「塔の哭く夜」<エンドリア物語外伝30>
空に上っているのは赤い月。
東塔から、甲高い音が響いてくる。
2ヶ月ほど前から響くようになった音は、高く低く波を打つように繰り返す。
あれは幽霊の悲鳴だと女中が言っている。
東塔は、頂にある見張り台に続く長い螺旋階段しかない。部屋はない。人もいない。
遠い昔、塔から落ちた女性の魂が、浮かばれずにさまよっているのだと噂している。
先週、魔法協会の魔術師と聖教会の神父が塔を調べに来てくれた。
塔に入って、しばらくすると恐ろしい叫び声がした。
怖くなって部屋に閉じこもってしまったから、その先は知らない。
私の部屋つきの女中ジェマは、2人とも大怪我をして病院に運ばれたと言っていた。
あの塔には何がいるのだろう。
廊下にでると女中頭のゲイルが見知らぬ数人と私の方に向かって歩いて来た。
「マデリン様、昨日より新しく入った召使いです」
先週の騒ぎで召使いが数人やめたことは聞いていた。その代わりが入ったらしい。
ゲイルの後ろに4人が並んだ。
左端に立ったのは、20代後半の青年。輝くような金髪に緑の瞳、身長はそれほど高くないが、整った顔が目を引いた。
隣は20歳前後の若者で、茶色い髪と目、特徴のない顔立ちで、次に会っても見分けられる自信はない。
次は小柄な女性。24、5歳に見える。黒髪とつり上がった狐目が特徴だ。
最後に女性より一歩さがったところに立ったのは、10歳くらいの少女。メイド服を着ているが、年からすると女中見習いだろう。大きな瞳で恥ずかしそうに私を見た。
「当家の次女のマデリン様です。よく覚えておくように」
4人が深々と頭を下げた。
会釈をして横を通った。食堂に向かう。
階段を曲がったところで、会いたくない人物に出会った。
「マデリン、今日も機嫌が悪そうだね」
ラトビッチ・ヘクト。
姉ジャクリーンの恋人。
形の良い目と鼻、整えられた焦げ茶の髪。見目は良いが、どこか品がない。老舗の商家の次男だが、仕事をしている様子はない。2ヶ月ほど前からこの屋敷に滞在している。
ヘクトとジャクリーンは父に結婚を願い出たが認められなかった。
母は賛成、父と私は反対。
ジャクリーンは駆け落ちしても一緒になりたいと私に言っていた。心からヘクトを愛しているのだろう。ヘクトが両親に祝福された結婚にしたいと言うから、駆け落ちせずに認められるように2人で努力すると言っていた。
私は、姉は軽薄男に騙されているのだと思う。駆け落ちしないのは、認められたいのではなく、駆け落ちした場合には姉に財産が一銅銭も渡らないからだ。
「おはようございます。ヘクト様。食堂に向かうので、そこを退いていただけますか?」
「少しだけ時間をもらえないかな」
「急いでいますので」
「そのような表情は君に似合わない。とても可愛い顔立ちをしているのだから」
返事をせずに、横を通って食堂に向かった。
早くジャクリーンが目を覚まして、あの男をこの屋敷から追い出して欲しいと願い、足を早めた。
頭が痛む。
体が動かない。
身体が上下に揺れている。
「あれ、目覚めちゃった」
目を開けると、男に担がれていることがわかった。太い紐で動けないように巻かれて、肩に乗せている。
「もう少しの辛抱だからね。あと少しで塔の頂上」
石造りの螺旋階段。
「幽霊騒ぎがあるようだから、それで塔から飛び降りたということで、どうだろう」
力を振り絞って顔を上に向けた。
男の顔は見えなかったが、揺れる金髪は見えた。
今朝、紹介された新しい召使いのひとりらしい。
「恐怖におびえて自殺、と、屋敷の人が思ってくれないかな。でも、マデリンは気が強いみたいかだら、前に死んだ女性の幽霊に呼ばれたとか?」
軽い口調で楽しそうに話す。
これから私を投げ落とすということに、罪悪感は持ってはいないようだ。
私は刺激しないように、できるだけ、普通に話しかけた。
「助けてくれませんか?」
「ごめんね、殺す約束なんだ」
「いま、私が悲鳴をあげたら、困るのではありませんか?」
出せる限りの大声をあげて助けを呼べば、屋敷に声が届くかもしれない。そうなると、誰かが階段を下からあがってくるだろう。塔の最上部には吹きさらしの見張り台だ。逃げ場はない。
「困らないよ。逃げる方法はいくらでもあるからね。ただ、君をここで殺さないといけなくなるから、それがイヤかな。血のシミは落ちにくいんだ」
血が出るということは、叫んだ場合、斬り殺されることになるらしい。
「少しでも長く生きたければ、黙っているといいよ。といっても、そこの扉が終着点だけれどね」
男が扉を開けた。重々しい音が響いた。
見晴らし台を吹き抜ける風が、担がれている私にも当たる。
扉は開いている。それなのに、男は動かない。
見晴らし台に足を踏み入れない。
「なんでいるんだ」と、つぶやくと私を床に下ろした。
私は身体を起こして、壁にもたれ掛かった。
扉の向こうに広がる、見晴らし台が見えた。
「ほよっ」
大きな瞳を丸くして、私を見ているのは、今朝会った女中見習い。
