俺の顔に免じて
***
避ける。
斬りつける。
距離を置く。
アーサーにとって戦いはその作業の繰り返しだった。今までも、きっとこれからも。
淡々とこなす。感情もなく体を動かす。それだけでよかった。
そうでしか、いられなかった。
どんなに強い魔物であっても、あなたならば大丈夫だろう、と周りは口をそろえて言ったから。
どんなに怖くて逃げ出したくても、あなたなら私達を救ってくれるだろう、と周りが頼りにするから。
どんなに一人で心細くても、あなたなら一人で戦える、と周りは背中を押すばかりで。
決して、傍に誰も近寄ろうとしなかったから。
「っ……」
つきりと胸が痛む。一瞬だけアーサーの集中力が途切れる。
好機と言わんばかりに象が荒々しく鼻を振り回した。
アーサーは後ろに飛び退って、間一髪でそれを避ける。
「っ、アーサー! 罠だ! あいつらの仲間がお前を狙ってる!」
スズの焦った声が響いた。
ちらりと上を見上げれば、近くのビルを指さして、さらに何か叫ぶ。
スズの示す先を見た。
ビルの物陰。学生服に身を包んだ少女。蛇の精霊。自分に向かって構えられる光る何か。
「裁き下す黄金の焔――!」
考えるより先に口が動く。指先が動く。
黄金の光をまとった魔法陣を描き出す。
四つ目の精霊の魔法陣。
それをアーサーは完成させようとして。
脳裏を、ある光景がよぎった。
金色の炎が燃え盛る景色。もう魔物は倒したはずなのに、炎はますます勢いを増す。周りの人間が悲鳴を上げて炎に呑まれていく。
自分が喚び出した精霊の炎。けれどそれを制御できない自分は、ただただ見ていることしか出来ない――
「ぅ……あ……」
小さく呻く。アーサーの指先が止まる。一気に冷や汗が噴き出る。
怖い。アーサーがそう思った時には、描きかけていた黄金色の魔法陣が音もなく霧散した。
よろめいたアーサーに、狼と象の精霊が嬉々とした声を上げ突進してくる。
それに、自分は死ぬのかと、アーサーは一瞬思って。
本気でそう思って。
「アーサー!」
スズの声が、遠く聞こえた。
***
「アーサー!」
スズは声を上げた。
順調に戦っていたアーサーの動きが止まったからだ。
描きかけの魔法陣が消える。
アーサーがふらりとよろめく。
明らかに変だ。おかしい。でも何が。
焦る思考ではまともな答えなんて浮かばなかった。
けれど今、アーサーがそこで立ち止まるべきでないことだけは分かる。
スズは無意識に窓枠を強く握りしめた。ますます窓の外へ身を乗り出す。
「おいアーサー! 駄目だ! 早くそこから逃げないと! アーサー! 俺の話を……っっ!」
そこで右腕に鋭い痛みが走った。昨日、悪食狼からアーサーを庇った時に受けた傷だ。
一瞬、腕の力が、かくんと抜ける。
そして。
「うわっ!?」
スズの体がぐらりと傾いた。
窓から身を乗り出しすぎた。思った時には遅い。
そのまま落ちる。
頭から真っ逆さまに。
「っていやいやいや……! ミトラ……っ!」
自分に自分でつっこむ。腕の痛みになんか構ってられない。スズは慌てて魔法陣を描き始める。
間に合うのか。焦る間にも地面はぐんぐん近づく。
丁度アーサーと精霊が戦っている真ん中だ。
だというのに誰一人としてスズに気付くことなく。
「この薄情者っ……!」
叫ぶ。スズはぎゅっと目をつぶる。最後はやけくそになって指を動かす。
そして。
覚悟した硬い地面の衝撃は、なかった。痛みもない。
「きゅうきゅう!」
柔らかな感触とほんの少し不満そうなミトラの鳴き声。恐る恐る目を開けたスズはほっと息をつく。
ミトラの背中の上だ。間に合ったらしい。地面とスズの間にクッションよろしく挟まれたミトラが苛立ったように長い耳で地面を叩く。
そして、そんなスズとミトラを見つめるのは目を丸くしたアーサーと、戸惑ったような様子の狼と象で。
気まずい奇妙な沈黙。
「あ……っと……」
「なんだよ! いいところだったのに!」
スズが口を開きかけたところで、狼と象の間から痩せぎすの少年が姿を現した。
勝負を邪魔されたからか、ひどく怒っている。
スズはひきつった笑みを浮かべた。
「いやー……あのー、なんていったらいいか……」
「あっ! お前も魔物役じゃん! いけないんだぞ! 魔物役が二人も一緒の建物にいるなんて!」
「あー、うん、そうだよなーそうだよなーアハハ……ってことで、あの、提案が」
「提案?」
「ここは一つ、俺の顔に免じて」
愛想笑いを浮かべたスズは自分の胸につけていたバッヂを外して、痩せぎすの方に差し出した。
「これで、見逃してくれる、じゃ駄目?」