錫と鉄
「ねぇ、なんでキミ達はついてくるんだい?」
「そんなの、帰り道が偶々一緒だっただけですわ。不本意にも」
「不本意にも? それはこっちの台詞だな。ボクとスズの後を、こそこそ追ってくるような人と一緒に帰りたくなんかない」
「っ、そ、それはスズを心配してのことですわ! だって、どこかの誰かさんに無理矢理連れだされてるんですもの!」
「む、無理矢理って……! 結果的に良かったんだからいいだろう!」
「……はぁ」
スズと別れ、自分たちの寮へと続く帰り道。静かなはずの夜の空気に喧々囂々(けんけんごうごう)としたアーサーとマリーのやりとりが続く。
健太は立ち止まった。
さっきからずっとこんな感じなのだ。
「……もういい加減にしてよ。二人がスズのこと心配してるのはよく分かったから」
「なんでそれを!?」
立ち止まった二人が揃って驚く。そんなの、ばればれだってば。健太は呆れてもう一度息をついた。
マリーは、まだいい。付き合いが長い分、この手の反応もまだ予想できた。
けれど。
「……あぁもう。僕の理想のアーサー像が崩れていくよ……」
「うん? なんだい、それ?」
「健太は『ソロモンの再来』に憧れていましたのよ」
「ま、マリー! 恥ずかしいから言わないでよ!」
「そうなのかい?」
「うう……せ、正確にいえばソロモン王に、だよ」
アーサーに不思議そうな目をされる。
健太は顔を赤くしながら、もごもごと口を動かした。
「だって、すごいじゃないか。精霊も魔物も自由自在に喚び出すことが出来たんだよ? そりゃあ、伝説の中だけの話だって、言われたらそれまで、だけど」
「うん? ソロモン王が喚び出したのは魔物だけじゃないのかい?」
「有名なのは、そうだね。ソロモンの七十二柱って言われる七十二の魔物だよ。〈穴〉を通ってこの街を襲ってるのもその七十二柱だし。でも、」
健太は眼鏡を押し上げた。
「さっきも言った通り、ソロモン王は精霊も喚び出せたんだ。そもそも彼が、どうして魔物を扱えるようになったのか知ってる?」
「え……?」
「指輪のおかげ、ですわ。ソロモンの指輪」
マリーが口を挟んで、勝ち誇ったようにアーサーの方をちらりと見た。
「そんなことも知りませんの?」
「し、知ってたよ! ただ言おうとしたのにキミが先に話すから……!」
「ふ、二人共落ち着いて!」
睨み合うアーサーとマリーを諌めて、健太は一つ咳払いをした。
「とっ、とにかく、その指輪は錫と鉄で出来ていてね? 錫の部分を使うと精霊が、鉄の部分を使うと魔物が喚び出せたそうだよ。当時は一つの魔物、一つの精霊を喚び出すだけでも大変だったんだ。それを自在に喚び出せる、ってだけで破格でね」
健太は興奮したように拳を握りしめた。
「おまけに、ソロモン王には指輪を濫用しないだけの知恵もあった。実力も知識もあったんだ。現代になったって、そこまでの人物はなかなかいないって僕は思うわけで……!」
「健太は本当にソロモン王のことが大好きなんだね?」
「はっ……! ご、ごめんっ……なんか色々話しちゃって……」
「いいよ。構わない」
我に帰って肩をすぼめる健太に、アーサーはひらりと手を振った。
「それだけ好きになれるっていうのは素敵なことだと思うよ?」
「そ、そうかな……?」
「うん。少なくともボクはそこまで知らなかったし」
「そういえばアーサーは『ソロモンの再来』って呼ばれるの、嫌ってるよね」
「重かったからね」
「え?」
健太がアーサーの方をまじまじと見ると、彼は少しだけ困ったように笑った。
「期待がね、重かったんだよ。当然のことなんだろうな、っていうのは分かってた。ボクが逆の立場なら期待しちゃってただろうし。それでもボクには重くて、息が出来なかった」
「アーサー……」
「そんな時だよ、スズに会ったのは」
アーサーが胸に手を当てて、思い出すように目を伏せた。
「悪食狼と一人で戦ってる時に、スズが助けてくれて。本気で心配してくれた。辛い時は逃げてもいいんだって、言ってくれた。それが、嬉しかったんだ……本当に嬉しかった」
だから。そう言ってアーサーがふわりと微笑む。
「スズはボクの恩人なんだ」
マリーが小さく息をついた。
「……まぁ、貴方にしては悪くない理由ですわね」
「そうかい?」
「だからって、スズに破廉恥なことをするのは許されませんけれど」
「……そうかい?」
「そうに決まってますわ!」
「ま、まぁまぁ! 二人とも!」
「なんだい!?」
「なんですの!?」
アーサーとマリーに同時に睨まれる。なんで僕がこんな目に……と健太は内心で冷や汗をかきながら、必死に頭を巡らせた。
「え、ええと……そう! スズといえばさ! ちょっと能力も変わってるよね!」
マリーが怪訝な顔をした。
「変わってる……? 魔物を食べるというだけの能力でしょう?」
「そ、そうなんだけど……ほら、スズの能力って貪食でしょ? 免疫系の細胞が持ってる能力なんだけど、本来、貪食っていうのは異物を食べる以外にも、食べた異物の抗原を他の免疫細胞に掲示する能力が、」
「健太……もしかして、それで話を誤魔化そうとするおつもりかしら?」
「うっ……そっ、それはっ……!」
「あ」
そこで、アーサーが小さく声を上げた。