手に持っているのは巨大なペロペロキャンディ。
「いま、忙しいんだけど」
その隣にいるのは、茶色髪の若者。
新しく入った召使い、だと思う。特徴がなさすぎて断言できない。
「忙しい、って、お前ら、何をしているんだ?」
聞いたのは私を運んでいた金髪の青年。
「見てわからないのか?」
「ほいしゅ」
若者が右手に持っているのは、骨付きモモ肉。左手には先端がかじられたフランスパン。
女中見習いはペロリとペロペロキャンディをなめた。
「食事とか言わないよな?」
「夕食」
「おやつしゅ」
時刻は真夜中。場所は東塔の最上部の見張り台。
「飲み物持ってないか。忘れたんだけど、塔を降りるのも面倒でさ」
「紅茶がいいしゅ」
金髪の青年がズボンの裾をまくりあげた。そこに鞘に収まったナイフがあった。
「死にな!」
抜くと同時に飛びかかった。
ナイフを受け止めたのは、茶色の若者。
骨付きモモで受け止めている。
「危ないって」
「こいつ!」
金髪の青年は跳び下がると、ナイフを構えなおした。
モモ肉を見た茶色の髪の若者が、大声をあげた。
「ああっーー!」
「ウィルしゃん、どうしたしゅ?」
「肉が、肉がなくなっている!」
床を見るとナイフに切り落とされたらしい肉片が落ちている。ウィルと呼ばれた若者は、慌てて拾って食べている。
「見つかって、よかった」
「肉しゃん、3日ぶりしゅ」
「違う、4日ぶりだ」
あまり裕福な生活はしていないようだ。
「邪魔をする気なら、本気で行くぞ」
金髪の青年が低い声で脅した。
「邪魔?しませんので、どうぞ」
「どうぞしゅ」
2人が真ん中を開けた。
「お前ら、オレがこの娘を落とそうとしていのはわかっていんだな?」
「はい、わかっています」
「ばっちりしゅ」
「なんで、止めないんだ?」
金髪の青年も2人の行動を不審に思ったらしい。
「ここに来るとき約束をしまして」
「ゾンビと約束したしゅ」
「何があっても、絶対に関わらないこと」
「ゾンビ、切れると怖いしゅ」
「ゾンビ?」
金髪青年が聞き返した。
「ゾンビはまずいだろ。ちゃんと、ゾンビ使いまで言えよ」
「面倒しゅ、ゾンビにするしゅ」
ゾンビ使い。誰かはわからないが、ネクロマンサーと約束したらしい。
「幼児語、貧乏、2人組…まさか…」
金髪青年の驚愕の表情をした。
「お前ら、桃海亭の最悪コンビか!」
「なんだよ、その最悪コンビって!」
「ひどいしゅ!」
桃海亭……聞いたことがある。
エンドリア王国の王都二ダウの観光スポットだったような気がする。
「本物か……いや、偽物も多いっていうからな。違うよな、うん、違う」
脅えた表情を金髪青年が浮かべた。
「いま、急いで縄をほどいて落としますので、ちょっとだけ、あちらの方に行っていただけますか?」
金髪青年が下手に出た。
「ここでいいか?」
「こっちしゅ」
2人は扉の方に移動した。
金髪青年が私のところに来た。
「いまから、縄をほどく。おとなしくしてくれよ」
うなずくと、すばやく縄をほどいた。
そして、私を担ぎ上げようとした。
「待ってください」
金髪青年が不満そうな顔をした。
「すぐに終わります」
状況はだいたいつかめた。
私は扉のところにいる2人に向かって叫んだ。
「金貨20枚!」
ウィルの足が金髪青年の首に飛んだ。
「当たるかよ」
避けた金髪青年の足下の階段が崩れた。
「うわぁーーーー!」
螺旋階段を転がり落ちていった。
「ムー、お前がやったのか?」
「違うしゅ」
2人が数秒黙った。
「古い塔だからな」
「だからしゅ」
ウィルが私を縛っていた縄を持って、階段を下りていった。
「生きているぞ」
グルグルに縛った金髪青年を担いで戻ってきた。気絶した金髪青年を私の足下に転がした。
「マデリンさんでしたよね?オレ達、別の仕事できているんで、そいつが終わったら送りますから、待っていてもらってもいいですか?」
「待つのは構いませんが、別の仕事というのは時間がかかるのですか?」
「1分しゅ」
女中見習いが言った。
1分で終わるならば、夕食やおやつは後にすればいいと思うのだが、彼らには彼らの流儀があるのだろう。
私がうなずくと「ちょっと、ここにいてください。見晴らし台にでると思いますから」と、ウィルが扉の外を指した。
「持っていてしゅ」
女中見習いにペロペロキャンディを渡された。
見晴らし台に移動した女中見習いが、呪文のようなものを唱え始めた。
空中にぼんやりとした白い影が浮かぶ。その周囲に青い光点が散らばっている。
ウィルが女中見習いのエプロンのポケットから丸い玉をいくつも取り出した。光点に向かって玉を投げた。玉が当たると光点は音を立てて散っていく。1分もたたないうちに光点は消え、白い影が形を取り始めた。
「猿…?」
猿のようだが、見たことがない珍しい猿だ。
曾祖父が南の島から吼える猿を連れ帰ったという話は聞いていた。気候があわず、すぐに死んでしまったらしい。
「あっちしゅ」
女中見習いが、東の空を指すと、光となって飛んでいった。
