そんな顔して、言うなよ
***
「……そんな顔して、言うなよ」
「っ、荒賢者!?」
シエラが慌てたように声を上げた。
そんな姿も可愛い、だなんて、今言ったらきっとまた怒られるんだろうな。頭の片隅で、呑気に考えた一ノ瀬の掌に激痛が走る。
「いっ、たぁ!?」
シャティエルが呆れたように耳元で声を上げた。
「阿呆! どこに素手で槍を受け止める馬鹿がおるんじゃ!」
「阿呆とか馬鹿とか言うなよ! せめてどっちかにしてください!?」
「それが阿呆で馬鹿だと言うておる!」
ブツブツとぼやきながら、シャティエルは自分の小さな掌から緑色の光を生み出した。
光はすぐに一匹の蜂になり、血を流している一ノ瀬の掌を差して、姿を消す。
痛みは、瞬く間に消えてなくなった。麻酔で鎮痛させただけだから、怪我が治るわけではないが。
掌を貫通している槍を引き抜く。肉とか血とかがバタバタ落ちた。少しどころか結構グロテスクだ。
それでも荒々しき賢者は動かない。硬直したまま、口から泡を吹いて目を白黒させている。
「荒々しき賢者!? なんで動かない……っぁ?」
「おっと」
シエラの体がぐらりと傾いた。その体を一ノ瀬はなんとか抱きとめる。
「な、によ……これ……っ」
「全身麻酔」
「え……?」
目線だけ上げたシエラに、一ノ瀬はにこりと笑った。
「俺の奥の手さ」
麻酔には薬物同様、様々な投与経路がある。主なものは静脈注射だ。それが一番効率よく、素早く効果が得られるから。だが静脈注射が用いられるのは、局所の治療の時が主である。
全身に麻酔をかけたければ、どうするか。
答えは空気に混ぜて吸入させる、だ。
「さっき、壺を壊された時にシャティエルがまいたんだ。鎮静と不動化の効果のある気体さ。だんだん眠くなってきただろ?」
「う、そ……嘘よ……そんな、これじゃあローランを……私は……っ助けなきゃ……っ」
「〈塔〉にとらわれた息子を?」
シエラが目を見開いた。
「どうして……それを知って……」
「いやー、それはほら、愛ゆえってやつ?」
「ふ、ざけっ……」
「ふざけてなんかないよ」
一ノ瀬は腕の中でシエラの体を転がした。
彼女の体が仰向けになる。
泣きそうな顔が、見える。
「……ふざけてなんかない。だから抱え込むな。一人で追い詰めて、そんな顔すんなよ」
「あ、なた……何言って……」
「俺が、アンタを守ってやる。アンタの守りたいローランって奴も、丸ごとな」
「は……? そんなことしてあなたに何の得が、」
「えっ、だって未来の俺の息子じゃん」
シエラが目を見開いて固まった。
えっ、俺当然のこと言ったよな? 間違ってないよな? そんな思いで、肩の上のシャティエルに視線を送れば、阿呆、と目だけで切り捨てられて。
「……ばか、だわ……」
「シエラ、さん……?」
「あなた、ほんとうにばか……」
シエラが目を細める。
「私は、あなたのこと、嫌いなのに……」
「いいよ、別に」
一ノ瀬は微笑んだ。
「リスクのある恋。逆境の恋愛。それでこそ俺のロマンだから」
「なにそれ」
意味不明ね。そう言って、ほんの少し笑って、シエラが目を閉じる。
まもなく規則的な寝息が聞こえ始めた。
麻酔が効いたらしい。ほっと一ノ瀬は息をついて。
「あとはあいつら次第だな……」
顔を、上げる。その視線の先には黒い〈塔〉があった。