キミもボクに期待するんだね
西暦二〇〇〇年、十二月三十一日。その日付を見て、心当たりのない人間など世界中どこを探したっていない。
全ては上空に出現した巨大な〈穴〉から始まった。後に魔物と呼ばれることになる謎の生物の襲来。それによる世界各都市の壊滅的な打撃。
しかしそこで世界の総人口の約一割を失った人間に転機が訪れる。
「それが先生やお前たち生徒諸君のような、精霊の契約者だ。魔物と戦える唯一の存在として我々は……」
学園の外。正面玄関に広がるちょっとした広場にはジャージ姿の生徒が何十人といて、皆思い思いに前に立つ体育教師の話を聞き流している。
聞き飽きた説明にスズもあくびを噛み殺した。
そこで袖がちょいちょいと後ろから引っ張られる。
アーサーだ。
「す、スズ……? 〈塔〉に行くんじゃなかったのかい……?」
「行くよ」
「でも、さっきからここで説明聞いてばっかじゃないか」
「そりゃ、実習だからな。説明して当然だろ……まぁあの先生はいっつも同じ話するんだけどさ」
「そう、なのかい……? いやでもそれにしたって〈塔〉に行くなんて」
「実習って言ってんだろ」
頭に疑問符を躍らせるアーサーにスズは一つ息をついた。
身を屈めて声を潜める。
「魔物が〈穴〉を通ってこっちに来ることは知ってるよな?」
「う、うん」
「じゃあ魔物を絶対に来ないようにするためにはどうすればいい?」
「ええと〈穴〉を、塞ぐんだろう? 〈塔〉を倒して」
「そ。もっと正確に言えば、〈塔〉の主……って魔物なんだけどさ。そいつを倒せば〈塔〉が崩壊して〈穴〉消えるわけ。まぁ、普通の戦いなら、そういうのはエリートの精霊使いがやるから俺たちは絶対関係ないんだけど」
スズは前から回ってきた紙袋の中に手をつっこんだ。
「今日の実習はその模擬実習な」
言いながら、冷たい金属の塊を一つ引く。赤いひし形のバッヂだ。
同じようにして紙袋を引いたアーサーも赤いバッヂを握っている。
「スズ、これは?」
「役割決めだよ。赤が〈塔〉の主である魔物役。白がそれを退治する役だ。バッヂを取られた方の負け」
教師のやる気ない声が響いた。
「あー、皆くじを引き終わったか? 魔物役の生徒は指定された廃ビルに移動するように! 一緒に行動したり、同じ廃ビルに入るんじゃないぞ! 戦闘開始は三十分後、無線からの通信で合図するからなー」
「ほら、行くぞ」
「えっ? でも先生は魔物役は一緒にいちゃ駄目って」
「お前、今日初めてだろ? 俺と一緒に来いって。説明の続きしてやるから」
「あっ、うん……!」
教師のやる気ない声を聞きながら、スズ達も他の生徒に混じって移動する。
舗装された道をたどって、門から外に出た。
広がるのは荒廃した街並みだ。
壊れた建物。崩れかけた壁。そのあちこちに、一般人立入禁止、と赤いスプレーで乱暴に描かれている。
人気などもちろんない。心なしか空気も埃っぽかった。
廃ビルと廃ビルの間の瓦礫だらけの道路を歩きながら、アーサーが口を開く。
「……昨日も思ったけど、ここはすごいね」
「〈塔〉と〈穴〉が出現したとこなんて、みんなこんなもんだろ」
「それはそうかもしれないけど……ここはいつ魔物の襲撃を受けたんだい?」
「五年前。千葉に発生してた〈穴〉が消滅したすぐ後さ」
〈塔〉と〈穴〉は消した傍から新しいものが別の場所に出現する。
最早、天災レベルだ。そう誰かが言っていたのを思い出しながら、スズは近くの廃ビルの中に足を踏み入れた。
ビルといっても大半の骨組みがむき出しだ。錆だらけの階段を登れば、ところどころ壁の崩れ落ちた箇所から外の景色が見える。
スズ達のいる破壊された街。その少し向こうに、赤茶色の屋根が特徴の学園。さらにその向こうには真新しいビルや派手な色の看板がいくつも見える。何とか、破壊から免れることのできた普通の街だ。
「それにしてもお前も大変だよな」
「どうしてだい?」