ウィルと女中見習いが、扉の方に来た。
「終わりました。帰りましょう」
金髪青年を担いだウィルが最初に階段に向かったが、駆け上がってくる音に足を止めた。
「どうしたんだ!」
姉の恋人のラトビッチ・ヘクトだった。
金髪青年が縛られているのをみると、一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐにいつもの薄ら笑いになった。
「マデリン、大丈夫のようでよかった」
「こんな夜中にどうかされたのですか、ヘクト様」
「部屋にいたら悲鳴が聞こえて、何があったのかと心配になり駆けつけました」
私は悲鳴をあげていない。
だが、今ここで指摘しても否定するだけだ。
「何もありませんでした。いまから、この2人と屋敷に戻るところです、ヘクト様はどうされますか?」
「もちろん、一緒に戻るよ」
チラチラと担がれている金髪青年を見ている。
ウィルが金髪青年を足下に下ろした。
「帰れなくなりました」
いきなりだった。
光るものが横切った。
ナイフを受け止めたのは、鶏の骨。ウィルが持っている骨が、ナイフとヘクトの首の間に差し込まれている。
「捨てなくてよかった」
いつの間にか肉がなくなって骨だけになっている。
「関係ない者は手を引け」
小柄な狐目の女中だった。
今朝紹介された4人の新しい召使いが、全員ここにそろったことになる。
「わかりました。オレは何も見ていません。今からここを離れます」
狐目の女中が目を細めた。
「本物か」
「偽物です」
「偽物しゅ」
狐目の女中がウィルに襲いかかった。
早すぎて目で追えない攻撃を、ウィルは何でもないように避けている。
「手を引けと言ったのは、そっちだろ。なんで、オレを殺そうとするんだよ」
「お前たち、桃海亭だな」
「違う」
「違うしゅ」
狐目の女中が後ろに飛んだ。両手に瓶のような物を持っている。
「待て、お前の標的はそこのヘクトとかいう男だろ。オレ達まで巻き添えにするな」
「桃海亭に知られるわけにはいかない」
「お前が暗殺者だということは、誰にも言わない。ララにもお前を見たということ…」
「死ね」
2つの瓶が投げつけられた。
空中でぶつかろうとした2つの瓶の間に、フランスパンがはさまった。
落ちてきた瓶をウィルが次々受け止めた。
「この毒ガス、結構強いんだぞ。その位置だと死ぬぞ」
「なぜ、毒ガスだと」
「シュデルの留守を見計らって、ララがオレの店に投げ込んだんだよ。強力な空気清浄機能の魔法道具がなければ、死んでいたところだ」
「やはり、桃海亭か」
「ララと同じ組織なんだろ。関係ない人間を巻き添えにすると怒られるぞ」
狐目の女中が膝をついた。
「オレ達はもう帰るからな。召使いと間違えられて、草刈りの手伝いをさせられてヘトヘトなんだ」
持っていた瓶を女中見習いに渡した。女中見習いはそれを左右のポケットに別々に入れた。
「さてと、帰るか」
「帰るしゅ」
狐目の女中が立ち上がった。目が据わっている。手に持ったナイフを目の前に持ってくると慎重に狙いを定めた。
飛んできたナイフをウィルは、鶏の骨で受け止めた。
「下手すぎしゅ」
「そういうことを言うなよ」
「ララしゃんの方が、速いし、強いしゅ」
「あー、イヤなことを思い出した」
「ダメダメの暗殺者さんしゅ」
「そうだけど、口に出して言うなよ」
小声で話しているが、私の耳にも届いている。
私より近い場所にいる狐目の女中にも聞こえているだろう。
ものすごい形相で2人をにらんでいる。
「ララしゃんに、チクるしゅ」
「やめとけって」
「チクチク」
陽気に言っている女中見習いの頭を、ウィルが軽くたたいた。
「空気を読めよ。あのヘクトとかいう奴は今からあの暗殺者に殺されるんだぞ」
「ヒェッ!」とヘクトが叫んだ。
ウィルの腕を握った。
「助けてくれ」
「ここに来るとき約束をしまして」
「ゾンビと約束したしゅ」
「何があっても、絶対に関わらないこと」
「ゾンビ、切れると怖いしゅ」
さっき言ったことを、また言っている。
「ゾンビには私から事情を説明するから、頼む、助けてくれ」
「どうする?」
「面倒しゅ」
「だよな」
「だしゅ」
2メートルほど先には、プロの暗殺者がヘクトを殺そうと虎視眈々と狙っている。
「頼む」
「オレ達、もう1回、約束を破ったんで」
「ゾンビ、切れるとめちゃ怖いしゅ」
「よく効く聖水をあげるから」
ゾンビではなく、ネクロマンサーだということを伝える方がいいか私は迷った。
「聖水は袖の下にはならないと思います」
「ゾンビは、魔法道具が好きしゅ」
「ゾンビに魔法道具をプレゼントするのか?」
どっちも真剣なのだろうが、かみ合っていない。
私は出そうになったため息をこらえた。
自分に関係のないことに口を挟むのは気が進まなかったが、いつまでも塔の最上階にいたくはなかった。
「金貨ではどうでしょう」
私の提案に3人ともすぐに反応した。
「金貨、いいですね」
「いいしゅ。ゾンビ、大好きしゅ」
