賞味期限の切れた物語。
1.
俺は一体何を……?
気が付くと、眼前には深い傷を負い、青い血を滝のように流しながらもその人間一人分はゆうにある大きさの禍々しい角のついた頭をこちらに向け、醜悪な顔に憎悪の色を濃く滲ませ牙をむく異形の化け物の姿があった。
なんだこいつ。
その身体を足までたどって見て行くとその先にはそいつの流した血が溜まったせいで蒼い水たまりが出来ている。周りにはところどころ抉れたり、ひび割れたりした石の壁。
いや、違う。
あれは床だ。
ってことは俺は空中にいるのか?
俺は空中で剣を振りかぶってこいつに攻撃しようとしているようだった。
だが、不思議と地面にいるのと同じように落ちる感覚も飛ぶ感覚も何もない。
辺りを見回そうとする。しかし、身体は全く動かない。
刻が止まっている!?
一体、何がどうなっていやがる!?!?
これは、新手の敵の攻撃なのか!?!?
段々と自分が何者かを思い出してきた俺は、一先ず今までのことを思い出してみることにする。
俺はシュウ。本当の名前は小坂井 修一。
前の世界での俺は無職童貞ニートの二十五歳だった。
ある日、親の財布から抜き取った一万円を大事に握りしめ、コンビニへと翌日から始まるソシャゲのイベント課金の為にプリペイドカードを買いに行ったら、空から降ってきたスパナに当たって俺は呆気なく死んでしまった。
「今回のイベント報酬は絶対逃せないのにっ!! ざけんな!!!!! それに、俺、童貞も捨ててないのにぃ!!」
気が付くと何もない真っ白な空間にいた俺は自分が死んだことを悟り未練がましい言葉を叫んだ。
しばらく叫び続けていると神と名乗る女が現れた。神は言った。
「手違いで死なしちゃった☆ ごめん。てへぺろ(。・ ω<)ゞ」
このふざけきった神はお詫びとしてまずそのロリロリな肢体を俺に捧げた後、こちらの希望通りに俺にありったけの最強のチート能力(さらに後付けでカスタマイズも可)と誰もが羨むイケメンな顔を与え、人生超イージーモードにお膳立てした上で俺の好きだったゲームの世界をそっくりそのまま再現したこの世界へと送り出してくれた。
まぁ、無双出来るならいいか。最近親の会社の経営も良くないとかってネット記事で出てたし。前世に未練なんてSRを取り逃したことと、見かけていたアニメの続き位しかない。
この世界を楽しみつくすことを決めた俺。
前世ではコミュ障引きニートだった俺も、ここでは一転して超リア充。世界中探しても分野を問わず俺にかなう奴がいないという自信がそうさせたのだろうか。のっけからもう八面六腑の大活躍だった。
一般冒険者からスタートして、俺を侮辱した剣士を軽々とぼこったり、村人に懇願されモンスターを殺しまくったり、行く先々で出会ったご当地女とヤりまくったり、時にはピンチもあったがそこは持前のチート能力で軽々乗り切ったり。
そうこうしている内に、いつの間にか人々に俺は『万人斬りのシュウ』(色んな意味で)と讃えられるようになった。
でもって、今目の前にいる化け物。そうだ。魔王ジャ・アーク。思い出した。
俺が四桁以上の女達の後にようやく辿り着いた最高の女、ミリア。そいつをバカなことに結婚式当日に攫った魔王。俺はそいつの城に仲間たちと殴り込みをかけ、モンスターどもを根絶やしにし、色々苦戦するところはあったが、ようやくこいつにトドメを刺そうとしてたんだ。
どんな敵をも打倒してきた最強のチート武器『絶対存在否定剣』から繰り出される、俺の最強の必殺技『絶対正義斬』で。
回想終了。
で、なんでだろう。何故、俺はここで止まっているんだ?
