キミは一人なんかじゃない!
ラファエルが驚いたように顔を上げる。
「真名……だって……!?」
「主よっ!」
ミカエルが短剣を片手に、アーサーの目の前に一瞬で移動する。
一拍遅れて、ガヴリエルの大鎚をミカエルの短剣が受け止めた。
「っ、な……!?」
「クソが……っ、やはりか……っ」
驚くアーサーの耳に、ミカエルの盛大な舌打ちが聞こえる。
ミカエルは、ガヴリエルの大鎚をなんとか受け流した。
逆の手で握る短剣でガヴリエルを切りつけるが、彼女はひらりとそれを交わして距離を取る。
「う、ふ……あははっ……!」
「な、なんだよ……?」
狂ったように笑うガヴリエルの視線は、奇妙にあってない。アーサーが疑問の声を上げれば、ラファエルが険しい顔をした。
「さっきスズが言ったのはガヴリエルの真名だ」
「スズが、ガヴリエルを操ってるってことか……?」
ラファエルが頷く。
ミカエルが顔を歪めながら、短剣を喚び出す。
「くっ……ラファエル! とりあえず、あの女を叩くぞ!」
アーサーは目を見開いて叫んだ。
「スズを攻撃するっていうのか!」
「それ以外にどんな方法があると!?」
「方法なんて幾らでもある! そもそもスズの様子だっておかしいだろう! まるでスズこそ操られてるみたいに……!」
「仮にそうであったとしても我らの決意は変わりませぬ!」
「どうして!?」
「我らが貴方の精霊だからだ! どうして分かってくれない!?」
ミカエルが苛立ったようにアーサーを睨みつけた。
「主よ、情に流されるな! 魔物も精霊も自在に操れる者は脅威だ! 我々がここで倒されれば、もう何人たりとも奴らを止めることは出来ぬ!」
「でも……っ」
「主が日本に来たのは何のためか!? 〈塔〉を倒し、〈穴〉を塞ぐのが主に課せられた使命」
「でも! それはボクのやりたいことじゃないッ」
ラファエルとミカエルが、驚いたようにアーサーを見つめる。
アーサーは荒い息のまま、必死に二人を見つめる。
「ボクはスズを助けたいんだ……! 頼む、力を貸してくれ……!」
「ほらほらぁ! 何をこそこそ話してるの?」
クロガネが笑いながら魔物をけしかけた。
スズが再び唇を動かす。さっきとは違う音の響きの後、ガヴリエルの両隣に別の精霊が現れた。
名前は分からない。馬に乗った騎士のような精霊と、一角獣のような精霊。
彼らもまた、狂ったような声を上げてアーサー達の方に向かってくる。
ミカエルは静かに息を吐き出した。
「……もういい。好きにしろ。我らが道を作る」
「っ、え?」
「やだなぁ、ミーシャったら照れちゃって~」
「うるさい! 黙れラファエル!」
言いながら、ミカエルはいつもより幾分か荒々しく、飛びかかってきた魔物を切り裂いた。
それを見てラファエルが笑う。
笑いながらアーサーの背をそっと押して囁く。
「気をつけて……主の御心のままに行動してください」
「っ、あ、ありがとう……っ!」
アーサーは地面を蹴った。魔物が向かってくる方角、スズの方に向かって駆け出す。
「ぬるい! 貴様らの力はその程度か!」
「ほらほら~! アーサーの邪魔をするのは許さないよ~!」
向かってくる魔物は、ことごとくミカエルかラファエルが食い止めた。食い止めるだけだ。さっきと違い、今度の魔物は二人の攻撃をことごとく無効化している。
けれど何故か、さっきより心強い。
「赤き血盟の剣――!」
アーサーはそう叫んで魔法陣を描く。
灯った赤い光を右手で掴む。
目の前に飛び出してきた一角獣の額に突き立てる。
その反動で飛び上がる。
口を動かす。
「溶血……ッ」
背後で一角獣が悲鳴を上げる。まるで泣き声のようだ。悲しい声。
