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聖戦は仕事のあとで  作者: 毒舌メイド
プロローグ いえ、彼女が勇者です。
1/5

貧乏勇者の転機

以前、秋葉の空といういたって普通の恋愛小説を掲載した私ですが、続編で行き詰まってしまい、今作はその気分転換に思いついた設定で筆を進めたものです。

細かい部分の設定など、書き始めてから考えるタイプの私なので、見苦しいかもしれませんが、良ければご覧になっていってください。



取調室には中年の刑事と見るからに新人の刑事、被疑者の女性を合わせて三人。



刑事ドラマで見たことがある狭い部屋の中央には机が一組、それを挟んでパイプ椅子が二つ。



入口側に中年刑事、奥の席に女性が座らされた。


 

入口の脇に一人がけの机が用意されていて、新人らしい若者が調書にペンを走らせている。



きっと記録係なのだろう。



四角い部屋には被疑者が座る奥に小さな窓がひとつ。



その気になれば人が通り抜けられる大きさだが、すりガラス越しに鉄格子が見えたので彼女は強行する選択肢を断念した。



はっきり言ってその気になればたった二人の刑事くらい打倒するのは造作もないが、彼女にはそうしない理由がある。



彼女はお腹が空いていた。

 

 

警察の取調べでは容疑者が頑なに黙秘していると根負けした刑事がカツ丼を出してくれるのをテレビで見たことがある。



ここ数日、商店街のパン屋から無償で譲り受けているパンの耳しか食していない彼女はカツ丼を食べさせてくれるまでは黙秘を続けると心に決めていた。



「なぁ、お嬢ちゃん。もうネタはあがってんだ。いい加減認めたらどうなんだ?」

 


おお、ついにきた! もうネタはあがってんだよ! これはドラマでも言っていた。



順番としては机を叩いて「お前がやったんだろ!?」の方が先に出るはずなのだが、過程を飛ばしてこの台詞が出たということはこの男、もう根負けしようとしているのか。



案外、チョロいわね、このおっさん。



「古谷さん、そろそろ昼ッスけど、出前とりますか?」



でかしたぞ、新人!



最高のタイミングでの発言に机の下で彼女はガッツポーズする。



「ああ、もうそんな時間か。お嬢ちゃんも腹減ったろ? ちょっと休憩にするか。何か食いたいものはあるか?」



「……カツ丼」



「ようやく喋ってくれたな。それにしても長年、刑事やってきたが警察の取調室でカツ丼を強請られたのは初めてだ。あんた、案外大物なのかもな」



古谷と呼ばれた刑事は快活に笑って新人に出前をとらせた。



警察に連行されてから彼女の一言目がカツ丼だったことは言うまでもない。



それほど餓えていた。



パンの耳を水に浸して少しでも満腹感を得ようと努力した日々はあまり望まない形で報われる。



この部屋には時計がないので、正確な時間は分からないが、新人が部屋を出てから三十分ほどで出前のカツ丼がやってきた。



丼の蓋を開けると黄金色の衣を纏った肉厚のトンカツは卵とじにされている。



近所のカツ丼屋の店頭の幟で見るよりもネギが多く入っている気がした。



警察の出前だから通常よりもサービスされているのかと邪推したが、実際にそんなことはない。



調理した人の気まぐれだろう。



無料で食べさせてもらう身でそんな疑いをかけるのはお門違いだ。


 

というか、嫌疑をかけられているのは自分自身なのだ。



割り箸を渡された瞬間、よーいドン(丼だけに)の合図を聞いたアスリートのように丼をかきこむ。



新人が人数分の紙コップに水を入れて戻ってきたときには既に完食していた。



正直、肉を食べる機会なんて滅多になかった(最後に肉を食べたのは何年前だっただろう)ので、ゆっくり味わいたかったが、空腹には勝てなかった。



水を飲んで落ち着いたところで古谷が再び本題へ戻る。



「相当腹ぁ減ってたんだな、あんた。なぁ、そろそろ事情を話してくれねぇか? こちとらまだお嬢ちゃんの名前も聞いてねぇぞ」



「……」



ふりだしに戻ったように頑なな態度に戻る彼女に刑事たちは苦笑して顔を見合わせる。



腹ごしらえは済んだ。



もうここにいる理由はなくなったと強行手段に出ようと思った瞬間、入口の扉が開いて別の刑事が入ってくる。



「古谷さん、ちょっといいですか」



これで新人と二人きり。新人は少し遅れて食べ始めたのでまだ食事中だ。



今なら隙をついて気絶させることもできると音もなく立ち上がろうとしたとき、古谷が部屋に戻ってきたので何もなかった風を装って席に着く。



ちっ、タイミング悪いわね。



新人を気絶させてドアの裏に待機して、入室してきた古谷を人質に脱出するつもりだったのに。



しかし古谷は予想外の行動に出た。



「お嬢ちゃん、あんたは釈放だ。迎えが来ているからついて来てくれ」



「え、古谷さん、どういうことッスか?」



「さっき真犯人を名乗る奴が署に出頭してきたんだ。被害者にも確認して間違いないらしい。つまりお嬢ちゃんも被害者だったわけだよ。悪かったな、今回のウチの不手際はさっきのカツ丼でチャラにしてくれや」