さっきから念じ続けているが今まで例えどんな状況であっても発動させることの出来たチート能力達は何一つとして発動する気配がない。既にこの城の敵は殲滅済みだ。新たな敵の攻撃とは考えられない。
段々と不安に苛まれる俺。
もし、このままずっと永遠に微動だにも出来ずに意識だけを保ち続けることになったら……
身の毛もよだつような恐怖と不安を振り払う様に首を振ろうとする。しかし、止まった刻の世界でそれは出来なかった。
ったく、ホントに勘弁してほしいぜ
口癖だった(と思う)セリフを頭の中で吐く。本当にそんなことだけは勘弁してほしい。
どれくらい時間が経っただろう。人生を振り返ることも、この状況について考えることも、助け出した後まだ生娘であるミリアをどうやって調教していこうかとか、次はどんな敵をどうやって料理してやろうかとか、叫んだりとか、叫んだりとか、昔見たアニメとか、思い出せない歌とか初めて抱いた女とかとかとかとか。
もうとにかくありとあらゆることは考えつくした。
いい加減ここから俺を解放してくれ。このままだと本当に気が狂う。俺が何したっていうんだ。
糞みたいな人生だった分を異世界で取り戻しただけだろ? 人の為にだって働いたし、女たちだってみんな俺とヤって幸せそうだったじゃないか。ガチの強姦だってやらなかったし。
俺の自由、返せよ!!!!!!
心の中で何度目かも分からない叫びを発したときだった。
突如、景色がすさまじい速度で後ろに流れる。身体は一瞬後にはもう地面の前へと来ていた。
咄嗟に『慣性中和』のスキルを発動、落下速度を落とし、俺はよろけながらもゆっくりと着地する。
身体の自由が戻った!?
振り返って見てみれば魔王が光の粒となって天に昇っていく。
まぁ、当然だろう。俺に叶う奴なんているはずがない。
その先にはその光を呆然と見つめるように膝をつき、天を仰ぐ女。その体にはどこか力が入っていないようにも見える。
前世での俺の嫁、アニメ「しゃくやく!」に登場する蒼い瞳に黒髪ストレート、身体は長身痩せ形モデル体型でロケットおっぱいを兼ね備え、誰もが認める声優界最強の萌えボイスにツンデレの性格を持つ人類が生み出した中で最高のヒロイン、黒金縁に全てがそっくりな俺の婚約者。愛しい、ミリア。
彼女、ミリアとの恋愛だけはなかなかうまく行かなかった。どんな女も一コロなはずな俺のかっこよさにもミリアだけは全くの無関心だった。色々な事件があって少しずつ打ち解けていって、先日ようやく俺は彼女と婚約出来た。
無垢で美しいその身体も勿論のことだが、今はその心をも誰にも渡したくはない。俺はミリアと添い遂げるために転生したに違いない。そう思えるほどの唯一無二の俺だけの大事な大事な人。
彼女の方へと歩き出す俺。
激しい戦いの爪痕が生々しく残る地面には瓦礫やらシャンデリアやらなんやら色々な調度品の破片達、そして戦いの中で力尽きてしまった仲間の骸が転がっていた。
……あれ? 俺、誰か死なせたんだったか?
