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ソロモンズ リング -gold of King, silver of Ring-  作者: 湊波
第五章 金の王、銀の指輪 ― gold of King, silver of Ring―
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スズとクロガネ

 幼い頃のスズの記憶は、いつも同じものだった。

 真っ黒な部屋。床も壁も真っ黒。並び立つ高い円柱の先も真っ暗で、見上げても果てが知れない。

 唯一、壁に四角く空いた窓から差し込む光だけが、太陽の出ている間だけ、この〈塔〉の中を照らす。

 スズの知る限り、彼はいつもそこにいた。

 母さんと同じ、ダークブラウンの髪を日に透かして。

 今日も。

「ねぇローラン」

「どうしたんだい?」 

 柱の陰からスズが名前を呼べば、彼が――ローランが振り返った。

 ぼうっと窓の外を眺めていたのが嘘みたいに、にこりと微笑んで手招きをされる。

 少し迷ってから、スズはローランの方にまろぶように駆け寄った。

 辿り着けば、ローランがスズを抱えて、膝の上に乗せてくれる。

 窓の外の景色が見えた。

 青い空にはぽっかりと白い雲が浮かんでいる。

「おっきくなったなぁ! スズは今日で五歳だっけ?」

「八歳だよ。母さんがそうやってわたしとクロガネをつくったから。すぐにおっきくなれるように」

「そっか」

「すぐにローランより大人になるよ」

 首をひねってローランの方を見上げた。

「そうしたら、ローランは外に出られるんでしょう? 母さんが今日、教えてくれたよ。わたしとクロガネがおっきくなったら、ローランとあるじを交代するって」

 今日、母さんから聞いたばかりの話だ。そのために、あなた達は生まれてきたのよ。そうスズ達に告げた彼女は、珍しく上機嫌だった。

 多分、それくらい嬉しい事なのだ。そう思ったから、スズはローランに話そうと思った。

 いつもぽつんと、一人で窓の外を見ている彼にも、笑って欲しかったから。

 けれど、何故かローランは少しだけ悲しそうな顔をする。

「ローラン……? どうしたの……?」

「ううん、なんでもないよ」

「でも、」

「ねぇスズ。スズは外の世界に行きたい?」

「えっ」

「いつも俺のとこに来て、窓の外見たそうにしてるよね」

「それは……」

 ローランが、いつも寂しそうだからだ。そう言いかけて、けれど何となく気恥ずかしい。

 スズは顔を赤くしながら顔を俯ける。ぶらりと足を揺らした。

「……な、なんとなくだよっ」

「なんとなく?」

「そう、なんとなく! いつもだって、窓が高くて外よく見えないもん……ローランはどうなの? ローランは外が好き?」

「俺かい? 俺は好きだよ。だって……ほら、見て」

 ローランはスズを窓枠に座らせてくれた。

 そうすれば窓の外の景色がよく見えて。

「わぁ……!」

 風が吹く。初めて見た外の景色にスズは声を上げた。

 眼下に広がるのは廃墟の街並みだ。

 けれど、その向こうには赤い屋根の大きくて綺麗な建物があって、さらにその後ろには、守られるようにして立ち並ぶ街並みが見えた。

 それから青い空と白い雲……降り注ぐ日差しを、目を細めて見つめようとしたスズの頬に、ぱらりと雨のしずくが当たる。

「ローラン、晴れてるのに、雨が降ってるよ!」

「天気雨だよ。この辺りはこういう天気が多いんだ」

「すっごく、きらきらしてる!」

「そう。だから俺はこの天気が好きなんだ」

 微笑んで、ローランはスズの横で頬杖をついた。

 優しく風が吹く。

 スズの、ローランの、髪先を揺らす。 

 彼の胸元で赤い宝石のついたペンダントが揺れる。