脅迫じみた取調べを受けたわけでもないので不手際について文句はないが、彼女はあまりの急展開に混乱していた。



一体、どうなっているの?



場所が場所だけに口に出して言うことはないが、今回の真犯人は彼女に間違いない。



後先を考えずに会社へ殴りこみ、受付嬢を人質にして反撃してきた数人の社員を返り討ちにした。



会議室に立て篭もった数分後に突入してきた特殊部隊に鎮圧された事実に誤解はない。



それなのに自分以外の犯人が出頭したというのだ。



思いつきで飛び込んだので、顔を隠すこともしなかったはずなのに、被害者に確認がとれたということは、自分と同じ顔の人物が自首してきたのだろうか。



気になる。



一体、どんな女が何の目的で自分の身代わりになったのか。



古谷の後ろについて歩きながら視線を泳がせたが、偽者の真犯人(何かややこしい)は既に取調べを始めているようで見つけることができなかった。



ロビーまで案内されたところで彼女を待っていたのは――



「やぁ、災難でしたね」



「――魔王ッ!?」



彼女が襲撃事件を起こした際の標的が、朗らかな笑みを浮かべてそこにいた。



会社に乗り込んだときは海外出張から戻っていないということだったが、どうやら彼女が捕まった後に戻ってきたらしい。



「刑事さんもご苦労さまでした。まさかスライムが彼女に化けて悪事を働くとは思いもせず、ご迷惑をおかけしたことを魔族を代表して謝罪いたします。幸いウチの社員に怪我はありませんでしたし、未遂ということなので起訴するつもりはありません。魔族同士の起こした事件は魔界の審判で罪を償わせますので、聴取が終わりましたらご連絡ください。あ、こちらは僕の名刺です」



恭しく頭を下げた若き魔王は洗練された仕草で名刺を渡した。



「でも、お嬢ちゃんはどうしてあんなところにいたんだ?」



ベテラン刑事の勘というのは時に事件の真相を嗅ぎ分けるというけれど、古谷はなかなか優秀な男のようだ。



「彼女は僕の不在にもしものことが起きたときのための護衛として日雇いしたアルバイトなんですよ。今回、怪我人が出なかったのは彼女の功績と言っていいでしょう。でもまさかその彼女に化けて事件を起こされるなんて本末転倒ですよね。外部の手をかりる際はもう少し気をつけないといけないという良い教訓になりました」



いけしゃあしゃあと出てくる真っ赤な嘘に驚愕して声も出ない。


 

まるで綿密に打ち合わせをしてすべての質問に対する返答をマニュアル化していたような自然な受け答えに古谷の疑心も解けたようだ。



「なるほど。魔族の考えはよく理解できねぇな。最後に一つ質問してもいいかい? さっき日雇いした護衛と言っていたが、まだ若い人間に見えるけど、お嬢ちゃんは一体、何者なんだ?」



世界に一人だけしかなれない職業が二つある。



ひとつは目の前で気味が悪いくらい自然な作り笑顔を浮かべる魔王という職業。



そしてもうひとつは――



「やだなぁ、刑事さん。魔王の不在を預かるならそれなりの実力者でないと務まるわけないでしょう? 僕の代わりを任せられる人なんて勇者しかいないじゃないですか」



魔王城を守る勇者。


 

なんて滑稽な話だろうか。



しかし、それが許される時代なのだ。



頑なに黙秘してきた自分の素性を明かされた勇者は、仕返しに魔王の言っていることが全部嘘であることを証言して「ざまぁ」と嘲笑したい反面、ここでそれをしたら再びあの狭い部屋へ戻されるという状況の中、ただ不機嫌に自分のつま先から視線を動かさなかった。



勇者と魔王の聖戦が終結してから二十余年後。



人間と魔族が手を取り合うことが許されているはずなのに、勇者と魔王という職業が未だに存在する矛盾した世界。



これはそんな時代に生まれた不器用な女勇者と、世渡り上手な魔王の新たな聖戦の物語である。



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