頭をよぎる疑問。死体の一つを注視してみるとそれは傷一つなくうつ伏せに横たわる現世の俺とステータスだけなら並ぶほどの美と力を備えた剣士・シャルダンの亡骸だった。俺の好敵手にして最高の相棒。こいつが死んでしまうなんて。
......まぁいいや。後で手厚く葬ってやろう。あいつの死は惜しいが死んだ人間より生きている人間の方が先だ。まず、ミリアの無事を確かめないと。
「ミリア!」
俺は声をかける。だが彼女は虚ろな目をこちらに向けることなく天を仰ぎ、何かぶつくさと言っている。
「おい、ミリア! どうしたってんだよ!! おい、俺だよ! シュウだよ! もう魔王は倒した! お前を怖がらせるやつはもういないんだよ!!」
何故か憤ってしまった俺は彼女の肩を掴み強く揺さぶる。
「あ、う、あぁ。うぅぐぅおぉおおおああああああああああああああああ″あ″あ″あ″あ″あ″あああああああああああああああああがあああああああああああああああああああ!!!!」
「っ!??」
気でも狂ったかのように彼女は唸り声とも何とも言えない声をあげながらのたうち回り始めた。
「あうぅぐぅぁーああああああああぁあああ、ううぅぅうう」
涎をだらしなく垂らしのたうち続ける彼女。凛とした表情を湛え俺に笑顔を向けてくれた彼女はもうそこにはいなかった。
「えぇえええ、うぅごおうぅおいだおぼぼぼおおおおぉおぉぉぉぉぉぉおえおおおおおおおおおおおおおおおお」
それに呼応するかのように似たように男の唸り声が彼女のそれに混じって聞こえ始めた。音のする方を見れば死んだと思っていたシャルダンの身体が小刻みに震えている。いや、シャルダンだけじゃない。彼以外の死んだように倒れていた仲間たちもうめき声を上げ始めている。唸りと叫び声の大合唱がホールにリバーブを効かせ響き渡る。
―――もし、このままずっと永遠に微動だにも出来ずに意識だけを保ち続けることになったら……
意識を取り戻したときに頭をよぎった不安が俺の頭に再び訪れる。
もし、俺だけでなく皆があの身動きの取れない恐怖を味わっていたとしたら?
もし、俺が目が覚めるよりもずっと前から皆はあの状況に身を置かれていたとしたら?
シャルダンもミリアも。いや、もしかしたら俺以外のこの世界の人間全て、気が触れてしまったという可能性。
そんなわけない。きっと魔王のせいさ。間違いない。
そうだ! 回復魔法。俺にはチートの力で死人すらも蘇らせることの出来るそれがあるじゃないか!
不安に乱れそうになる意識を手に集中し、詠唱を始める。苦しそうにもがき続ける彼女に掌から発せられる光を翳す。
『究極治癒』
願いを込めて俺は呟いた。
ミリアの身体が俺の手から移った光によって光り輝く。数秒とせず光は収まった。これで回復しているはず。
だが、効果は認められなかった。
そんな馬鹿な!!!
そこからはもう繰り返し、繰り返し、MPの尽きるまでありとあらゆる回復魔法を唱え続けた。
だが、そのどれもが効果がなかった。
チートスキルまで使っても治らない。俺はもう手の施しようがないのだと悟る。
目の前では未だ苦しそうに、彼女が体液まみれになりながらばしゃばしゃと音を立てのたうちまわっている。
あまりにもあんまりな結末に俺は力なく剣を取り落とす。
なぁ? なんでこうなった??
2.
目を、覚ました。
もう空高くまで上っているのだろうか、太陽の光が物もないのに狭い四畳半のアパートの一室に明かりをもたらしている。目の前のパソコンは放置されていたためか小さな駆動音を発しながら画面を暗転させている。
「そうか。書き上げたんだったな」
エンターキーを押し、画面が点いたのを確認すると、最近はうまく動かしづらくなった指でキーボードを叩き、パスワードを入れる。入力が済むと画面には冗長で長ったらしい文章、わしの遺作が表示された。
眼鏡がどこかに言ってしまって、モニターに写し出される文章はまるで何本もの滲んだただの黒線のようにも見える。当然、その内容までは見てとることは出来ない。老眼は恐ろしい。
昨晩、わしは仕事以外で十数年ぶりに徹夜をした。おそらくこの人生で最後になるであろう徹夜を。