戦いたくないと、本当はそう言っているみたいに聞こえて。アーサーの胸の奥がつきりと痛むが、構ってられなかった。
魔物と精霊の群れを抜ける。
スズのところまであと少し。
もう、あとほんの。
スズが少しだけ目を上げた。
「我に従え、神の癒し手」
「!?」
思い切り右足を引っ張られてアーサーは地面に倒れ伏した。
「ラファエル!」
ミカエルの焦ったような声にアーサーは振り返る。
足には白く細い布、その向こうに顔を歪めてラファエルがうずくまっている。
「……無駄」
冷たい声が降り注いできて、アーサーはハッと顔を上げた。
スズが、すぐ傍に立っている。
静かに赤い瞳をアーサーに向けている。
「スズ……やめるんだ」
「やめる? どうして? あなたは、敵」
「敵なんかじゃない! ボクはスズを助けに来たんだ!」
「助ける? 何を言ってるの」
「……え?」
「私はずっとここにいた。この〈塔〉に閉じ込められてた。クロガネと一緒に」
スズの言葉には淀みがない。まるで何かを吹きこまれたように、口が動く。
「早く、いい子にならなきゃ。もっと力を手に入れて、いい子に。そうすればきっとママも振り向いてくれるから……」
「スズ……スズ! 何を言ってるんだ!?」
「触らないで!」
「っ……!」
足首に巻き付いていた布の力が強くなる。スズに手を伸ばしかけたアーサーは顔をしかめる。
「す、ず……っ!」
「黙って! うるさいのっ、その声! 頭が痛くなる……っ」
「いいや、黙らない! キミは忘れてるだけなんだ! 思い出して!」
「思い出すことなんてないっ! 知ったような口をきかないで! わたしは一人だったの! 今までも、これからも、ずっとずっと一人で、」
「キミは一人なんかじゃない!」
アーサーの声にスズはびくりと肩を震わせた。
「一人なんかじゃなかっただろ! 思い出して! ボク達は一緒に戦っただろ! 一緒に学園に通ってたじゃないか!」
「が……くえん……」
「そうさ! ボクだけじゃない! マリーと健太もいる! 一ノ瀬先生だって! 皆キミを心配してるんだ!」
「く……っ」
「スズ、そいつの言葉を真に受けるな!」
顔をしかめたスズに、クロガネが警戒するように声を上げた。
アーサーは、負けじと声を張り上げる。
「キミは一人なんかじゃない! これまでもこれからも! だから……っ!」
「スズ! 早くそいつを殺せ!」
「……っ、……」
「スズ!」
アーサーとクロガネが同時に叫ぶ。それに一際大きくスズの体が震える。
そして。
「う、ん……っ、クロガネ……っ」
ゆっくりとスズが懐から短剣を取り出した。細い指先でその柄を握る。刃をアーサーの方に向けて。
その赤い瞳からぱたりと涙がこぼれて、真っ白なドレスを濡らす。
「す、ず……」
悲しかった。スズが苦しそうな顔をしていることが。彼女の喚び出した精霊だってそうだ。皆、狂ったように笑いながら泣いている。
傷つけたくない。殺したくない。そんなスズの気持ちを代弁するみたいに。
アーサーには、そう思えて。
「……スズ……」
スズが短剣を振り上げた。これが振り下ろされれば自分は死ぬのだろう。そう思った。
けれど、逃げようと気にはならなかった。
アーサーは拳を握りしめる。
顔を俯ける。
でも、一瞬だけだ。
「……スズ、ボクは」
そう言って、アーサーは顔を上げた。
ただ、笑って。
「ボクは、キミと友達になれて、本当に良かったって思ってる」
スズがピタリと動きを止めた。
目を見開く。
「あー……さー……?」
ふらりとスズがよろめく。
その手から短剣がこぼれ落ちて、地面に突き刺さった。