「金貨5枚払う」
ウィルと女中見習いの眉が寄った。
ヘクトとすれば、大枚を提示したつもりらしいが、2人は不満なようだ。
「自分の命をやすく見積もってはいけません。金貨はどっさり、いっぱい、自分は価値のある人間だと、証明しましょう」
「あっちは30枚だったしゅ」
女中見習いが、私を指した。
10枚上乗せしている。
「30枚なんて、私には払えない」
「では、お元気で」
「降りるしゅ」
ウィルが金髪青年を担ごうとした。
「待ってください」
3人が私を見た。
「ヘクトさん、姉と別れ、二度とこの屋敷に足を踏み入れないと約束してくださるなら、金貨30枚、私がお支払いします」
「します、約束します」
この男は喉元すぎると熱さを忘れるタイプだ。
いまは破らない気でいても、数日経てば約束を破るだろう。
「小さな魔術師さん、金貨5枚払いますから、ヘクトさんが約束を破ったとき死ぬように呪いをかけてくれませんか?」
「依頼しゅ?」
「そうです。依頼です」
「ウィルしゃんに言うしゅ」
ぼうっーと立っているウィルに頼んだ。
「ヘクトに呪いをお願いします」
「あなたが本当にいいのなら引き受けます」
「いいから頼んでいるのです」
「呪いは間接的な殺人です。ヘクトが呪いで死んだ場合、殺したのは呪いではなく、呪いを頼んだあなたであることを理解していますか?」
話の内容は説教じみているが、ウィルには緊張感がまるでない。
「ヘクトが屋敷に来なければ死にません。抑止の為の処置と考えてはいけませんか?」
「あなたが依頼をして、我々が受けた時点で、あなたは人殺しです」
隣にいる女中見習いは、眠いのかアクビをしている。
「わかりました。では、別の依頼をします。この塔を出るまでヘクトを守ってください。ヘクトが二度と屋敷に入らないようにしてください」
「価格は?」
「金貨20枚」
ウィルが笑顔になった。
「引き受けます」
少年のような笑顔だ。まだ、17、8歳なのかもしれない。
オドオドとした顔で私を見ているヘクトに言った。
「あなたの命の代金を私が払います。さきほどお支払いすると言った金貨30枚は取り消します。よろしいですね」
「屋敷にはいれないなら、同じです。金貨30枚は約束通り払ってください」
「断ります。もし、どうしても払えと言うなら、いまの依頼を取り消します」
「…わかりました。払わなくていいです」
不満そうだが受け入れた。
女中見習いが、ウィルのシャツの裾を引っ張った。
「ウィルしゃん」
「わかっている。なんで、こうなるんだろうな。追加料金もらえるかなあ」
「無理だしゅ」
「だよな。魔法協会、最近オレ達を人間扱いしていないよな」
「断りたいしゅ」
「今回、断れなかったのは、お前のせいだろ」
「ちょっと、壊しただけしゅ」
「島3つは、ちょっとじゃないだろ」
はあぁーーーと長いため息をついたウィルは、狐目の女中を見た。
「事情が変わった。あんたもわかるだろ。今日はこのまま帰ってくれないか?」
「取引だ」
「取引?」
「ララ・ファーンズワースに、ここであったことを言わないこと。それを約束するなら、今日は帰る」
「わかった、ララには話さない」
「取引成立だ」
闇に溶け込むように狐目の女中は消えた。
「さてと、やるか?」
「やるしゅ」
ウィルは気絶している金髪青年を持ち上げると、ヘクトに渡した。
「ちょっとだけ、こいつを担いでいてくれ」
「なぜ、私が」
「これからスリリングな体験をすることになるんだ。その後、オレ達のそばにいると、命がなくなる危険があるから、こいつを担いで逃げてくれ」
「だから、なぜ、私がしなければならないのだ?」
「時間がない。オレを信じてくれ」
嘘を言っているようには見えなかった。
ヘクトも同じように思ったのだろう。金髪青年を担いだ。重そうだ。
「いまから、全員で見張り台に飛び出して、地上に向かって飛び降りる」
ウィルが私の手を握った。
エスコートではなく、脅えて飛べないことを心配したらしい。
「大丈夫です。あなたの側にいると危なそうですから、離れた場所から飛びます」
「そうしてくれると助かります」
真顔のウィルが扉を全開にした。
「行くぞ」
「行くしゅ」
ウィルが見張り台に飛び出した。私もそれに続いた。
「わぁ!」
ヘクトの驚く声がした。
見張り台を黒い何かが飛び回っている。
「無視して、飛び降りろ!」
ウィルの姿が消えた。女中見習いはもういない。
そばの手すりをこえ、飛び降りた。
地上に激突したら死ぬのはわかっていたが、不思議と恐怖はなかった。
柔らかいものが私を受け止めた。ふわふわの物の上で2、3度跳ねて、地面に降りた。
「屋敷に向かって走れ!」
ウィルの声が聞こえた。
塔の東側で多くの影に囲まれていた。女中見習いも側にいるようだ。
「うわぁ」
私の隣にヘクトと金髪青年が転がった。金髪青年はまだ気絶している。
屋敷に向かって走ろうとした私の前に立ちふさがる影があった。
「お母様?」
夜着の上にお気に入りのガウンを着ている。