 そんな中で、ローランは歌うように口を動かす。

「世界はこんなにも広いんだ。こんなにも明るい。ここに見えてるだけじゃない、たくさんのもので溢れてる。その全部を見るのが、俺の夢なんだ」

「それ、すっごくいい! わたしも行けたらなぁ!」

「大丈夫。スズだって行けるさ。スズだけじゃない、クロガネも」

「え? でも、ローランの代わりに〈塔〉のあるじになったら、わたしも、クロガネも、外には出られないんでしょう?」

 だから、ただの夢のつもりで言っただけなのに。スズは純粋に疑問に思って、小首を傾げる。

 けれどローランはゆるりと首を振った。

「そんなことないよ。スズは外に出られる。勿論クロガネも……誰も、俺の身代わりになんかさせない」

「ローラン?」

 最後の言葉は聞き逃してしまいそうなほどに小さかった。

 スズはローランの方を見やる。

 けれど彼はやっぱり優しく笑うだけで。


***


「ロー……ラン……」

「うん、なにかな、スズ?」

「!?」

 軽やかな、明るい男の声。それにスズは飛び起きた。

 目の前にはダークブラウンの髪の青年が一人。

 胸元には〈塔〉の主の証である、赤い宝石のついたペンダントがぶら下がっている。

 知らない……顔ではなかった。

 成長しているが、夢の中に出てきた少年の面影が少しだけ残っている。

「ローラン……!」

 戸惑うスズを、ローランは楽しげに眺めている。

「なんでお前が……!」

「なんでって、俺がいられる場所はここしかないからさ」

「ここしか……って、まさか、ここ、〈塔〉の中なのか?」

「まっ、そんなとこ」

「え、でも……ちょっと待てよ! クロガネがお前の身代わりになったはずじゃ……」

「僕の知らないところで、何を話してるの?」

 響いた声にスズは振り返った。

 高い柱の立ち並ぶ部屋の奥、暗がりからクロガネが姿を現す。

 〈塔〉の中に、クロガネがいる。

 それなのに、ローランが出られないということは。

 至った結論にはっとして、スズはローランを庇うように立ち上がった。

「っ、ローラン!  下がってろ!」

「え…?」

「出られないの、クロガネのせいなんだろ!?」

 理由は分からないが、それしかない。

 彼が魔物を使って、ローランを〈塔〉に閉じ込めているとしたら。

 身代わりになるのが嫌だと言って、ローランに〈塔〉の主を強要しているのだとしたら。

 自分が、守らなきゃ。義務感に駆られてスズはクロガネを睨みつける。

 そんなスズを見て、クロガネは笑う。

「その分だと、ちゃんと全部思い出したみたいだ」

「……おかげさまでな」

「それでも僕に反抗する気?」

「反抗もなにも、お前に味方する理由なんか、」

「ママに気に入られるチャンスがある、っていっても?」

「……どういうことだよ?」

 スズはどきりとした。

 雨の中、自分を捨てて去っていったシエラの背中が脳裏をよぎる。

 クロガネはそれを見抜いたかのように微笑んだ。

「僕達で力を合わせて、そこのローランより優れてる、ってことをママに見せてやるんだ」

「なんだって?」

「そうすればママは僕達を選んでくれる。〈塔〉に閉じ込められるのは僕達じゃなくて、ローランになる。素敵でしょ? スズだってきっとママに振り向いてもらえるよ?」

 だから、さあ。そう言わんばかりに、クロガネがスズに向かって手を差し出した。

「君の力が必要なんだ。僕と一緒に来て」

 スズは、信じられない思いでさし出された手を見つめる。

 それはずっと望んでいた手だった。

 それはずっと望んでいた言葉だった。

 そしてその手を取れば、ずっと望んでいた願いが、叶うかもしれなくて。

 けれどそこで、スズの脳裏にアーサーの顔がよぎった。

 

