金の王、銀の指輪
夢から覚めたみたいだった。突然体が動くようになる。五感が一気に情報を伝えてくる。
血の匂い。魔物の唸り声。ひやりとした空気。鉄の味のする口の中。
地面に倒れたアーサー、はあちこち怪我をしていた。
「っ、馬鹿……っ!」
慌ててしゃがんでアーサーに肩を貸して立ち上がらせる。それでもやっぱり彼は笑ったままだ。
「こんなに怪我して……っ」
「え……? あ、ほんとだ」
「ほんとだ、じゃねぇよっ! なんでこんなになってまで」
「キミを助けるのに必死だったから」
気付かなかったな、なんて。ちらりと意味ありげにスズの方を見てアーサーが呟く。
さっとスズは顔を赤らめた。
「っ……ぜ、ぜったいお前、分かってやってるだろ……っ」
「なんのことだい?」
「お前ら……よくも……」
二人は揃ってクロガネの方に目を向けた。
睨みつける視線と目が合う。
「よくもよくもよくも……! 勝手な真似しやがって……っ」
「勝手はどっちだ! お前の方こそスズを操ったりしたじゃないか!」
「だまれっ」
アーサーの言葉にクロガネが鋭い声を上げる。肩を怒りで震わせる。
「お前らに何が分かるんだ! 何が……っ! 僕は……っ完璧にならなくちゃいけないのにっ……!」
「――そうすればきっとママも振り向いてくれるから」
ぼそりとスズが呟く。クロガネが目を丸くした。
「早く、いい子にならなきゃ。もっと力を手に入れて、いい子に。そうすればきっとママも振り向いてくれるから…………これ、全部お前のことだろ、クロガネ」
「っ、ち、が……」
「いいや、違わないね。なんで俺がお前の考えてることわかったのかは謎だけどさ……でも、お前の気持ちは分かるよ」
「うるさい……」
「お前も、誰かに認めてもらいたかったんだよな」
「っ、うるさいッ」
クロガネが悲鳴のような声を上げて叫ぶ。
その瞬間、彼の周囲に漆黒の魔法陣が浮かび上がった。クロガネを中心に風が渦巻く。黒い光が靄のように立ち込める。
スズ達は慌てて駈け出した。
「あぁもう、ドレス走りにくいっ!」
「見て、スズっ」
ちらりと後ろを振り返れば、クロガネを包む魔法陣が怪しく明滅している。
何か、来る。そう思った次の瞬間、魔法陣から黒い何かが飛び出してくる。
「スズ!?」
考えるよりも先に体が動く。
アーサーを突き飛ばした。
スズはぎりぎり間に合わない。
いや、いい。怪我だけですむのなら。
覚悟を決めてスズは黒い何かを睨みつけ。
「――青き堅牢なる盾!」
声が響く。スズの目の前に巨大な水壁が現れる。黒い何かが水壁に弾かれて霧散する。
驚いて振り返れば、アーサーがほっとしたように笑った。
「よかった。スズが元に戻ったから、ガヴリエルの力もボクが使えるようになったみたいだ」
「アーサー……」
「スズ、キミは一人で戦ってるんじゃない……そうだろう?」
立ち上がりながらアーサーが片目をつぶる。
それにスズは一つ目を瞬かせて。
「……そう、だな」
噛みしめるように頷く。
アーサーと共に黒い魔法陣の方を睨みつける。
「あいつ、倒すぞ」
「うん。でもどうする? 魔物への攻撃は全然効かないんだ」
「いや……攻撃は、多分通る。お前がここに来る前に俺がクロガネに攻撃した時は効いたんだ。なんでかは分かんねぇけど……だから、俺が精霊を召喚すれば」
「それってさっきみたいに真名を使うってことかい?」
「そう。そうすればどんな精霊でも喚べるから……あぁでも弱ったな。あいつに対抗できそうな精霊って、どんな奴だよ……」
目の前では渦巻く靄が少しずつ形をとりはじめていた。
巨大な漆黒の人間。
全身は鎧で覆われ、その背からは濡羽色の蝿のような四対の羽が生えている。
もう時間がない。焦りながらスズが必死で考える。
