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ソロモンズ リング -gold of King, silver of Ring-  作者: 湊波
第二章 雑魚専 ―H__ Reason―
9/31

そんなところも可愛いけれど

 塵一つ無い、整えられた保健室には微かな甘い匂いが漂っていた。


「はい、どうぞ」

「……すいません」

「遠慮しなくていいのよ。保健室は生徒のためのものですもの」


 丸椅子に腰掛けていたスズの目の前にコップが差し出される。小さくお礼を言ってスズがそれを受け取ると、笑いながらシエラが向かいの椅子に腰掛けた。


「それで? スズ君は一体何を悩んでいるのかしら?」


 組んだ膝の上に頬杖をつき、シエラが楽しげに問いかけた。白い肌と学園一と噂される胸元がちらりとのぞく。

 スズは慌てて目をそらした。


「別に……先生には」

「どうせ、先生には関係ない、でしょ?」

「う……」

「一ノ瀬先生も男のくせにめそめそ嘆いてたわよ~? スズがいつもつれないって」

「な、なんで一ノ瀬先生がそこで出てくるんですか」

「二日前、だったかしら? 応接室で色々聞いたもの」

「い、色々って……」

「それはひ・み・つ」


 艶やかな唇に人差し指を当ててシエラがウインクした。


「まぁ先生のことはどうでもいいのよ。一ノ瀬先生のことはもっとどうでもいいわ」

「えぇ? でもさっきタノシイコトしたって」

「それはそれ。これはこれ。鬱陶しいのよね。私に子供がいるって知ってるのに言い寄ってくるんですもの……確かに離婚はしてるけど」

「子供……っていうと、その机の写真が?」

「そう」


 柔らかな笑顔を浮かべて、シエラはデスクの上の写真立てを手にとった。

 写真の中で、ダークブラウンの髪をした子供がサッカーボールを手に笑っている。


「ローラン、っていうのよ。今は離れて住んでるけど、いつか一緒に暮らすのが夢なの」


 ローラン。その名前が聞き覚えがある気がしてスズは小首を傾げた。

 だが少し考えても答えは出てこない。よくある名前といえば、よくある名前だ。そのせいかもしれない。


「とっても優しい、わたしの自慢の息子だわ」


 シエラが愛おしそうに写真を撫でる。その横顔は母親のそれだ。

 優しくて、暖かい。

 羨ましい。

 スズが、そう思う。そのタイミングでシエラがスズの方をちらりと見た。


「という訳で、スズの悩みを聞かせてくれるかしら?」

「……という訳で、って別に今の話と俺の話関係無いですよね?」

「あら。誤魔化されてくれなかったか」


 残念。写真立てをデスクの上に戻したシエラが小さく舌を出す。

 子供のような可愛らしい仕草。

 それにスズは少しだけ息を吐きだした。


「……悩みっていうほどのものじゃない、ですよ」

「えぇ」

「ただ……ちょっと人の精霊を殴っちゃって」

「あぁそれで自己嫌悪に陥ってると。いかにもスズらしいわねぇ」

「俺らしい、ですか?」

「えぇ。やってから後悔するところが。あとは、そうね。押しに弱いところもかしら」

「…………」

「あらあらぁ、むくれちゃって。そんなところも可愛いけれど」


 スズは憮然として黙りこむ。

 シエラは微笑んだ。


「まぁ、気の済むまでここにいるといいわ。どうせ、勢いで飛び出してきた手前、外に戻りづらいんでしょう?」

「う、それは……」

「隣の部屋、ベッドが空いてるから。少し眠れば気分もきっと変わるはず、」

「シっエラさぁーん!」


 そこで調子のいい男の声と共に保健室の扉が勢い良く開かれた。

 スズはびくりと体を震わせて固まる。

 シエラは盛大に顔をしかめる。


「……一ノ瀬先生? 仮にも保健室なんですから、静かに入ってくださらないかしら?」

「冷たい口調のシエラ先生もまた激萌えです!」

「黙れ色呆け教師」


 極上の微笑みでシエラが一ノ瀬に告げる。

 ただし目はこれぽっちも笑ってなかったが。

 流石の一ノ瀬もそれに気づいたのかしょんぼりと肩を落として。


「……はい……ってスズじゃねぇか」


 はっとしたようにスズの方を見た。

 スズは呆れた視線を向ける。


「今気づいたのかよ」

「おう、今気づいた」

「……そんなにあっさり頷くなよ……」

「そ、れ、で? 一ノ瀬先生は今日はどんな用事で来られたのかしら?」


 この人、本当に教師か。頭を抱えるスズの上をシエラの苛々したような声が通り過ぎて行く。


「用がないらなら、今すぐ、即刻、とっとと、帰って、」

「あぁ用ならある! ありまくりだよ! シエラさん! 探してほしいものがあって!」


 シエラが無言で一ノ瀬に疑いの目を向ける。

 対する一ノ瀬は手をバタバタさせて必死で訴える。


「お願いだって! 書類なんだ! 学長に報告する用の! 昨日から見つからなくて!」

「ただの書類なら探せないわよ」

「血判押してあるから!」

「血判って……どれだけ大切な書類をなくしたのよ……」

「え、俺とシエラ先生との間の婚約と、」

「消え失せろ」

「……すいません冗談です今年度分の研究報告書です……」


 シエラに睨まれて、一ノ瀬が目元を腕で覆いながら白状した。

 シエラがこめかみを押さえて立ち上がる。


「……はぁ、まったく。仕方ないわね」

「シエラ先生、研究報告って?」

「この学園の教師をするためには授業を受け持つ他に、自分でも実験を行って何かしらの成果を出す必要があるの。結果が出なかったら、幾ら授業が上手くても、学園にいることは出来ないわ」

