつも、唯真っ直ぐ進んでいれば、経過時間に長短あろうが、必ず、同じものが見えてくる。
【脳科学研究室】
立て掛けられた、工事現場などにあるような縦長白地のトタンの看板に、そう、墨で文字が書かれている。それは、少年が要望した結果、少年がくることになったときにだけ、少年の為に用意されるもの。本来、その場所、その部屋に、名前は割り当てられていない。
そして、そこは、行き止まりのように見えて、そうではない。看板がそれを示している。それは、少年が迷わない為の仕掛け。
彼は、ノックした。
コンコンコン。
連続で三度。壁ではなく、看板を。
「はぁ~い」
壁の向こうから声がした。それは、女性の声。若くはないが、そう年老いてもいない、妙齢の女性の声。高めのダミ声。そして、彼が毎日聞いている声。
「母ちゃん、お待たせ~。入れて~」
彼は、大きめの声で、壁の向こうの母親に向かってそう言った。
目の前の壁と看板が消えた。
少年はその先へと足を踏み入れていく。突如、真っ白な明るい、建物二階分程度の天井の高い部屋が現れた。
少年が入ってきた方面以外の三方向の側壁上方には、硝子張りの壁、その先に椅子が並んだ別の部屋が。
そして、少年がいる部屋の中央には、座式の手術台のような機械がある。それは手術台ではないのだが。
コトッ、コトッ、コトッ、コトッ――――
「やっと来たわねぇ」
忽然と、部屋の奥の壁の向こうから現れたその女性、彼の母親は、非常に美麗な容姿をしていた。
背が高く、胸部臀部込みで肉付きの薄いモデル体形である。横長の切れ目をした、ギリシャ彫刻染みた編み編みの髪型をしている。それでいて黒髪直毛。鼻は高い。そんな、和洋入り混じらせたような美人。
そして、研究者である。脳科学方面では知る人ぞ知る、マッドサイエンティストでもある。
仕事時間は研究室に籠もっている為、その肌は真っ白。だが、研究の為に睡眠時間を削ったりはしておらず、目に隈などはない。そして、必ず、朝と夜の時間帯は家におり、家族と顔を合わせている。
という、研究者でありならもちゃんと母親もやれているという、稀有な人であった。
だが、彼は母親が苦手だった。母親のことをマッドサイエンティストだと心の底から認識しているから。
母親は、そのまま彼の方へと近づいてきて、手術台に片手を添え、彼の方を見たまま、にたぁぁと、笑う。
それは無邪気な笑いではない。笑顔とは程遠い。こういった美人がしてはいけない類の、愉悦に塗れた笑顔だった。
「だから私、言ったのに。あんたは、忘却を選ぶべきでなかったの。それが、あんたに劣情や罪悪感を抱かせるものだとしても。だって、あんたは劣情を自制できるし、罪悪感はあんたが勝手に抱いてるだけ。ちゃんと見たし、それ位は保障してあげる。いい実験になったから今回はサービスしとくわ」
母親が今発した言葉。それこそ、彼が母親をマッドサイエンティストだと認識している所以。彼含めた家族を、実験と称して使っているのだ。
このまま母親に好き勝手言われ続けられて愉悦されるのも癪だと感じた彼は、自身の聞きたいことへと話を持っていく。
「今日から丁度一主観前の一日の大半の俺の記憶。消したのは、母ちゃんで、俺から頼んで消して貰ったってことで合ってるか?」
「ええ、そうよぉ。中々に愉快な記…―」
「消してって頼んでただろうに、何、見てるんだよ!」
母親の愉悦顔が気に入らなかった少年は、言葉を遮り、怒鳴った。
「いいわ。続けなさい」
平然と素面になってそう言われ、彼は一旦大きく深呼吸して、今度は怒鳴らず、言葉を続け、
「恐らく、消去したんじゃなくて、抽出して保存してるんだろう? で、じっくり見て、状況を分析までした。悪趣味に……。だから、俺がやましいことはしていなかった、と断言できたんだろう。だけどなぁ、自業自得とはいえ、ちょっと、酷過ぎはしないか……。俺にプライベートは無いのかよ……」
情けなくて泣きたくなってきた。
(母ちゃんを頼ることになったどうしようもなさも、こうして、見られたくないところを自ら提示してしまった愚かさも、情けなくて仕方が無い……が、頼る他無いと、答えが出てしまっているのがもう……)
「ふふ、よく分かってるじゃないの。そうよ。でも、それであんたに不自由や不幸させてはない筈よ。苦労や苦悩はさせてるかもだけど」
そう言って、椅子を叩き、微笑みながら彼をそこへ手招きする母親。
(いや……、それが、嫌なんだよ、母ちゃん……)
彼はそれに従って、とぼとぼと歩き、その手術台に座った。
「じゃあ、記憶戻すから。この装置で、いつも通りに。あんたも、学習しないわね、本当に」
「ああ……。母ちゃん、ありがと……」
彼は力無くそう答えた。




