チェーンメール
「ねえ、チェンメって知ってる?」
友人の小原佳緒理が私こと宮崎幸穂にそう声をかけてきたのはある日の昼休みのことだった。
「チェンメってあのねずみ講みたいなやつでしょ?」
私は佳緒理にそう返す。チェンメとはチェーンメールのことであり、このメールを何日以内に回さないと不幸が訪れるとか、簡単に言うとそういっためんどくさい類のものだ。
「またあんなのが流行ってるの?」
「まさか。私の言ってるチェンメはそんなんじゃないわよ。あんなのと一緒にされちゃ困るわ」
そう言った佳緒理の表情はいつになく真剣だった。
「じゃあ何だっていうの? そもそもこのご時世連絡手段は基本ラインが中心じゃない」
ラインと言うのは有名な通信サービスの一種だ。メールに代わって最近では連絡手段の中心にもなりつつある。
「それが、どうもそのメールは差出人不明でどこからともなく送られてくるらしいのよ。でも、そのメールは他の人には回すことができないみたいで」
「何それ? チェンメとはちょっと違くない?」
私は首を傾げた。
「それが、どうも名前のチェーンの意味が違うみたいなの。普通のチェンメなら連鎖的に回すって意味じゃない? でもそうじゃないみたいなの」
「じゃあいったいどんな意味なのよ?」
まさかチェーンの意味を知らなかったとは言えず、代わりにそう聞いた。
「そこまでは私にも分かんないけど。で、そのチェンメ、届いた人がどうなると思う?」
「不幸になるとかそんなん?」
私はそんな適当な返しをする。
「そんな話だったら私だって忘れるわよ。突然メールが届いたら不幸になりますなんてそんなメール誰も得しないじゃない」
確かにそれはそうだ。
「じゃあ、どうなるの?」
「それが、何でも好きな願いを1つ叶えてくれるらしいのよ。どんな願いもかなえてくれるって素敵じゃない?」
キャーっと叫びながら盛り上がる佳緒理。
「バカらし……。じゃあ誰かがそういうメールをもらったの?」
私は佳緒理にそう聞く。
「いや、そういう訳じゃないみたいだけど……」
佳緒理はしどろもどろになる。やっぱり、と私はため息をついた。
「だったらこの話はデマでしょ」
「まあまあ、デマでも夢のあるデマなら信じてて楽しいと思うわよ?」
彼女はそう言うと、1枚の紙を私に差し出した。
「何これ?」
「そのチェンメの文面。もし届いたら私に教えてよね」
「まさか、こんな胡散臭いもの本気で信じてるの?」
私は白い目で佳緒理を見る。
「まあまあいいじゃない。それじゃ、よろしくね」
佳緒理は自分の言いたいことだけ言うと去っていった。
「……ホント、バカみたい」
1人残された私は再度同じことを呟いた。
(あなたはこのメールに選ばれた人です。あなたには叶えたい願いがありますか? それはどんなことをしてでも叶えたい願いですか? もしそこまでして叶えたい願いがあるのなら、その願いを書いてこのメールに返信してください。その願いを叶えて差し上げます。ただし、願いを叶える条件として返信後はこのメールを削除してください。もし願った後もこのメールを所持していたなら、その時はあなたに大きな災いが降りかかるでしょう。願いがなければ、このメールはあなたに願いたい願いができるまで大切に保管しておいてください)
「見れば見るほど胡散臭いメールじゃないこれ」
帰宅後、私は佳緒理からもらったメールの文面を部屋で見てそんな感想を漏らす。こんなもので願いが叶ったという人がいなかったことからしても、このメールが本物であるという確証は薄いだろう。こんなものに踊らされている周りの人間が憐れでならない。
「でも火のないところに煙は立たないとも言うのよね」
一瞬そんなことを考える私だったが、
「……ううんやめやめ。こんなこと考えるなんて佳緒理に影響され過ぎたのよきっと。そんなことより今日は山嵐がMスタートに出る日だったし、早くテレビ見なきゃ」
すぐに切り替えると、テレビを見に行くことにした。
だが次の日、佳緒理は喜び勇んで私の元にやってきた。
「見てよ幸穂! これ!」
自分のスマホ画面を見せる佳緒理。そこには彼女に昨日見せてもらった文面と全く同じものが書かれていた。
「……タチの悪い自演でもしたの?」
「違うわよ。ほら見てよ差出人のところ」
見せてもらうと、確かに差出人のところは不明になっていた。
「でも、こういうのっていくらでも操作できたりするもんなんじゃないの? 迷惑メールだって同じ原理で差出人不明のメールとかよく来るじゃない」