「マデリン。なぜ、ここにいるのです?」
「お母様こそ、どうかしましたか?」
「用事があるからいるのですよ」
微笑んだ顔に違和感を覚えた。
どこというのかわからないが、いつもの笑顔とは違う。
「そいつは人形だ!逃げろ」
ウィルの声がした。
「ムー、使えるか」
「近すぎて無理しゅ」
ウィルと見習い魔術師の周りの影は数十を越えている。今は攻撃をしのいでいるようだが、影は次々と集まっている。まもなく、影に捕まるだろう。
「マデリン、さあ、こちらにおいで」
ウィルが人形と言っていた。
違和感はあるがうり二つ。
もし本物の母ならば、ここに残していくのは危ない。
「解除」
涼やかな声が響いた。
私に手を差し伸べていた母が崩れ、土塊になった。
フードを目深に被った小柄な姿が、茂みから現れた。小走りでウィルたちの方に走っていく。
ウィルたちの周りにいた黒い影も消えていた。
疲れたらしくウィルも女中見習いも座り込んで、肩で息をしている。
「来てくれて、助かった」
「これはどういうことですか」
涼やかな声はフードから聞こえた。
「2ヶ月前、猿の幽霊を呼び出した犯人が現れたんだよ」
「そちらは今回関係ないはずですが」
「勝手に来たんだよ」
「追加料金、もらえますか?」
「無理だろ」
「猿の幽霊は片づけましたか?」
「空に帰ったしゅ」
「それならば、我々も帰りましょう。余計な経費がかかると困ります」
涼やかな声は当然のように言った。
「帰られては困る」
茂みの中から長身の男が出てきた。
ドクロの意匠をほどこした杖を持ち、灰色のローブを着ている。
「ゾンビしゅ」
「ネクロマンサーだと、何度いったらわかるんですか!それに、ゾンビってなんですか!ゾンビ使いならまだ許せますが、ゾンビとなると人ですらありません!」
「シュデル、落ち着け」
「落ち着いています」
長身の男は杖を掲げて何かを唱えた。
黒い影が空中にいくつも浮かび上がる。
「またかよ。頼んでいいか」
「わかりました。話は後でつけます」
振り向いて、長身の男の方向を向いた。
「解除」
影が消えた。
「その技、キキグジ族か」
「そうしゅ」
「なんで、ムーさんが答えるんですか!」
「ゾンビの仲間しゅ」
「キキグジ族が、なぜ、この地にいるのだ」
「空を飛んで、落っこちたしゅ」
「店長、ムーさんをなんとかしてください」
「空を飛んで、落ちた……そう言われると、そうかだよな」
「違います。フライで飛翔して、ミテ湖に着水しています」
「キキグジ族か、ならば」
杖から光が出た。
小柄なフードに向かった光は、途中で曲がった。
3人の誰かが何かしたのはわかったが、何をしていたのかは見えなかった。
「時間が欲しいしゅ」
「成功率20パーセントですよね」
「ま、なんとかなるだろ」
「店長、疲れているからといって、投げやりにならないでください」
「ゾンビ、うるさいしゅ」
「ネクロマンサーです!」
ウィルがたちあがるとズボンから土を払った。
「ただ働きはしたくないよな」
文句を言ったあと、長身の男に歩み寄った。
「草刈りで疲れているんだ。終わりにしないか?」
長身の男が女中見習いを見た。
「メイド服を着ているので気がつかなかったが、あれはムー・ペトリか?」
「そうだ」
「桃海亭がなんでいる?」
「2ヶ月前に猿の幽霊を呼び出しだろ。猿の声がうるさいって当主が魔法協会に調査を依頼したんだ。その時、魔法協会の魔術師が怪我をしたんだ。それで、オレ達に猿退治の依頼がきた」
「猿を呼び出したのは私だが、私が呼び出した猿は、魔法協会の魔術師を怪我させた件には関係していない」
「わかっている。オレ達が受けたのも猿退治だけだ。猿は退治した。だから、急いで帰りたい」
「まて、言っていることがわからない」
ウィルの後ろに小柄なフードが駆け寄った。
「僕から説明します」
一息つくと早口で話し始めた。
「こちらの長女の方があなたに騒ぎを起こすように依頼して、猿を呼び出した。間違いありませんね?」
長身の男がうなずいた。
「叫び声がうるさいと当主の方が魔法協会に依頼して、魔術師がやってきました。魔術師は原因の霊を退治しようと使った術で、別の悪霊を呼び出しましてしまいました。そして、怪我をしました。自分の失態を隠すため、猿にやられたといいました。そして、桃海亭に猿退治の依頼がきました。猿は退治しました。あとは、帰るだけです」
「悪霊と聞こえたのだが」
「はい、いいました。2ヶ月前にはいなかったですが、現在は塔に住み着いています」
「それは退治しないのか?」
「除霊は教会の仕事です」
「そうだが……」
「それでは、これで失礼します。僕達が帰った後に、また猿を呼び出すのは、そちらの自由ですので」
早口で言ったフードが会釈した。
「いや、私の今回の仕事は事件の真相が隠蔽……」
「ご安心ください。依頼は猿退治です。誰があなたに依頼したのか、猿を呼び出したあなたが誰なのか、当店にはまったく関わりのないことです。魔法協会に出す報告書にも書きません。もっとも、魔法協会が別料金で知りたいと言った場合は別ですが」