健太とマリーは少し歩いて振り返る。
その時にはもう、アーサーは二人に背を向けて、来た道を走り始めていた。
健太は慌てて声をかける。
「ど、どうしたの!?」
「忘れてた……!」
「忘れてたって、何を!」
「スズの部屋、ボクが壊したんだった! 早く行ってボクの部屋に泊めてあげないと!」
「とっ、泊めるですって!?」
マリーがぎょっとしたように声を上げた。
「冗談じゃありませんわ! 年頃の男女が、同じ屋根の下で一夜を過ごすなんて……!」
何を想像したのか、マリーの顔がさっと赤くなる。
「こうしちゃいられませんわ! 早く私がスズを保護しないと……!」
「あっ、ちょっとマリーまで……!」
マリーがアーサーの背を追って駆け出す。
健太も慌てて二人を追いかけた。
夜といえども夏は夏だ。すぐに汗だくになる。
距離は、大したことはなかった。程なくしてたどり着く。
スズの住んでいる寮は改めて見てもひどい有様だ。
壁に大穴が空いているし、部屋の奥まで瓦礫が飛び散っている。
だが。
「……スズが、見当たりませんわね」
「そう、だね……っ……! 着いててもっ……いいはずなのに……っ」
「健太、これくらいで息上がってどうするんですの? もう少し鍛えなさい」
「ううっ……二人が早過ぎるんだよ……っ」
「どこかに行ってる、とか」
アーサーの硬い声が響いた。
食い入るようにスズの部屋を見つめるその横顔も、堅い。
ようやく息の整ってきた健太は、首を傾げた。
「自分の部屋が壊れてるから、ってこと?」
「うん。例えば、今日の夜だけ、どこかで過ごそうと思ったとか」
「ありえませんわ。自分の部屋が壊れてるんですのよ? それを放ってどこかに行くなんて……私なら先生に正直に言いますわ」
「それはキミの話だろう」
「あっ……でも、先生ってところはあってるんじゃないかな。そうじゃなかったら学園の校舎の中、とか」
「……保健室」
ぽつりとアーサーが呟く。
健太は頷いた。
「そうだね。あそこならベッドもあるし、夜も過ごしやすいんじゃないかな」
「先生はこの時間に保健室にいると思うかい?」
「シエラ先生のこと? さぁどうだろう……もう夜も遅いし、帰ってるんじゃ……ってアーサー?」
健太の返事も待たずに、アーサーが身を翻した。
またどこかへ歩き出そうとする。
しかしその腕を、今度はマリーが捕まえた。
「お待ちなさい! どこへ行くんですの?」
「保健室」
鬱陶しそうにアーサーが振り返る。
端正な顔に浮かぶのは明らかな焦りの色だ。
そのせいだろうか。胸が妙にざわついて、健太は顔をしかめる。
「どうしたの、アーサー? いきなり保健室に行くなんて」
「信用出来ない。あの先生」
「何を言ってますの? シエラ先生は、スズの事情もちゃんとご存知ですのよ? それにスズが困っているのなら、必ず助けてくれるはず、」
「それが胡散臭いんだ」
アーサーが低く呻いた。
「あの人、言ってることとやってることに矛盾が多すぎる」
「何が言いたいんですの?」
「スズが女だってわかった時、先生はボク達がスズの正体をもう知ってると思ってた、って言ってただろう」
「えぇ。それが?」
「でも、おかしいんだ。デパートでアイニを倒した直後、先生達が来ただろ? その時、スズだけ別のところで手当をしようって話になって」
「スズが女であることを隠すためでしょう」
「そう。ボクは知らなかったからね……でも、その時、先生はスズにこう言ってたんだ。まだ言ってないんでしょう? って。まるでボク達が、スズの秘密を知らないのを当然、って思ってるみたいに」
「……考え過ぎですわ」
「まだある」
マリーの柳眉が僅かに寄る。
だがアーサーの口は止まらない。
「スズの秘密を知っていたなら、スズがそれをどれだけ隠したいかも分かってたはずだ。じゃあなんで、ボク達がスズのいる部屋に入ろうとした時、止めなかったんだろう?」
健太は恐る恐る声を上げた。
「そ、それは偶然、じゃないのかな? そうじゃなきゃうっかり、とか」
「そう思うかい、健太? あんなに部屋が綺麗で、几帳面に薬品の出入りの記録をとってるのに?」
「人間なんだから、それくらいの間違いは……」
「じゃあデパートで戦った時、どうして先生はスズの血液の入った小瓶を持ってたんだろう? しかも狙ったみたいに、それを魔物に投げつけて」
「ちょ、ちょっと待って!」
健太はアーサーの言葉に耳を疑った。
「小瓶を魔物に投げつけた? 魔物が直接スズを攻撃したんじゃなくて?」
「健太の言う通りですわ! 実際に戦ってる時は、炎のせいでよく見えませんでしたけれど! 全体への説明の時の映像は、スズが魔物に襲われて……!」
「それが一番不可解な点さ」
アーサーが目を光らせた。
「学園の皆にシエラ先生が説明した時、映像が差し替えられていたんだ。嘘だと言うなら思い出してみて。魔物に襲われて、あんなに血が出たはずなのに、スズはどこも怪我してないだろう」
「そ、れは……」
健太の背に冷たいものが落ちる。
マリーも青い顔をして黙りこんだ。
そして腕を掴んでいたマリーの手を、アーサーは振り払って。
「……嫌な予感がするんだ」
低く呟いて、駆け出した。