「ソロモンだがホルモンだか知らないけど、イギリスからこんなとこに来なきゃいけないなんてさ」
「それがボクの使命だからね」
「使命……使命かぁ。いいよなぁ。わざわざ呼ばれるってことは必要とされてるってことだろ」
「そうかな」
「そうだろ」
自分には縁のない話だ。羨ましい。崩れかけた階段を見つめながらスズは密かにため息をつく。
「スズは〈塔〉を倒したことは?」
「あるわけないだろ」
アーサーにスズはひらりと手を振った。
「ミトラの……俺の精霊の能力なんか、ただ魔物を食べるだけだぜ?」
「魔物を食べる?」
「貪食。免疫細胞は体の外から入ってきた異物を排除する時に、異物を食べて自分の中で消化するんだ。それの応用」
スズは小さく肩をすくめた。
「何にせよ、そこらの低級魔物の相手するのが精一杯さ」
「え……? でもこうやって実習してるんだよね?」
「あくまで実習だろ。授業だよ授業。本当に〈塔〉の中の魔物と戦おうだなんて考えてる生徒なんていないさ。実際、今回も先生達が中心になって戦うんだろ」
スズは階段の最後の一段を登り切った。
「まぁでも俺だって魔物はいなくなった方がいいと思うし。だからお前が来て〈塔〉を倒してくれるんなら大歓迎っていうか」
「……キミもボクに期待するんだね」
「え?」
低い声にスズは立ち止まった。
後ろを振り返る。その時にはアーサーがスズのすぐ横を歩いて抜き去っていく。
その横顔はやけに冷たい。壊れた窓枠が不規則にアーサーの顔に影を落とす。そのせいだろうか。
何故か少しアーサーが怖く見えて。
「アーサー?」
アーサーは立ち止まった。一拍遅れて振り返る。
笑顔。
だけれど。
「どうしたの。早く行こう?」
「お、おう」
にこりとアーサーに微笑まれて、慌ててスズは駈け出した。
階段を最上階まで上り、廊下を突っ切って奥の部屋まで進む。
スズはそこで立ち止まった。
「よし、ここにするか」
「……なにもないね?」
「無くてとーぜんだろ。元はただのビルだし」
魔物が来る前は会議室として使われていたのだろう。長机と錆びたパイプ椅子があちこち散らばっている。部屋の奥の壁にだけ、はめられた窓から光が差し込んでいる。
窓の外、青空の下で広がるのは破壊された街と、このビルよりも更に高くそびえ立つ、漆黒の〈塔〉。
窓辺に近づいたスズは耳元のイヤフォンに手を当て耳を澄ませた。聞こえるのは雑音ばかりだ。
「おかしいな……そろそろ連絡あってもいい頃なのに」
「ここは隠れる場所とかないんだね」
うろうろと歩き回っていたアーサーは、床に倒れていたパイプ椅子の一つを持ち上げた。窓の横に椅子を起こして座る。
埃が窓からの光を受けてきらきらと舞い上がる。
スズは顔をしかめた。アーサーは気にしていないのか、椅子をきしませながら窓枠に頬杖をつく。
気だるげな横顔。それに、スズは。
「アーサー、お前……もしかして怒ってる?」
「なんで?」
「な、なんでって……さっきまでもっと笑顔だっただろ」
「そうかな。キミの見間違いじゃないのかい?」
「見間違いって」
「ボクはいつも通りさ。いつも通り……言われた通りに魔物を倒して、〈塔〉を倒せばいい」
最後は半ば自分に言い聞かせるみたいだった。アーサーの表情が何かを思い出すように陰る。
けれどスズがそれを問う前にアーサーは椅子から静かに立ち上がった。
「来たよ」
「え……?」
「退治役。ボク達は彼らを倒せばいいんだろう?」
アーサーの見つめる先、ビルの入口のところにスズ達のいるビルを指さす三人の生徒の影が見えた。三人とも少年だ。痩せぎすと眼鏡と太っちょ。六階建てのビルからは声までは聞こえない。
スズは首を傾げた。
「あれ……? でも合図がまだのはずなんだけど」
「じゃあ行ってくるね」
「は? 行くって」
どこに。スズがそう言い終わる前にアーサーは窓の外へ身を躍らせた。
「えっ!? ちょ、お前ここ六階だぞ……!?」