「それは脅しているのか?」
「本心を言えば、今すぐにでも口止め料をいただきたいところなのですが、急いでいます。明日にでも店に来てくだされば、魔法協会に伝える前に再会できると思います」
声は涼やかだが、内容は爽やかにはほど遠い。
「わかった。考えておこう」
「店長、話が付きました。急いで帰りましょう」
ゆっくりと歩こうとする、ウィルをせき立てている。
「ようやくだな」
「猿の幽霊一匹に、どれだけ時間がかかるのですか。関係のないことには関わるなと、僕は何度も注意しましたよね」
フードが私を向いた。
「早くお逃げください。ここから先、桃海亭は関わりません。当主の方に事情を伝え、至急教会の悪霊払いの専門家を手配してもらってください」
私はうなずいて、屋敷に向かって駆けだした。
「間に合うかなあ」と、ウィルの声が聞こえた。
「間に合わなかったら店長のせいです」
「なんで、オレなんだよ」
「その体質、なんとかしてください」
「ムーはどうなった?」
「頭の上に、ティパスが乗っています」
「帰りは楽できそうだな」
「召喚は失敗だそうです」
「生きて帰れるのかなあ」
「だから、投げやりにならないでくれと、言ったはずです」
2人の声が遠ざかっていく。
背後で爆発するような音がした。
振り向くと、塔が壊れていた。
内側から爆発したような感じで、15メートル以上があった塔が2、3メートルしかない。瓦礫は塔の周囲に散乱している。
話していた場所にいたら、巻き込まれていたかもしれない。
「あっ」
ヘクトが金髪青年を背負って駆けてくる。2人とも無事のようだ。
だが、ウィルとフードの姿はない。
「危機一発しゅ」
「ありがとな」
「知り合いのティパスさんでよかったです」
声は後ろからした。
振り向くと巨大な狼のような獣とその背中に乗った3人が見えた。獣は長い尻尾をおおきく揺らし、舌を出してハアハアいっている。
ウィルが女中見習いを小脇に抱えて飛び降りてきた。
フードは尻尾に丸めとられ、地面に下りてきた。
「ムー、できるか?」
「あっち半分ダメしゅ」
「しかたないなあ」
そう言うと、ウィルが私のところに駆け寄ってきた。
「塔の周囲50メートルくらい、破壊してもいいですか?」
「悪霊が退治できるのでしたら、構いません」
「いいそうだ」
「わかったしゅ」
女中見習いが指を奇妙な形に組んだ。
「ホーリー・レイン!」
塔の周囲に光の粒が落ちてくるのが見えた。
無数の細かい粒が降り注ぐ。
悲鳴が聞こえた。
壊れた塔のあたりから黒い煙が立ち上がり、捻れるような動きは、苦しみもだえているように見える。
光の雨の中、黒い煙はダンダンと薄れていき、ついには姿を消した。
数分間、続いた光の雨が終わると、塔は跡形もなくなくなっていた。
「今度こそ終わりだな」
「終わったしゅ」
「終わってくれなければ、困ります」
3人が塔の方向を見ている。
私は右を向いて、屋敷の方を見た。
ウィルは塔の周囲50メートルと言った。私は、塔は円の中心の位置で、直径50メートルだと思った。
「すみません、ちょっと、屋敷が壊れちゃいました」
「ちょっとしゅ」
「誰か怪我はされませんでしたか?」
「大丈夫です。屋敷の東側は客間だけです。いまはヘクトさんしか使われていません」
ウィルが言ったのは、塔を中心として半径50メートルだった。直径にすれば100メートル。屋敷の東側が10メートルほど砕かれた。
「何があったのだ」
夜着にガウンを来て駆けつけたのは、お父様。
召使いたちも屋敷の玄関のところに集まっている。
「塔についた悪霊をこちらの方々が退治してくださったのです。東側が壊れましたけれど、大丈夫でしたか?」
「あそこは客間だからな、問題はない」
「それはよかったです」
「こちらの方々は…」
女中頭ゲイルが駆けてきた。
「申し訳ありません。今日入ったばかりの召使いで…」
「だから、何度も言っています。オレ達は召使いの応募者じゃないんです」
「違うしゅ」
「もしかして、君たちは今日来る予定だった魔法協会の魔術師なのか?」
お父様が聞いた。
「そうです」
「来たしゅ」
「この惨状は」
「塔についた悪霊を退治しました。安心してください。もう、悲鳴が聞こえることはありません」
ウィルが自信満々に断言した。
元凶の塔がなくなったのだ。悲鳴があがるはずがない。
「だが、屋敷が…」
「お父様、屋敷を傷つけた魔法の使用は私が許可しました。使わなければ、あの恐ろしい悪霊が屋敷を覆い尽くしたことでしょう」
私を見るウィルの目に、感謝が溢れている。
「そうだったのですか。それはありがとうございました。お疲れでしょう。どうぞ、屋敷でゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます。でも、我々は魔法協会に報告しなければならないので、これで失礼します」