小説家になろう
そんな名前のこのサイトと出会ったのは五十年ほど前、わしがまだ大学二年くらいの頃のことだった。
当時このサイトでは「異世界転生もの」なるこちらの世界で死んだ人間がゲームやらファンタジーやらSFやらと、とにかく異世界で与えられた能力を駆使して大活躍するというタイプの小説が流行りまくっていた。その流行具合はすさまじく、これは良い商売になると判断した出版社までもが介入してきて、出版業界の一部はこのサイトの投稿作品の出版ラッシュに沸いていたくらいだった。
友達もおらず、単位にもバイトにも追われるでもなかった当時のわしも、「女とヤりまくる」という今考えればどうしようもないエッセンスをさもこれがこの作品のオリジナリティであると言わんばかりにそのテンプレートに混ぜ込んで物語を投稿していた。(その後こういった作品もいっぱいあることを知ったが)
文章力には子供の頃から自信があった。本もそこらの人間の十倍は読んでいた。そんな自分が書く小説だ、そこらの有象無象の奴らごときに負けるわけがない。
ドンドン人気が出て半年もしないで出版されるかもしれない。そしたら作家になっちゃって印税入ってきてアニメ化してもっと本が売れて金持ちになっちゃって、アニメの声優さんとかと一緒にお食事行ったりなんかして、気がついたらあの超可愛いアイドル声優さんが俺にベタ惚れで。たまたま遊びで書いてみた一般向け小説が賞とか取っちゃって、映画化しちゃったりなんかして。文化人気取ってテレビとか出ちゃって。
当時はそんな甘い夢を描いていた。墓場に片足を突っ込んだ今となってみれば消しさってしまいたいを通り越してその記憶すら愛おしい。
だが、当然の如く現実はそんなに甘くはなかった。
一定の人々に受けはし、ブックマークされたり、全然知らない人からレビューを書いて貰えたりはしたのだが、わしの書いたその物語はランキングに乗るほどの強い人気を獲得することは終ぞなかった。
更新のある日だけ大体千いくばくのPVを獲得するのみ。更新のない日は下手をすると三桁に届くか届かないかもザラではなかった。むしろ下位層の作家である。
―――どうして俺の話が受けないんだ!?こんなに面白いのに!
思い上がりも甚だしい感情を爆発させたわしは、授業をサボってまで一日二回更新を続けてみたり、人気漫画から丸パクリしたかっこいいライバルキャラとか、誰もが萌えるだろうに違いないと思いっきり媚びたキャラを出してみたり、ブログやら掲示板やらで宣伝しまくったり、とにかくもうやれるだけのことはやった。気が付いたらバカなことに単位が足りなくなり留年しかけるほどに。
結局そのどれも成果が出ず悔しい思いをしたものだが、小説を書くという行為そのものは思っていたよりもずっと楽しく、筆を止めることはなかった。物語を綴ることはこの上なく楽しかった。一部の読者は感想も書いてくれた。そんな読者との交流も楽しかった。
だが、ある時、筆は止まった。
ネタが尽き始め、思い付くがままに書いてきた五百を超える回数の大長編物語はクライマックスに差し掛かっていた。そして、人生も就活という運命の分岐点に差し掛かっていた。
―――小説家を目指そう
なんて風にはもう思わなかった。その頃には自分の限界やプロの大変さが見えていた。わしには真似出来ない、そう思った。
この長きにわたり書き続けてきた物語にせめてもの終止符を打って子供時代と共に作家ごっこは引退としよう。
そう決意を固め、張り切り勇み挑んだ最終回。
それが、書けなかった。
わしの考え付くものはベタで捻りのないストーリーなのはとっくに自覚していた。最後にして最強の敵を倒して世界に恒久的平和を取り戻し、主人公たちは皆幸せに暮らしました。何の臆面もなく、ただ、そんな話を書けばいいだけなのだ。なんなら箇条書きだっていいかもしれない。始めはそう思っていた。
だが、もう一人の自分はその安直な考えを真っ向から否定した。
本当に大学生活をかけた物語がそんな終わり方で良いのかと。綿密な心の描写を描き、結末には読んだ誰もが記憶に残すような名シーンを持ってくるべきではないのかと。