スズが慌てて窓から身を乗り出す。その時だ。
「叡智ある雌黄の聖骸布」
飛び降りながらアーサーが指先を宙に躍らせる。
描かれるのは円と文字、それに幾つかの記号が複雑に組み合わさった魔法陣。
スズが描くものよりずっと緻密なそれを、スズが描くよりずっと早く描き終えて。
「っ……!」
黄色の光が瞬く。思わずスズは目を細める。
次の瞬間には、細い布が三本、アーサーから飛び出した。その内の一本がスズの真横の柱に巻き付く。
アーサーはそれを掴んでぶら下がった。
そして残りの二本は、驚いたように上を見上げる生徒達に向かって。
「――捕縛」
アーサーが低く呟くと、布が、魔物退治役である三人の生徒達に躍りかかった。
痩せぎすと眼鏡は逃げる。太っちょが捕まる。悲鳴を上げている間に、二枚の布がぐるぐると彼を簀巻きにしてしまう。
「精霊召喚なしかよ……」
スズは小さく呻いた。
人間は、一人が一つの精霊と契約を交わし、その力を行使する。その際には精霊を実体化させて戦うのが常だ。
今のように、精霊を実体化させないで、その力だけ行使するには何年にも渡る訓練と何より才能が必要とされる。
つまりは、それだけの実力と才能がアーサーには備わっているということに他ならない。
残りの少年二人は飛びのきながら叫ぶ。
「ちっ、上からだぞ……!」
「なめやがって……!」
二人の少年も魔法陣を宙に描いた。光が輝く。
眼鏡の前には薄緑色の翼を持った狼が、痩せぎすの前には茶色の象の精霊が現れる。
狼と象、二つの精霊はビルにぶら下がったままのアーサーに突進する。
スズは慌てて声を上げた。
「ど、どうすんだよアーサー……!」
「どうするって?」
「狼と象だよ! 狼は動き早いし、象はでかいだろ! さっきみたいに布じゃ捕まえられな、」
「じゃあ別の精霊を使おう」
「は……!? 何言っ、」
「青き堅牢なる盾」
アーサーが淡々と呟く。青い光が軌跡を描く。
描かれるのはさっきとは違う魔法陣。
「――硬化」
アーサーが青い光をまとわせて指を振り上げる。
目の前に青い半透明の壁が現れた。
狼と象を弾く。二匹がよろめく。
スズは信じられない思いで口を開く。
「二つ目の精霊……!?」
「まだまだ!」
アーサーが布から手を離す。
布と壁が黄色と青色の光の粒となって消えていった。
地面に降り立つまでの間にさらに別の魔法陣を描く。
今度は、赤い光。
三つ目の精霊の能力。
「赤き宿命の剣」
アーサーが呟く。宙に二本の赤い刃の短剣が生まれる。
それを両手で掴んで地面に降り立つやいなや、アーサーは象の精霊に躍りかかる。
象がアーサーを踏みつけようとする。
狼が牙をむき出してアーサーに噛み付こうとする。
その度に流れるような動作で攻撃をかわし、アーサーは短剣で精霊に切りつけていく。
「っ……な、なんなんだよこいつっ……!」
眼鏡の少年がたじろいだ。痩せぎすも顔色が良くない。
そりゃそうだ。精霊を喚び出さずに戦うだけでも十分なのに、一人一つしか契約できないはずの精霊と複数契約しているだなんて、スズだって聞いたことがない。
……そう、まるでソロモンのようだ。様々な悪魔と天使を自在に召喚したとされる伝説の王。
ソロモンの再来。まさしくそう呼ばれるにふさわしい。
けれど、何故だろう。
一人で戦うアーサーは確かに優勢で。
一人でたくさんの精霊の力を使う事ができる実力も持っていて。
なのに。
「なんであいつ……あんなにしんどそうな顔してるんだ……?」
そうだ。力がある割にがむしゃらに戦っているようにみえる。
敵と戦って勝つというより、まるで敵に倒されることを望んでいるような。
そこまで考えた時、スズの視界の端で何かが光った。
近くのビルの物陰だ。少女がいる。光る何かを構えている。その傍らには彼女のものと思しき蛇のような精霊が見えて。
スズは、はっとして叫んだ。
「っ、アーサー! 罠だ! あいつらの仲間がお前を狙ってる!」