「いまは夜中ですぞ」
「急げば明け方には魔法協会に報告が出来ます。至急と頼まれていたので、報告を急ぎたいのです」
ウィルの真後ろにフードがぴったりとついている。
寄り道は絶対に許さない、とか囁いていそうな気がする。
「では、気をつけて」
「失礼します」
帰ろうとしたウィルに、私は近づいた。
「ウィルさん、金貨20枚で依頼したこと忘れていませんか?」
「あ、あれですね」
慌てた表情からすると完全に忘れていたようだ。
「大丈夫です」と言うと、フードを手招きした。
「ヘクトさんを屋敷に入らないようにしてくれ」
「いいんですか?」
「頼む」
「わかりました」
フードは滑るようにヘクトに近づいた。そして、ヘクトの耳に何かを囁き始めた。
人の顔色が、青く変わっていくのを初めて見た。
最後に、フードが「屋敷には入らないでくださいね」と言うと、ヘクトは何度も必死にうなずいていた。
私の横をフードが通るとき、フードに隠れた顔が一瞬だけ見えた。
漆黒の髪に白い肌、紅い唇、そして、銀色の目。
もし、ゾンビではなく、悪魔だと言ったのなら、信じてしまいそうな人間離れした美しさだった。
「店長、終わりました」
顔にあった澄んだ声。
「勝手に変な約束をしないでください。僕が来なかったらどうするつもりだったんですか。店長は適当すぎます」
女中見習いは正しい。
このフード、本当に『うるさい』。
「悪かった。そのかわり、いいことを教えてやる」
「なんですか」
「そちらのマデリンさんから金貨40枚いただける」
「早く、早く受け取ってください。また、取りそこねます」
せかされて、ウィルがやってきた。
「そろそろ帰りますので、お約束の金貨40枚、いただけますでしょうか?」
「約束したからお支払いします。ただ…」
「ただ?」
「あなたからも金貨をいただかないといけないのですが」
「オレから?」
「はい」
「なぜ?」
私は巨大な狼を手で指した。
「あちらの狼さんの足の下に、噴水がありましたの」
「噴水?」
「来客がいないので水をとめていましたが、女神が3体彫られた当家の初代が作られた素晴らしい噴水でした。本当なら、金貨100枚ほどいただきたいのですが、命を助けていただいたことを考えると相殺するのがよろしいかと思っていたところです」
ウィルが後ろを振り向いた。
「本当か?」
なぜか、フードがうなずいた。
ウィルは「はあ」とため息をついた。
「わかりました。それでは、これで失礼します」
肩を落としてトボトボと狼のところに戻っていく。また、フードに何か言われている。
女中見習いが小走りで近寄ってきて手を出した。
「返してしゅ」
私の手に預かったペロペロキャンディがあった。騒動の中も、離さず握っていたらしい。
丸っこい手で受け取るとナメながら、狼の方に駆けていった。
その後、3人で狼に乗って街道の方に去っていった。
私は屋敷の方に戻っていった。
姉のジャクリーンがヘクトを屋敷に誘っているが、ヘクトが「荷物は家に送ってくれ」と言って逃げるように去っていった。
ヘクトに逃げられたジャクリーンは、私の方に駆けてきた。
「何をしたの!」
「知りません。ヘクトさんに聞いてください」
「私の幸せを邪魔する気なの!」
「先ほど、偶然、ネクロマンサーの方とお会いしました」
「……何を言っているの?」
「お父様にお伝えしておきますね」
「やめて!」
「やめてもいいのですが…」
そこで言葉をとめた。
私が言わなかった内容をジャクリーンは察したらしい。
「わかった。わかったから、言わないで」
「もし、お姉様がヘクトさんと再びお会いになったら、お父様に話します。そう思っていてください」
そう言って、踵を返した。
ジャクリーンの顔を見る必要はない。
お父様が使用人を指図している声が聞こえる。
私は自分の部屋に向かった。
今夜は気持ちの良い眠りであることを確信していた。
翌朝、召し使いたちによって瓦礫は片づけられていた。金髪の召し使いも、長身のネクロマンサーもいなかったらしい。あの騒ぎに紛れて、逃げたのだろう。
朝食に降りるとお父様だけしかいなかった。
お姉さまが打ちひしがれて部屋で泣いており、お母様はそれについているということだった。
お父様と私だけの食事がはじまった。
会話のない静かな食事の後、コーヒーを飲んでいるお父様が私に聞いた。
「マデリン、昨日の夜、何があったのかね」
穏やかな表情だが、目がせわしなく動いている。真相を探っているのだろう。
「眠れないので東の塔に登ったところ、魔法協会の魔術師の方に会いました。ちょうど悪霊がでたので、退治をお願いしました。退治されたようでよかったです」
「ヘクトがいたようだが」
「偶然、塔の見張り台でお会いしました。叫び声がするので気になっていたようです」
お父様がコーヒーを一口飲んだ。
少し黙った後、私を見た。
「昨夜、ヘクトが逃げるように屋敷を出ていった。マデリンは理由を知っているか?」
「知りません」
「だが、尋常な様子ではなかった」