私はそう彼女に言ってみる。
「だから、昨日も言ったけどこういうのは夢さえあれば楽しいのよ。現実逃避ができるっていうのはこの手の噂のいいところよ?」
だが、彼女はまるで聞く耳を持とうとしない。
「せめてやるなら噂通りの手順でやりなよ」
私は代わりにそう忠告してあげることにした。
「当たり前じゃない。わざわざ逆らおうとなんてしないって」
一方の佳緒理はそれを笑って受け流した。
だが、それから数日後、佳緒理は学校に来なくなった。初めのうちは風邪だろう、と私も思っていただけだったのだが、それから2週間経っても彼女は学校に来る気配もなく、いつの間にか不登校扱いとなってしまっていた。
「おかしいなあ……」
気になった私は佳緒理の家を訪ねてみた。だが、返事はない。それどころか休みならいるはずの彼女の両親すら不在で、返事は返ってこなかった。
「佳緒理は一体どうしちゃったのよ……」
私はよく分からないまま、彼女の家を後にした。
さらに数日後、佳緒理が失踪したと学校側から連絡があった。もっとも、私に連絡が入った訳ではなく、全校生徒に向けての連絡だったが。佳緒理の近所の住人が誰も出てこない佳緒理の家を不審に思ったらしく、警察に連絡したのだそうだ。その後、警察が調査のため佳緒理の家に入ったところ、佳緒理の家には誰一人いなかった。不思議なのは彼女の家の中にあったものが何一つ手を付けられていないままに放置されていたことで、食べ物も置いたままであったり、まるでついさっきまで誰かがいたような生活感あふれる部屋だったらしい。同時期に佳緒理の友人数名も失踪していることが分かり、警察は集団失踪事件と断定し捜査を続けているが、いまだに何の情報もないそうだ。
(佳緒理に何があったんだろう)
私は帰り道、そんなことを考える。彼女だけならともかく、家族全員がいなくなってしまうというのは何か普通ではないことがあったとしか思えない。まして部屋のものが荒らされた様子がある訳でもなく、ついさっきまで人がいてもおかしくない部屋だったというのが余計に気にかかる。そこで私が思い出したのは佳緒理が見せてくれたあのメールだった。
(まさか、あのチェンメが関係してる?)
そんな考えが一瞬頭をもたげたが、私は首を振った。
(そんなわけない。あんな迷信みたいなものが本当にあるわけないんだ)
そう私が考えたその時だった。突然スマホの着信音が鳴り響く。学校にいる間はマナーモードにしていたから絶対に鳴らないはずなのに。
「えっ、何? 何?」
私は困惑しながらも、そのメールを開く。
(あなたはこのメールに選ばれた人です。あなたには叶えたい願いがありますか? それはどんなことをしてでも叶えたい願いですか? もしそこまでして叶えたい願いがあるのなら、その願いを書いてこのメールに返信してください。その願いを叶えて差し上げます。ただし、願いを叶える条件として返信後はこのメールを削除してください。もし願った後もこのメールを所持していたなら、その時はあなたに大きな災いが降りかかるでしょう。願いがなければ、このメールはあなたに願いたい願いができるまで大切に保管しておいてください)
そのメールは以前佳緒理から見せてもらったあのメールと同じものだった。
(別に私に叶えてほしい願いなんかなかった。でも、今は願いとかそういう問題じゃなくて、ただ佳緒理がどうなったのか、それを知りたい)
そこで私はこう返信した。
(佳緒理に会わせてください)
そして、そのメールをすぐに削除した。
だが、そのメールはやはりガセだったのだろう。1週間経っても佳緒理からは何の音沙汰もなかった。
(何よ、やっぱりただの噂じゃない。信じた私が馬鹿だったわ)
私はある日の帰り道、ぶつけようのない怒りを感じながら歩く。気付くと私の足は佳緒理の家へと辿り着いていた。
(ここに来たって意味なんかないのに)
だが、私が佳緒理の家を通り過ぎようとしたその時、突然空間が歪んだ。
「何、これ……」
そこで私の意識は途切れた。
「……ここは?」
目を覚ました私は、見渡すばかりの薄暗い背景に首を傾げる。私は佳緒理の家の前にいたはずだったのだが、これはいったいどういうことだろう。
「こんにちは。宮崎幸穂さん、ですね?」
私は声のする方向に首を向ける。目の前に立っていたのは黒フードの男だった。
「あなたは?」
驚きながらも私は尋ねる。
「私はあなたにあのメールを差し出した者です」
男はそう答える。
「どういうこと? 何で私はここにいるの?」