また、文章の完成度にも強い拘りを持った。難しい言葉や表現を使ってみたり、それが逆に文章のテンポを崩していることに気づいて書き直したり、書き直したものが表現したいこととずれていることに気が付き言葉選びに苦戦したり。そんなことの繰り返し。一向に最終回は仕上がる目処が立たなかった。
そして何よりも、年単位で深く付き合ってきた世界とキャラクター達、自分の子供との別れが辛くて堪らなかった。
その感覚は何と言えばよいのだろう。強いて言えばそれは、お気に入りの長編RPGがラスボス前のフリー移動まで達して、終わりを惜しんでやりこんでいるうちに飽きてゲームを投げてしまうような感覚に近いかもしれない。
親しい読者から最終回の投稿を期待する、もしくは催促するようなメッセージも届いてはいた。(その時にはもはや、作家と読者というよりは同じなろう作家友達と呼べるレベルになってしまっていたが)
だが、彼らの意見も励ましの声も悉くわしの前を通りすぎて行くばかりで筆を進める推進力足り得なかった。
物書きで食っている人間ならば生活のために原稿を一定の期限で仕上げないといけないだろう。場合によっては締め切りを守らせるため編集者がケツをひっぱたいてでも書かせるよう手を尽くしてくれたりもするだろう。そこには、強制力がある。
しかし、自分のこれはただの趣味だ。書こうが書くまいが生活にはなんの影響もでない、ただの、お遊び。
多くはないが読んでくれる読者のため、書くべきだ。人はそういうかもしれない。だが、強制力と言うほどの強い力はそこにはない。
『物語は始めることよりも完結させることの方が大変だ』
当時、わしの頭の中には誰かがいったその言葉が強い実感を伴って響いていた。
結局、就活が始まり、そこからはあっという間に忙しくなっていった。
空想に浸る甘い時間等全くなかった。
卒業し何とか滑り込んだ零細企業。一言で言えば仕事は、きつかった。思い返してみれば常に納期だのノルマだのに追われ、世話しなく生きていたように思える。
十年、二十年、三十年。
時はあっという間に流れていった。
気がつけばかつて物語を書いていたということも忘れていた。意図的に思い出さないようにしていたのかもしれないが。
七十で定年を迎えたのがつい去年のことだ。昔は六十で定年と行っていたのに長寿高齢化社会とはげに恐ろしい。ちなみにわしのこれでも早い方だと世間は言うのだから、一体人はどれだけ生きれば気がすむのか。
ようやく自由を手に入れたものの絵に描いたような仕事人間だったわしは趣味と言えば読書くらいのものしかなく暇で暇で仕方がなかった。
ダラダラとただ生命だけを維持する日々。子もおらず妻に先立たれていたわしは無駄に時間を重ねていた。
ある日背中に激痛が走った。
末期のガンだった。
医者は先はもう長くないという。今の医療なら一応ここからでも完治させることは出来るらしいがそれにはかなりの費用がかかった。
仕事をしていた頃ですら払えたか怪しい額なのに、大した貯金もなく年金暮らしのわしにそんな額は到底用意は出来なかった。
死ぬ前にせめて何か、自分の生きた証を遺したい。
自分がこの世界に確かにいたという証を。
自然に湧いた願い。しかし時間はない。さてどうしようかと考えていたとき、ふと、この物語のことを思い出したわしは実に五十年ぶりにこの懐かしいサイトを訪れた。
デザインや、投稿作の流行りは変わったものの(どうやら今は丁度平成の頃の物語の模倣が流行っている様子だった)、あの頃と同じIDとパスワードを入力するとちゃんとわしのユーザーページが現れた。それだけのことに思わず涙が出そうになる。
五十年もの間、わしの物語はそこに残り続けていた。それだけでもう充分に満足してしまいそうな自分を鼓舞し、唯一の投稿済み小説を選択する。
『異世界で俺は最強となって女とヤりまくる。チートと美女マシマシでお送りいたします。』 連載中 全六百二十三部