「知りません。私が知っているのは、二度とこの屋敷にくることはないということです」
「なぜかね?」
お父様の探るような目が続いている。
「知りません。ただ、ヘクトさんは二度と来ないのですから…」
そこから、部屋にいる召使いたちにわからないように言葉を抜いて言った。
「……取り下げていただけませんか?」
今回の出来事の発端は、姉のジャクリーンがヘクトと結婚したいが為に事件を起こそうと考えたことだ。東塔に幽霊をだして家の評判を落とし、ヘクト以外には結婚相手はいないと父に結婚を承諾させようとしたのだろう。
お父様はそのことに気がつき、魔法協会の魔術師と聖教会の神父を呼んで、幽霊を払おうとした。ここで想定外のことが起こった。魔術師が悪霊を呼んで、2人は怪我をした。
幽霊の叫び声がやまないことから、お父様は再び魔法協会に魔術師の派遣を頼んだ。来たのが、あの2人。
お父様は、他にも屋敷に居座るヘクトを排除するために暗殺を依頼した。来たのが、狐目の女中。
ヘクトは、苦労してお姉さまと結婚しても、私がいる限り、財産の半分しか相続できないことを不満に思っていた。そこで、私の殺人を依頼した。来たのが金髪の青年。
お姉さまは、計画通りにいっていないことに気がついて、前に頼んだネクロマンサーに幽霊事件の隠蔽を頼んだ。来たのが、長身のネクロマンサー。
複数の依頼者、実行日は昨日。
お父様はまた、少し黙った。
「わかったと言ったら、すこしは良くなるのだろうか?」
私は首を横に振った。
「違います。良くなるのではなく、すべてが終わるのです」
お姉さまの依頼した猿の幽霊は、いなくなったから解決。
猿の幽霊がいなくなったから、長身のネクロマンサーも来ることはない。
ヘクトは私を殺す理由がなくなったから、金髪青年も来ない。
あとは、お父様がヘクトの暗殺の依頼を取り下げてくれれば、この事件は片が付く。
お父様が私を見た。
表情を押さえているが驚いている。
しばらく黙った後、重々しく言った。
「取り下げよう」
「ありがとうございます」
集まりすぎて、混乱して、それでも、なんとか終息した。
「そういえば、お父様、お聞きしたいことが」
「何かな」
「桃海亭をご存じですか?」
「エンドリアにある観光スポットなら聞いたことがある。変わった出し物を見られるそうだ」
「魔法協会に桃海亭という魔術師はいませんか?」
「そちらの桃海亭か」
そういうとお父様は顔をしかめた。
「魔術師の名前ではなく、冒険者パーティの名前だ。リーダーのウィル・バーカーは2メートルをこす巨漢で乱暴者だ。不幸を呼ぶ力を持つそうだ」
私の予想は外れたらしい。
ウィルという名は同じだが、2メートルには、25センチくらい足りない。
「天才と名高いムー・ペトリもメンバーだそうだ。破壊魔法を乱発することから白い悪魔と呼ばれている。なぜか、幼児語で話すそうだ」
女中見習いが長身のネクロマンサーに『ムー・ペトリ』と呼ばれていた。
メンバーが2人とも同じ名前だとなると、桃海亭という冒険者パーティという可能性がある。
だが、女中見習いは魔法で東塔と屋敷の一部を破壊はしたが、必要があってのことで、魔法を乱発するような感じではなかった。
「普段は2人で行動するそうだが、あと1人、サポートに入る場合があるそうだ。シュデルと呼ばれているそうで、記憶を読む力を持つ少年らしい」
記憶を読む。
フードがシュデルと呼ばれていた。記憶を読む力でヘクトを追い払ったのだろうか。
「その少年は非常に美しくて、魔王ですら魅了するだろうと言われているそうだ」
我慢できなかった。
「フフフッ」
「マデリン、どうしたんだ。お前が声を出して笑うのを見るのは、何年ぶりだ」
お父様が驚いている。
でも、笑わずにいられない。
真実と噂はどこまでかけ離れるのだろう。
シュデルは確かに美しかった。私がいままで見た人間の中では最も美しいといっても過言ではない。だが、
「フフフッ」
あの口うるささでは、美貌に魅せられた魔王も3日と経たず逃げ出すだろう。
白い悪魔、ムー・ペトリ。
ペロペロキャンディを食べている顔しか思い浮かばない。
そして、ウィル・バーカー。
「フフフッ」
猿の幽霊を退治しに来て、
私を助け、猿の幽霊を退治して、ヘクトの命を助け、ネクロマンサーを退け、悪霊を祓った。
大忙しの危険作業。
もらえる報酬は猿の退治料のみ。
『不幸を呼ぶ』
噂通りだ。
だが、私からすると、命を救われ、ヘクトを追い出し、父の依頼の暗殺を防ぎ、屋敷に平穏が戻った。塔と噴水と屋敷の一部が壊れたが、たいした事ではない。
不幸を呼ぶのではなく、不幸を吸着してくれる
ウィル・バーカーとは、そういう生き物なのかもしれない。
「フフフッ」
笑いが止まらない私をお父様が怪訝そうに見ている。
だが、しばらく笑っていたかった。
たぶん、今頃、ガッカリしているウィル・バーカーの分までも。
「ハクシュン」
「店長、風邪ですか?」
「いや、どうしたんだろうな?」