まぁ、ゆっくりしていきなよ
***
次にアーサーが目を開けた時、辺りは一面真っ暗になっていた。
夜の闇よりも尚暗い。光なんてどこにもない。真っ暗、というよりは真っ黒。その光景には見覚えがある。
「……〈塔〉の中か」
「せーかい。流石は『ソロモンの再来』だねぇー」
無邪気な、人を馬鹿にしたような少年の声が響く。目を、少しだけ先へ向けた。
真っ暗な部屋に、ぽつりと人影が二つ。
一人は、遠目から見ても分かるくらい、真っ白なウエディングドレスを着ていた。顔は薄いヴェールで隠れていてよく見えない。
そしてそんな少女を、エスコートするかのように立つ、真っ黒な少年が一人。
彼はスズそっくりの顔で。
アーサーは顔をしかめる。
クスクスと少年が笑った。
「あれぇ? 反応が薄いなぁ……あんたなら絶対、もっといいリアクションすると思ったのに」
「お前……誰だ」
「クロガネ」
そう言って、少年は――クロガネは笑顔を歪めた。
「まぁ、ゆっくりしていきなよ」
四方八方から、魔物の唸り声が響き渡った。駆ける音。羽ばたく音。耳障りな鳴き声。その全てがアーサーめがけて迫ってくる。
逃げ場はない。直感した。
けれど、躊躇いはなかった。
「ミカエル、ガヴリエル、ラファエル」
歌うように名を呟いて、アーサーは夜闇に指先を踊らせた。魔法陣が描かれる。
三つだ。一つなんかじゃない。一人の人間が一つの精霊としか契約できないだなんて、ありえない。
ソロモンの再来、アーサー・スレイマンにその常識は通じない。
「――行け」
アーサーの声と共に、魔法陣が激しく光った。
真っ先に飛び出したのはミカエルだ。
「赤き血盟の剣」
ミカエルの声に応じて、宙に短剣が浮かぶ。
赤い短剣は魔物に向かって次々と飛んで行く。
向かってきた魔物はミカエル自身が短剣を扱っていなす。
「にゃははっ! そんなンでジヴを止められると思うてるン!?」
ミカエルの傍らを、青い光を散らして駆け抜けていったのはガヴリエルだ。
小さな体に見合わず巨大な槌を持っている。
おさげを揺らして振り下ろせば、地面ごと魔物が潰された。
「う~ん、俺は治療専門なんだけどなぁ~」
二人とは対照的に、アーサーの傍で、金髪を揺らして困ったように笑うのは、ラファエルだ。
それでも、彼の目の前では何本もの黄色の細布が揺らめき、魔物を絞め殺す。
それだけならまだ良い方だ。中途半端に体に絡みつかれたものは、そこから腐り落ちるように、体の一部が生きたまま切断されている。
アーサーは挑むようにクロガネを見つめた。
しかしクロガネは、相変わらず無邪気に見つめるばかりだ。
「あははっ、なるほどね! 一度に複数の精霊と契約できるからこそのソロモンってことか!」
「お遊びは終わりだ。ボクにどれだけ魔物をけしかけたって無駄だよ」
「うん、そうだね」
クロガネは拍子抜けするほど素直に頷いた。
それでも笑顔は消さない。
「これで、アンタを倒せば、スズもいよいよこっち側に堕ちてこれる、ってわけだ」
「? どういう……」
「負け惜しみが一番カッコ悪いンよ!」
魔物の群れをいなして、ガヴリエルがクロガネの元に辿り着いた。大鎚を振り上げる。
振り下ろされるそれに、クロガネは動かない。
だが……その後ろの少女が、動いた。
「――契約の天使の名において、命ずる」
抑揚のない声。それに振り下ろされるはずだった槌が、ピタリと動きを止める。
槌だけじゃない。それを操っていたガヴリエル自身が、顔を強ばらせて動きを止める。
風圧で少女の顔を隠すヴェールが外れた。
「す、ず……?」
「あかン……!」
アーサーが目を丸くして呟くのと、ガヴリエルが悲鳴のような声を上げたのは同時だった。
目を伏せたまま、スズが唇を動かす。
「我に従い、敵を討て――神の召使い(ギボル)」
びくん、とガヴリエルの体が不自然に揺れた。