けれどスズの能力で浮かぶのは精霊の真名だけなのだ。
その精霊がどんな性質なのか。どれほどの強さを持っているのかまでは分からないのだ。
もうちょっと真面目に授業を受けておけば。そうスズが後悔した時だった。
ぽつりとアーサーが呟く。
「――ウリエル、ならいけるかもしれない」
「え?」
「ボクの契約してる精霊は四つだ。その四つ目さ」
「四つ目って……前言ってた、暴走した精霊、か?」
「うん。正直まだ、ちゃんと制御しきれるか自信がない。あれ以来、ちゃんと喚んだこともないし……なんて言っても、やるしかないんだけど」
少し困ったようにアーサーが笑う。
青い瞳がほんの少し不安そうに陰る。
昔を、思い出しているんだろうか。なんとなく、スズはそう思って。
「だ、大丈夫だっ!」
深く考えもせず、アーサーの両手を握った。青い瞳が丸くなる。
「大丈夫! 俺がいるから!」
「ス、ズ?」
「あっ、いや、俺だって大したこと出来ねぇけど……っ」
「……ううん、そんなことない」
スズがそう言ってくれるだけで十分だよ。そう言ってアーサーは小さく笑う。
ほんの少し自信を取り戻したかのように。
そして踵を地面に軽く打ち鳴らした。
「っ……!」
スズは目を見開いた。
風が吹く。光が地面に生まれる。黄金色の光。夜明けの色。
その光が地面に走り、スズ達を中心に巨大な魔法陣を描く。
「こ、れは……っ?」
「ウリエルの魔法陣さ。これくらい手助けは許されるだろう?」
「アーサー……」
「さぁ、スズ。次はどうするんだい?」
アーサーに問われて、スズは気を引き締め直した、
「……許しを」
「え?」
「許しをくれ。お前の精霊を、俺が使う許しを。そうすればさっきみたいに、強制的に精霊を従わせることがなくなるから」
「許し……でもどうするんだい?」
「俺の血を飲んで、許す、って言ってくれればいい」
「そうなの?」
「そう。待ってろ、今どっか切って血を……」
「いや、いい」
「アーサー?」
にこりとアーサーが笑う。
そしてスズの唇に自分の唇を重ね合わせた。
「っ……痛っ!?」
がり、と唇を噛まれる。鉄の味。それを舐められる感触。
スズがびくりと体を震わせる。
「な、なななっ……!」
何を、するんだ。顔を真っ赤にしてスズが文句を言う前に、アーサーが素早く顔を離す。
悪戯っぽく笑いながら唇を動かす。
スズ、と。
「ボクはキミのことが好きだよ」
「っ……!」
それは許しとかじゃない。そう思ったが、言ってる暇はなかった。
あとで覚えておけよ! 心のうちだけでそう叫びながら、スズは口を動かす。
「契約の天使の名において命ずる……!」
光がいっそう眩しく輝く。
スズが干渉したからだろうか。
金色の光に、白銀の煌きが交じる。
金と銀の柱が立ち昇る。
ぼんやりと巨大な人影が見えた。三対の純白の羽が背中から生えている。手には黄金色と白銀色に燃え盛る剣。
その姿は美しい。言葉では言い表せないほど。透明で、純粋で、苛烈。けれど同時にひどく怖い。
畏怖。圧倒的な存在感。それに呑まれて、自分なんかなくなって、何も言えなくなってしまいそうだ。アーサーも肩で荒い息をして、顔を歪めていて。
「っ……だ、いじょうぶだ……っ!」
叱咤するようにスズは叫んだ。
アーサーの手を強く握る。
冷たい手。
それでも我に返ったらしいアーサーは、スズの手をぎゅっと握り返して小さく頷いた。
「我に従い、敵を討て――神の炎!」
「――諾」
朗々とした声を響かせてウリエルが剣をふるう。燦然と輝く金と銀の剣閃が、真っ直ぐに魔物に向かい、その体を断ち切る。
溢れる光。
その中で一瞬だけクロガネの姿が見えた。
寂しそうな目をした彼が。
それが何故かスズは放っておけなくて。
だから彼へと向かって手を伸ばして。
直後、世界が眩しい光に包まれた。