バカみたいなタイトルが表示されている。こんなものを無い知恵尽くしてがむしゃらに書きまくっていた当時の自分。大学生だったくせにセンスは厨二レベルである。試しに一部分選んで開いてみれば、文章だって実にお粗末なものだった。これでは書籍になぞなるはずがない。青かったな、昔の自分。
続きを書くのも実にバカバカしくも感じるが、わしはカーソルを移動し、新規小説作成を選択する。
明日には入院生活が始まる。金のないわしには個室での入院など出来る由もなかった。おそらく、こんなバカバカしい物語を集中して書くことが出来るのは今日が最後となる。
バカげたガキ臭いタイトルの小説を齢七十の爺が完結させる。大いに結構ではないか。
半ばヤケ気味の勢いでわしはあの頃から五十年の時を経ても未だに物理キーを卒業できないパソコンのキーボードに指を置き、物語の結末、わしのこの世に生きた証の終わりを書き始めた。
描かぬまま放置していた龍の目を今こそ描くのだ。
それからわしは時の経つのも忘れ、無我夢中で書き続けた。それこそ、酒を飲んでいたわけでもないのに何を書いたのか思い出せないほどに。そして書きあがるなり勢いで投稿して、そのまま寝てしまったようだった。最終部分は朝六時台で投稿されており、完結設定までされている。
これも年を取り、ボケるということだろうか? ボケたという感覚は今のところ一度も味わったことがないのに。
まぁ良い。どうせ先は長くないことは分かりきっている。
自分の老いを嘆くよりも、今は自分の作品の最後を一読者として楽しむことが出来る幸せを噛み締めようではないか。
その前にやるべきことを思い出し、わしは財布をひっつかみアパートを後にした。
どうせ読むならば、どうしても必要なものがある。
両手で大きな箱を抱え、外から戻ってきたわし。
なけなしの金を叩いて買ってきた今はほとんど見ることのなくなった中古のレーザープリンタを箱から取り出し、説明書片手にパソコンに接続し、一緒に買ってきた用紙をセットする。
小説はやはり紙で読む方が良い。
紙の値段の高騰で本と言えば電子書籍ばかりになり、街から本屋が消え去った今でも紙の本には少なからず愛好家が存在している。かく言うわしもその中の一人である。それに校正をする際は紙に印刷したほうがミスなどを発見しやすいとわしは思っている。
ガタガタと頼りない音をたてながらもプリンタは何とか原稿を刷り終えた。
ようやく探し当てた眼鏡をかけ、赤ペンと刷り上がった原稿を手に、すでに準備して置いてあった昔と変わらず不味いインスタントの珈琲の入ったカップを蹴飛ばさぬよう気を付けて床に腰を落ち着ける。家財道具はもうほとんど処分してしまったので腰掛けるものは何もない。
コーヒーを一口啜り原稿を読み始める。入院の準備もあるのであまりのんびりとはしてはいられないのだが、こうすることが当時の癖だった。最後もそうしたいという気持ちを抑える必要はどこにもないだろう。
最終回は前回(と言っても五十年前に書かれたものだが)の続き、主人公が魔王に最強の必殺技で切りかかるところから始まった。時折、誤字脱字を赤ペンで修正する必要があったが、長年の人生経験の賜物だろうか、何故か当時に比べ格段にうまくなった文章に思わず舌を巻きたくなるところもある。
最高の最終回ではないか。
そう思った。だが、読み進めていくうちにおかしなことになっていることに気が付く。何故、ヒロインが廃人のようになっているのだ?
ベタでもいい。魔王を倒してハッピーエンド。これがわしが立てた実に単純明快なプロットだった。
だのにこんな描写をなぜ書いた? ページをめくる手が自然と早まる。
最後は、最後は一体どうやって終わるのだ!?
最終ページ。そこに書かれていたのはかつて私が考えた世界を滅ぼす禁断の魔法『永久爆発』の呪文と、その名を高らかに宣言する台詞だけだった。
あまりにもあんまりな結末にわしは力なく原稿を取り落とす。
なぁ? なんでこうなった??
あなたのその放置してる作品は大丈夫ですか?
あんまりほっとくと続き、書きたくても書けなくなっちゃいますよ?
……なんて。
なお、このお話はフィクションです。後半部の主人公は作者の思想とは関係はありませんので、その辺誤解無きようよろしくお願いいたします。