第16話 ライトアイボリーフラワーレース Ⅰ
「本当に、本当に、ありがとうございました……。私に何か、できるお礼、ありますか……」
春秋町駅で電車を降り、駅の改札を出たところで、女の子は少年に向けてそう、切り出してきた。二人共、毎朝同じ駅から電車に乗ってきていたことが判明し、共に電車に乗って、共に降りたのだ。
(このときの俺は気付いていないようだが、この子、明らかに……、疑心を抱いている。そして、そんな気持ちを抱いていることに嫌になっている。原因は明らか。この子のパンツの、行方……)
「済まないが、ちょっと付き添ってくれないか? 服屋とコインランドリーまで」
彼は申し訳無さそうに、憂いを浮かべた女の子にお願いする。それは、彼の咄嗟の機転による、本音半分、気遣い半分の言葉。
彼女をこんな陰鬱な気分で家に帰す訳にはいかなかった。それに、ちゃんと匂いは取れたとはいえ所詮水で洗っただけの彼女のスカート、鞄の中の彼女の汚れたままのパンツ。それらを綺麗にし、返すタイミングを逸したパンツを何としても返さなくてはならなかった。
(過去の俺、ちゃんと手を思いついたか。だが、自ら脱がしたパンツを自ら返すとか、茨の道だぞ……。その計画は悪くはないと思うが、幾ら何でも真っ直ぐ過ぎやしないか……? 自分が脱がしたことを明かして、その上で返す、とか。それも、この子のパンツは、自身の衣服と共に同じドラムに入れて洗濯、だなんて……)
「……はい」
彼女はパンツを履いていない状態であることには当然気付いている。それに加え、彼女には、彼がこのように汚れに塗れたのは自身を助ける為だったと罪悪感を覚えている。彼の詰襟が消え失せていることや、その下のカッターシャツの袖が両方とも破られて無くなっていることが、視覚的にも彼女を責めるのだから。
だから、これは提案ですらない。彼女はこれを受けざるを得ないのだ。
それに、彼女には、彼に向けて幾つも聞きたいことがあるだろう。今、彼女が履いていないパンツ。それが自身の手荷物の中にも含まれていないことを筆頭に、どうして彼がそんな恰好をする羽目になったかや、探さないように釘を刺されたが自身を着替えさせてくれた女性警官についてや、今直穿きしている半ズボンが誰のものであるか、等々。
そして、答えようによっては、彼は彼女に、あの痴漢男以上に嫌悪されることになる。世間一般から見て、彼女を助けた彼自体も、痴漢と言えるだけの証拠は揃ってしまっているのだから。
(まぁ、この過去の俺は上手いことやると分かっているから、まだ何とか見ていられるが……。今度は何を一体しでかすのか……。自分自身のことなのに、見ていて危う過ぎて、本当にもう……情けない)
「じゃあ、行こうか。この近くだと――、あぁ、あっちか」
彼は携帯端末を取り出し、服屋とコインランドリーが近接している場所を素早く見つけ出し、彼女と共に歩き出した。
そうして、先ずは、服屋に立ち寄る。
「済まないが、俺の服、お願いできないだろうか。この恰好だと、流石に入れないから……」
彼女のスカートは今、皺々であるのだから、本当は行かせるべきではない。だが、自身が行けば入店拒否を食らうことは明らかであった為、そうするしかなかった。それに、彼女のスカートの下は、無理やりベルトで固定した半ズボンがあるだけ。ずれ落ちる可能性は十分にあり、スカートを脱いで店に入って貰うという方法は絶対に採れない。
「はい……。別にこれ、脱いだら大丈夫ですから。……、あっ……。今の無かったことにして下さい……」
どうやら、彼女には余裕など全く無いようである。当然だ……。状況的に、自身の穿くパンツを目の前の、自身を助けてくれた筈の彼が持っている可能性があることを無視できはしない……。女警官云々の説明も、不審な点が多い。彼女は彼ほどに頭が回る訳では無いが、察しは良く、彼の言ったことに大いに嘘が含まれていること位は分かっていた。
それでも、駅員や警官がいる前でそれについて詳しく聞こうとしなかったのは、彼が自身を助けてくれたことは間違い無く、それは普通の人間なら、その場では結構な割合で助けず見捨てられることとなると分かっていたから。そして、彼は、助けてくれたという意味では、彼女にとって、白馬の王子様であり、英雄であったから。
結局のところ、彼女は甘いのだ。優し過ぎるのだ。疑うことを是としない、狡賢く物事を天秤に掛けられない無垢な、そう、お人好しなのだ。
「白シャツのLサイズと、Vネックシャツの黒のLサイズ。それと、バスタオル一枚、頼む」
「はい……」
彼にしても、彼女がそんなお人良しであることは分かっている。だから、そうやって、頼むのだ。そして、それは、彼女の為でもある。今彼女には、新しいパンツが、必要だ。そしてそれは、彼女が一人で買うことができる状態にしなくては、話にならない。
だから、
「取り敢えずこれだけあれば足りるだろう」
と、彼女に一万円札を二枚手渡す。中学生の頃からの癖で、彼は財布に大概それ位の額、いつも入っているようにしていた。衣服が破れて補給する必要があったり、病院に行かなくてはならなくなった時の為に。
彼は不良では無かったが、その外見故、絡まれることが多かったのだ。そして、彼は、絡まれた相手に脅さたり、のされたりして、財布の中身を渡したことなど一度も無い。
全て返り討ちにしてきた。どれだけ相手の数が多くとも。だが、彼自身の衣服がボロボロになったり、絡んできた者の病院代や薬代や衣服代を立て替えてやることもあった。半ば、絡んでくる相手の為に持ち合わせていたお金である。
高校生になって、それなりに偏差値の高い進学校に入った為にそういったことは無くなったが、それでも彼は、このとき、高校生になって一か月も経っておらず、そんな癖が抜けていなかった。
彼も結局のところ、お人好しなのだ。それも、彼女以上の。
(中学時代の糞習慣がこんなところで役に立つとは思わなかったが……。人生本当に何が役に立つか分からないものだ。我ながらあの時代は色々上手くやっていたな。俺について悪名などは広がらないように立ち回れていたし)
「じゃあ、少し、待ってて下さい……。ごめんなさい……」
彼女は暗い表情を浮かべたまま……。自身が励ましても効果は無いと分かっている彼は、何もできない……。彼女の最後に言ったごめんなさいが、何を意味しているかすら汲み取ることすらできやしない。
(あぁ……、地元なのだから、後輩にでも連絡して、お願いしたら良かった……か……。それか、兄貴と兄貴の彼女さんに来て貰って何とかして貰うか……。それなら、もっと綺麗に自然に何とかできたんじゃないだろうか……。今この過去の俺が考えている、真正面からパンツを返すという、自爆染みているが、もう変わりそうにないやたらに固い決意も、兄貴の彼女さんが女性警官と知り合いだったことにして、頼まれて、渡すの忘れてたパンツ渡しに来た、とでもいう風にしたら良かったのではないか……。所詮ここは片田舎。世間は狭い。そういう言い訳も使えるだろう)
ガァァ、ガァァ!
自動ドアを潜って、彼女は店内へと入っていった。そして、彼女が見えなくなったところで、裏路地へ。周囲に人がいないことを確認して、裏路地出口に向かって背を向けて座り込み、鞄を置く。
(おい……、まさか……)