 女だとか、男だとか関係ない。そう言って、自分のために泣いてくれた、彼の顔が。

 キミが、いいんだ。そう言って、自分を抱きしめてくれた彼の顔が。浮かんで。


「……かない」

「え?」

「俺は、行かない」

 顔を上げる。スズは目を丸くしているクロガネを見据える。

「クロガネ、お前は可哀想だ」

「なんだって?」

「母さんにとらわれて、ずっと一人なのはお前の方じゃないか」

「っ、そんな目で僕を見るな!」

 クロガネの悲鳴のような声に周りの空気が揺らめいた。

 彼の足元に紫色の魔方陣が浮かび上がる。霧が噴き出す。

 そして次に魔方陣が瞬いた時、紫色の巨大な蛇が姿を表した。

 とぐろを巻き、しゅうしゅうと口から紫色の霧を吐き出して、スズの方へ鎌首をもたげる。

「いけ!」

「ローラン、こっちだ!」

 クロガネの合図と共に、蛇がスズ達に向かって襲いかかった。

 スズはローランの手を引いて、それをよける。

 距離をおくように、柱の間を駆け抜ける。

 クロガネの馬鹿にしたような笑いが木霊する。

「そうやって逃げてると、あの雨の日を思い出すよ! ママに要らないって言われて、捨てられてから、スズは一回も戻ってこなかったよね!」

「っ、ミトラ!」

 逃げながら、スズも素早く指先を踊らせて魔法陣を描いた。弾ける白い光。

 現れたミトラが、蛇に向かって飛びたす。

 スズは立ち止まって振り返った。

 ミトラが蛇に喰らいつく。

 だが、少々体が噛みちぎられても、蛇はなんとも思っていないようだった。

 クロガネが勝ち誇ったように笑った。

「ずっと、逃げてたんだろ? 〈塔〉から。それで今だって逃げるんだ。無様にさ!」

 荒々しく蛇が体を動かし、ミトラを振り払う。ミトラが白い光を散らして消える。

 それでもスズが再び走りだすことはなかった。

「まさか! 俺はもう逃げない!」

 スズは指先を躍らせる。

 そこに灯る光は白ではない。

 赤銅色。

「契約の天使の名において命ずる」

 描いた魔法陣が赤銅色に輝く。

 その文様は、ミトラの魔法陣ではない。それどころかスズが今まで知らなかった魔法陣だ。

 それでも、言葉が自然と口をつく。

 知らないはずの精霊の名前が。その真名が、スズの頭にひらめいた。


「我に従い、力を貸せ――鳥の守護者(アラエル)!」


 魔法陣が激しく瞬き弾けた。

 赤銅色の光はそれぞれが合わさり、鳥の形を成す。

 鋭い鳴き声を上げながら何十匹、何百匹、何千匹という鳥になって大蛇に襲いかかる。

 瞬く間に、大蛇が鳥に覆われて見えなくなる。

 ローランが息を呑んだ。

「別の精霊……!? スズ、いつの間に契約を、」

「違う、契約したんじゃなくて、喚んだだけだ」

「え?」

「自分が敵に攻撃を受けた時、その敵に対応した精霊を、真名を使って喚び出せる……それが俺と」

 スズはちらりとクロガネの方を見つめて言葉を続けた。

「あいつの能力、免疫だ」

 通常の契約に、真名は必要ない。魔法陣を描いて、定められた手順を踏み、血液を精霊に与えて精霊と契約を交わす。

 そうであるが故に、一人の人間は契約できるのは一つの精霊のみなのだ。数が違うとはいえ、アーサーも同じ。


 だが、スズとクロガネの能力は違う。


 魔物であれ、精霊であれ、真名を持っている。本来誰も知るはずのないそれを知り、喚び出すことが出来る――それが免疫という能力だった。

 クロガネであれば魔物を、スズであれば精霊を支配する。真名による支配は絶対だ。契約をしていようがしていまいが関係なく、強制的に精霊を召喚できる。

「くっ……」

「諦めろ、クロガネ」

 顔を歪めたクロガネをスズは睨みつけた。

「お前が何度魔物を呼んだって、俺が何回でも倒してやる」

「くそ……!」

「分かったら大人しく引き下がれ! 俺たちを〈塔〉の外へ帰すんだ!」

「何を偉そうに! そんなの、従えるわけないだろ!」

 クロガネが再び魔物を喚び出そうとする。スズも身構える。

 何が来てもいいように。

 後ろにいるローランを守れるように。

 逃げずに怒り狂っているクロガネを見据えて。


「――なんてね」


「っ!?」

 そのクロガネがニヤリと笑う。

 瞬間、首筋に痛みが走って、ぐらりとスズの視界が傾いた。

 え、と思う間もない。体中から力が抜ける。そのまま地面に倒れ伏す。

「な……」

「駄目だよ、スズ」

 戸惑うスズの耳にローランの声が届いた。

 驚いて視線だけ上げれば、彼は笑う。

 優しく。

 けれどひどく違和感のある笑みを。

「ローラン……?」

「スズ、君は一つ勘違いしてる」

「え……?」

「俺はクロガネに囚われてるんじゃない。自分の意志でここにいるんだ」

「どういう……?」

「まだ分からない? 俺とクロガネはグルなんだ。クロガネにスズを渡すのが俺の役目」

 笑顔のローランの言葉は、スズを凍りつかせるのには十分だった。

「その言い方はやめろよ」

 足音高く近寄ってきたクロガネが不機嫌そうに吐き捨てた。

「利害関係が一致しただけだ。僕はお前を信用した訳じゃない」

「素直じゃないなぁ。俺はクロガネのこと、信用してるのに」

「黙れ、消えろ」

「はいはい……じゃあ俺はいつも通り、奥の安全なとこにいるから」

 ひらりと手を振ってローランが去っていく。

 一度も振り返ること無い。

 遠ざかっていく背は、まるであの雨の日のシエラのようで。

「残念だったね、裏切られて」

 クロガネのあざ笑うような声に、スズは体を震わせた。

「っ……」

「信用するから、こうなるんだよ。案外、スズの信じてる奴らも、あっさりスズを裏切っちゃうかもね?」

「そ、んなこと……!」

「ない? 本当にそう言い切れる? じゃあ僕が試してあげよう」

「っ……あ……っ!?」

 くすくすと笑いながら、クロガネがスズの顎を掴んで強制的に視線を合わせた。

 自分と同じ、赤い目。

 それは深い……どこまでも深い色をしていて。

 その瞳を見つめる内、スズの意識は急速に薄れていった。

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