「え、じゃあこのままだと一ノ瀬先生は」

「学園から追放ね……あら、案外それも悪くないかも」

「えぇ!? シエラさぁん……!」

「情けない声を出さないで頂戴。一ノ瀬先生」


 シエラは部屋の一角を占拠していた薬品棚にたどり着いた。

 ガラス扉越しに、赤い液体の入ったアンプルが整然と並んでいるのが見える。

 シエラは棚に貼られた紙にボールペンを滑らせた。


「今日は七月十六日木曜日、時刻は十五時七分二十六秒……」

「シエラ先生、血液サンプルなら今すぐ俺のを採血して、」

「……一ノ瀬先生の血液サンプル、と」


 横から声を上げた一ノ瀬を完璧に無視してシエラは紙に記入を終えた。

 胸元のポケットから鍵を取り出して棚を開ける。

 取り出されたのは一本のアンプルだ。容器の中で赤い血液が揺れる。

 そして扉を閉め、鍵を閉めたシエラは振り返った。


「秘められし欠片を紡ぎて辿れ」


 艶やかな唇を動かし、ほっそりとした指先が宙に踊る。

 淡い灰色の光が描くのは、流麗な文字と円が組み合わさった魔法陣。


「――増幅アンプリファイア


 シエラが呟く。同時に手に持っていたアンプルを魔法陣の上で割った。

 赤い血が魔法陣の上に降り注ぐ。

 降り注いだそばから、赤色は輝く灰色の光となり、細かな文字となる。

 シエラを囲うようにぐるりと渦を巻いていく。


「これは……」

「見るのは初めてにゃ?」

「……にゃ?」


 突然足元から聞こえてきた声にスズが驚いて目を向けると、いつの間にか一匹の猫がスズを見上げていた。

 淡く輝く灰色の毛を持った美しい猫だ。

 もふもふだ。


「え、ちょ、可愛すぎ、」

「気安く触るにゃ」

「痛っ!?」


 思わず手を伸ばしかけたスズの手を容赦なく引っ掻いて、猫はゆらりと尻尾を揺らした。


「我はシエラ・クロウリーが精霊、ラジエルにゃ」

「ら、ラジエル……」

「そうにゃ。ただの猫と一緒にしてもらっちゃ困るにゃ」


 小さな胸を自慢気に張る。もふもふの毛並みが一層もふもふになる。

 目眩がした。もふもふの圧倒的な破壊力の前に、どうしてただの人間が勝てるだろうか。


「勝てるわけ無いだろ……!」

「遺伝子は四つの塩基の無数の配列から構成されてるにゃ。我の力は組織や血液に含まれる遺伝子から幾つかの配列を抜き出して増幅してあげることにゃ」


 触りたいのに触れない。悶々とするスズの脚元で、ラジエルはハタハタと尾を揺らしながら説明を続ける。


「シエラはその中から、個人を特定できる配列を選ぶんだにゃ」

「そして、私が指示した配列を基に、同じ配列を有する物をラジエルが探すの。という訳でお願いできるかしら、ラジエル?」

「にゃ! 任せるにゃ!」


 シエラの声に、ラジエルがぴんと耳を立てる。

 一拍遅れて灰色の光の粒になった。

 あぁ、せっかくのもふもふが……! スズが心底残念に思う間にも灰色の光は淡く瞬いて宙を舞う。

 何かを探すようにぐるりと動く。

 そしてそのまま保健室の一角、人が隠れられそうな物陰を指し示して。


「……え?」

「あ」


 シエラが疑うような声をだすのと、一ノ瀬がしまった、と言わんばかりに声を上げたのは同時だった。

 灰色の光が消える。

 シエラは無言で光が示した方へ向かう。身をかがめる。

 拾い上げたのはまごうことなき、一ノ瀬の研究報告書で。


「……一ノ瀬先生?」


 地の底を這うようなシエラの声に、一ノ瀬は蛇に睨まれた蛙のようにすくみあがった。

 シエラは、やっぱり笑顔だ。

 背後に般若の顔が見え隠れしていることを除けば。


「どうしてこれがここにあるのかしら?」

「そ、そういえば……昨日、シエラ先生のとこに夜這いかけようと思ってそこに隠れ、」

「……夜這い?」

「ひいいいっ」


 ぐしゃりとシエラの手の中にあった書類が握りつぶされた。

 壮絶な笑みがその美しい顔に浮かぶ。

 一ノ瀬は今や蛇に睨まれた蛙どころか、蛙の踏み潰されたような声を上げて、顔を青白くしていて。


「……スズ? ちょっと、大人の指導が入るから席を外してもらえるかしら?」

「え、あ、いや、それはいい……んですけど」


 保健室の扉を挟んで睨み合う、というかシエラが一方的に一ノ瀬を睨んでいる。

 さすがにその間を通り抜ける勇気がなくてスズがまごついていると、シエラがスズの方も見ずにベッドの並ぶ隣の部屋を指さす。


「……隣の仮眠室が空いてるでしょう?」

「は、はいいい!」


 ぐずぐずしてたら今度はこっちにまで飛び火しそうだ。スズは背筋をぴんと伸ばすと、隣の部屋に急いで駆け込んだ。

 扉を閉めて、簡易ベッドに潜り込む。

 頭から毛布をかぶる。

 それで正解だった。

 隣の部屋から一ノ瀬の悲鳴が聞こえてきたから。


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