王と精霊
「なんや、今日のアーサーは嬉しそうなンね?」
スズと別れて寮に帰ってから、そうやってアーサーに問いかけてきたのはガヴリエルだった。
アーサーの他に部屋には三人。その内の一人だ。
水色の目をした幼い少女。向かいのソファに座っていた彼女は、おさげの髪を揺らしてアーサーの方に全身を乗り出している。
というか、乗り出しすぎて両足がテーブルの上にぶらぶらと浮いている。
「そうかな?」
「そうやよぉ! やってにこにこしてるもン! ラファもそう思うやろ?」
「そうだねぇ~」
ガヴリエルの隣に座った金髪の優男――ラファエルがのんびりと頷いた。片手に握ったティーカップに優雅に口をつける。
それから垂れ目気味の黄色の瞳がアーサーを見つめて、ますます緩んだ。
「ジヴの言う通り、いいことがあったって顔だね~?」
「……ちょっと逃げてきたんだ」
「逃げたン?」
「そう……それがね、楽しくて」
アーサーは目を細める。
思い出すのは学園の屋根の上から見た景色だ。
なんの変哲もないはずなのに、ひどく輝いて見えた世界。
その中で、自分を連れだして、笑いかけてくれたスズ。
「……それから、嬉しかったんだ」
スズは、怪我をしていたかもしれない、と本気で心配してくれた。
スズは、自分を逃してくれた。
今までは誰も彼も、アーサーの力を恐れ、敬い、挙句『ソロモンの再来』だなんていう大層な名前をつけて、近寄ってこようともしなかったのに。
今日だって、昨日、オリヴィエルに苦戦していた時だって、スズは。
「――くだらぬ」
不機嫌な低い声にアーサーは顔をしかめて部屋の奥を見やった。
「……どういうことだ、ミカエル」
「どうもこうも、言葉通りの意味ですな。主よ」
ミカエルと呼ばれた赤髪の男は壁に背を預けたまま、真っ向からアーサーを睨み返した。
「あのような弱き者と付き合うなど、我は賛同致しかねる」
「ボクはお前の意見なんか聞いてない」
「いいえ、主は我々の言葉こそ信ずるべきです。我々は貴方の精霊なのだから」
その言葉にアーサーはますます眉根を寄せた。
馬鹿にしたようにアーサーの方を見つめるのは赤髪の男、〈赤き剣の精霊〉ミカエル。
きょろきょろとアーサーとミカエルを見比べるのはおさげの少女、〈青き盾の精霊〉ガヴリエル。
面白がるように三人を見つめるのは金髪の優男、〈黄の布の精霊〉ラファエル。
「主よ」
ミカエルがもう一度口を開いた。
「スズとかいうどこの馬の骨とも知らぬ輩がどうして信ずるに値するといえましょう? 我々は人間とは違う。貴方を裏切ることなどありえませぬ。今までがそうであったように、これからも。」
「勝手に決めるな」
「必要とあらば、今ここにはいない四人目の精霊も貴方を護るために、」
「ウリエルの話はするな!」
頭の片隅に金色の炎が燃え盛る記憶がよぎる。
体が、小さく震えた。不自然に心臓が脈打つ。息ができなくなる。
――怖い。そう思ったアーサーの耳に、ふとスズのあの言葉がよみがえった。
逃げてもちゃんとアーサーのままだろ、と。
それに、少しだけ、息が楽になって。
「……下がれミカエル」
細く息を吐いて、ミカエルに命じる。
ミカエルは何も言わなかった。
その目は相変わらずアーサーに反発していたが。
それでもパチリという何かが弾けるような音と共に赤色の光だけを残してミカエルの姿がかき消える。
「アーサー……」
「一人にしてくれ」
ガヴリエルにそう吐き捨てる。
ラファエルと目を合わせたガヴリエルは、何かを心得たかのように二人揃って姿を消した。
青と黄色の光が散る。そして部屋にはアーサーだけになる。
「……早く明日にならないかな」
キミに、会いたい。そんなアーサーの言葉は誰にも聞かれること無く、空気に溶けた。