私は喧嘩腰になりながらも尋ねる。
「……あなたの願いを叶えるためです」
「叶えるため……ですって?」
私は聞き返す。
「はい。あなたは佳緒理さんに会いたいと願いました。一方で佳緒理さんの願いは家族と信頼できる人間だけしかいない別の世界、いわゆる異世界で生きたい、だったんです。ただ勘違いしないでほしいのは、あなたのことを誘わなかったのにはきちんとした理由があるということです」
「……詳しく聞かせてもらえる?」
私のその問いに黒フードの男はいいでしょう、と前置きして話し始めた。
「佳緒理さんには誰にも言ってなかったある願望があったんです」
「それが異世界に行くことだったっていうの?」
男は頷く。
「ですが、彼女には1人で異世界に行く勇気もなければ、そこから頑張って人脈を広げようという気もなかった。だから家族と信頼できる人間だけを自分の作り出した異世界へと導くことにしたんです。言うなれば世界の創生者ということでしょうか」
「……それで、結局佳緒理はどこに行ったのよ?」
私は苛立ちながら男に尋ねる。
「まあまあ落ち着いてください。先ほど私は家族と信頼できる人を異世界に招くと言いましたが、もちろんそこには彼女の友人であるあなたも含まれていたのです。ただ、あなたはこのチェーンメールの存在を信じてはいなかったでしょう。なので、時間を置くことであなたが佳緒理さんのことを気にするように仕向けてくれ、と佳緒理さんからの伝言がありまして」
「それで私のところに佳緒理からの連絡が何もなかったっていうの?」
男の言葉から私は徐々に真相に近づいていく。
「そうです。あなたも学校から聞いたでしょう。佳緒理さんの友人の失踪事件のことを」
そういえば佳緒理とその家族ということに気を取られてはいたが、私のクラスメイトの何人かもいなくなっていた。友人と呼べるほど仲のいい人物がいなかったのであまり気に留めてはいなかったのだが。
「その失踪事件は彼女によって送られたメールのURLを開いたことで発生したものです。彼女はまず家族を異世界に招待した後、あなたを除いた連絡したい友人にメールを送ったのです。そして、佳緒理さんの失踪にあなたが疑問を持つようになったタイミングを見計らって、私はあなたにあのメールを送ったのですよ。そしてあなたは見事、佳緒理さんの策略通りに会いたいという願いをメールで返信してくださったわけです」
「じゃあ、佳緒理には会えるのね?」
「はい」
男は私の言葉を肯定する。
「ただし、あなたが佳緒理さんの世界に行くと、今まであなたが過ごしてきた世界には二度と戻ることはできなくなります。そして、あなたがそれを拒否しても、メールに願われた願いは絶対のものです。この意味はお分かりですか?」
「つまり、私はもう元の世界には戻れないのね」
男は首を縦に振る。そこで私はこのチェーンメールのチェーンの意味が少しだけだが理解できたような気がした。あれから私はチェーンについて調べてみたのだが、チェーンの意味の中の1つに何かに縛り付けるという意味があった。つまり、このメールに願いを願った者は願いを叶えてもらうことを条件に、一生その願いに縛り付けられなければならないのだ。だが、もうそんなことはどうでもいい。
「……黒フードさん、その世界に連れて行ってくれる?」
私は黒フードの男に尋ねる。
「いいんですか?」
黒フードの男は意外そうな顔で私の方を見る。
「たとえ戻れない世界だとしても、佳緒理がいるんだし、別にいい。それに……」
私は今までの会話の過程であることを考えていた。佳緒理の許した人なら入れる世界ということは、佳緒理が許してくれさえすれば誰を呼ぶこともできるのだ。
「それに……何ですか?」
そこで黙った私に黒フードの男が尋ねる。
「ううん、何でもない。それで、佳緒理のところに連れてってくれるの?」
だが私は頭の中の考えをそれ以上口に出すことはせず、強引に会話を打ち切った。
「……ええ、それが私のお仕事ですからね」
男は少し悩んだようだったが、私を連れて行くことを承諾すると、私を手招きする。私は男に連れられ、その空間から姿を消した。
私が失踪してから数日後、人間界ではこんなニュースが流れた。
(人気グループの山嵐5人が突然失踪するという事件が発生しました。5人全員が同時に消えてしまったということで、警察では彼らの行方を追うと共に、何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとみて詳しく調べています……)