―20180913―
荒廃したその街は、静かに夜明けを迎えようとしていた。
九月ももう終わろうかということもあってか、ひどく冷え込んでいる。
その中で、今日もスズは一人、物陰に身を潜めている。廃ビルと廃ビルの間だ。
ほのかに明るい夜の空気に、少し白い息を滲ませて、静かに――
「まったく、どういうことですの! せっかく〈塔〉に乗り込みましたのに、結局〈塔〉が倒せてないなんて!」
「ま、まぁまぁ、マリー、落ち着いて……」
「うるさいですわよ、健太!」
「……うるさいのはお前の方だよ!」
物陰に隠れていたスズは苛々しながら後ろを振り返った。
廃ビルと廃ビルの隙間。
狭い路地で健太が困ったような顔をし、マリーがつんと唇を尖らせる。
「まぁ! お前だなんて失礼しますわね!」
「一ヶ月も前のことをグチグチ言うような奴なんて、お前で十分だっての! てか、何しにこんなとこまで来てんだよ!」
「そっ、そんなの、決まってますわ! 貴方の力を、今日こそ、この目で確認するためでしてよ!」
「精霊と魔物、どっちも自由に喚び出せる、って聞いたんだけど……本当?」
マリーと健太の視線にスズは眉をひそめて頬をかいた。
そう、そうなのだ。
スズの元々の能力で喚び出せるのは、精霊までだったはずなのだ。
だというのに。
あの戦い以来、スズは魔物も喚びだせるようになっていたのである。
「……いやまじで謎すぎる俺……ほんとなんで……呪われたのか? クロガネに……?」
「何をそんなに悩んでおりますの?」
「そりゃ悩むだろ! だって冗談で適当な魔物の名前言ってみたら、本当にその魔物が現れたんだぜ!? しかも阿呆みたいに強かったし! 毛むくじゃらで足いっぱい生えてて気持ち悪かったし!」
忘れもしない、一週間前の出来事だ。
勿論、現れた魔物はアーサーに倒してもらった。
もう二度と、魔物の名前なんか口にしない……固くスズが胸に誓った、懐かしくもない出来事である。
あの魔物の気持ち悪さを思い出してスズが身震いする中、健太が無邪気に声を上げる。
「うーん……それにしてもすごいなぁ! 精霊も魔物も喚べるなんて! まるでソロモンの指輪みたいじゃない?」
「ソロモンの指輪? なんだよそれ」
「えっ、知らない?」
スズが素直に頷くと、健太が目を輝かせた。
眼鏡を押し上げ、興奮気味に口を開く。
「ソロモン王の伝説に出てくるじゃないか。伝説の指輪の話」
「そ、そうだっけ……?」
「そうだよ! 王は指輪を介して魔物を使役したり、精霊と話をしたんだ。ちなみに一説によると、その指輪は錫と鉄で出来ていたらしくてね」
「精霊と話す時は錫を、悪魔を使役する時は鉄の部分を使う、でしょう? はぁ……健太、その話、聞き飽きましたわよ……」
「ええっ。じゃあ、もう少し新しい情報を追加させてもらうけど」
「スズーっ、悪食狼いたよ!」
再び健太が話し始めたところで、明るい声が響き渡った。
物陰の外、白み始めた朝の空気の中に、ひょっこりアーサーが姿を現す。
彼は、ぶんぶんとスズに向かって手を振っている。
マリーが怪訝な顔をした。
「アーサーに何をさせてますの?」
「俺でもなんとかなりそうな魔物を、探してきてくれてる。悪食狼ばっかだけど」
「まるで犬のような扱いですわね……」
「よっし、でかしたアーサー!」
マリーのぼやきを無視してスズは物陰から外に出る。
アーサーに向かって手招きした。彼は嬉しそうに頷いて、スズの方に駆け寄ってくる。
後ろに悪食狼を連れて。
大量の悪食狼を連れて。
「……って、お前なんで、群れを連れてきてんだよ!?」
「えっ、だって多い方がいいかなって」
「悪食狼は群れで相手しちゃ駄目って散々言っ……あぁもうとりあえず何とかするぞ! マリーと健太も付き合え!」
マリーがぱっと頬を赤らめた。
「つ、付き合えだなんて……す、スズも大胆ですわね……」
アーサーが真顔になる。
「勘違い甚だしい女が一番面倒だって、知ってる?」
「……アーサー? 私、いい加減貴方と決着をつけねばならないと思っておりましたの……」
「おいこんな時に仲間割れするなって! っていうか何に!? 何に仲間割れしてるわけ!?」
「……で、という訳で今の魔物の名前はソロモンの小さな鍵という作者不明の本の方を元にしてるんだ。不思議だよね。この観点から考えていくと、魔物は実は人間の観念から生まれてくるんじゃないか、っていう話に繋がっていくんだけど、それに関しては二〇〇七年に論文が提出さ、」
「そして健太はまだその話続いてたのかよ!? いい加減にしろって!」
悪食狼の鳴き声が響き渡る。
でもきっと、自分たちの声の方がずっと大きいはずだ。
「……てか、なんで群れと戦う前から、こんなに疲れなくちゃならないんだ」
そんなスズの心情を察したかのようだ。喚び出したミトラが、きゅうう、と同情するように鳴く。
悪食狼の群れを前にして、こんなに騒いでいるのは問題だ。
でも一番の問題は、この騒がしさが、嫌いではない、と思ってしまうことにあるのかもしれないけれど。
「……あぁもう……!」
スズは深く息を吸い込んだ。
「ほら! お前ら行くぞ!」
アーサーに、マリーに、健太に、そう呼びかけて駆け出す。
陽が昇ろうとしていた。