一人だけ幸せになるなんて許さない
結局、学園に帰ってきたのは日付が変わる間際だった。別の場所にある寮に戻るアーサー達と別れて、一人学園の中を歩いていたスズは、はたと立ち止まる。
そういえば、寮の自分の部屋は、ミカエル達によって壊されたんだった。
「……保健室行くか……」
とりあえず寝てから考えよう。寝て起きたら何か変わってるかもしれないし。
……まさかそんな。自分で自分にツッコみながらスズは再び歩き始める。
考えるだけで胃が痛くなりそうだ。
そもそも壊したのは俺じゃないのに。アーサーだろう。正確にいうとアーサーの精霊だ。
一番、悪そうな顔をしていたのはミカエルだったけれど。
「……あれ?」
そこで、スズは再び立ち止まった。
校舎の一階の端、保健室の部屋の明かりがついている。
不思議に思いながら、鍵のかかっていない扉から校舎に入り、暗い廊下を進んだ。
やっぱり保健室の電気は点いている。
「シエラ先生?」
スズは、恐る恐る扉を開けた。昼のように明るい保健室の中で、シエラが椅子に座ったまま振り返る。
その表情はどことなく疲れきって見えた。
「遅かったわね」
「えっ?」
「今日の夜、来るように、って言ったでしょう?」
「あっ……す、すいません」
そういえば、とぼんやりと思い出して、スズは慌てて頭を下げた。
そんなスズを見てシエラはやっと表情を緩める。
「その顔だと、約束を覚えてたから来たって訳でもないのね。一体どうしたの?」
「えっと……いや、寮の部屋が壊れたっていうか、破壊されたっていうか」
「破壊された?」
シエラが目を丸くする。当然の反応だ。
スズは慌てて口を開いた。
「や、あの……っ、アーサーの精霊がなんか暴走しててっ、それでアーサーと逃げて……っ」
「精霊が暴走、ねぇ……やっぱりソロモンの再来君は規格外、ってことなのかしら……」
「あっ、でもそれは演技って、後からアーサーが言ってたんですけど」
「演技?」
「……そうしなきゃ、キミが会ってくれなかったから、って」
スズは目を伏せた。
「俺、嬉しかったんです。あいつ、女とか男とか、関係ないって言ってくれたから。あいつだけじゃない、その後マリーと健太も来てくれて……皆、友達だって、言ってくれたから」
「……そう」
「先生?」
シエラの返事がひどく冷たく聞こえて、スズは顔を上げた。
シエラは相変わらず長い足を組んで椅子に腰掛けている。白衣の裾から覗く白い肌は扇情的だ。いつもと同じ、微笑みも、優しくて、でも妖艶で。
なのに、ひどく不安を駆り立てられるのは何故なのだろう。
「スズは私との約束をすっぽかして、随分楽しい時間を過ごしていたみたいね」
「す、すいませ、」
「謝罪はいらないわ。ただそう……不公平って思っただけ」
「え……?」
「そんなに幸せそうな顔をしてるんなら、やっぱりあの時、捨てなければ良かったわ。あなたもそう思うでしょう? クロガネ」
「うん、そうだね、ママ」
突然、後ろの扉が勢い良く開かれる音がした。無邪気で、どこか歪んだ少年の声には聞き覚えがある。
スズは振り返った。
デパートを襲撃した、あのフードを被った少年がそこにいた。
「お、前……なんでここに……!」
「私が会って欲しいってお願いしたのよ」
「どういうことですか!?」
救いを求めてシエラの方を見た。しかし彼女はヒールを鳴らして立ち上がっただけだ。
敵がいるはずなのに、笑って見ているだけ。
「なん、だよ……何か言っ、」
後ろから腕を掴まれた。痛い。
「なにすんだ! 離せよ……!」
スズは少年の方を振り返る。腕を振り解こうとする。
が。
「この顔に見覚えは?」
「!?」
振り返った先で、少年が自らフードを脱ぐ。
その下から現れた顔にスズは目を見開いた。
見覚えがある、なんて話じゃない。髪は黒い。けれど。
「お、れ……?」
スズと瓜二つの顔をした少年は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そっくりだと思った? ふふっ、でもねぇ、違うんだなぁ。僕らはそっくりなんかじゃない。同じなのさ。見た目も、見えないところも、遺伝子の一つまで、ぜぇーんぶ一緒。これがどういう意味か分かる?」
ずきりと頭が痛んだ。スズは弱々しく首を振る。背中を冷たい汗が伝う。
嫌だ、聞きたくない。そう思うのにスズの体は動かず、少年の口だけが動く。
「僕達は造られたんだよ。僕達のママ、シエラ・クロウリーに」
少年が指差す。スズはつられて振り返る。
あぁ、どうして今まで忘れていたんだろう。
シエラのダークブラウンの髪。それは、あの雨の記憶に出てくる女と同じものだ。
その顔も、声も。
同じ、で。
「ねぇ、スズ。あなたは自分の役割を思い出すべきだわ……一人だけ幸せになるなんて許さない」
笑みを消してシエラが呟く。
直後、後頭部に鈍い衝撃が走って、スズの視界は暗くなった。