なにか、変なんだ
学園の大講堂にマイクを通した退屈な声が響く。学園中の生徒と教師が集まっているせいか、妙に熱気がこもっていた。そして緊張感も。
当然か。何の感慨もなくそう思って、アーサーは前を見やった。
巨大なスクリーンだ。ここ一週間の、街における魔物の被害の様子が映し出されている。
厄介なのは、今回の被害が人の住んでいる方の区域で発生していることだ。
街並みは破壊され、瓦礫で溢れている。映像のあちこちで、炎が燃え盛っている。
アーサー達の襲われたデパートを皮切りに、人の住んでいる地域が十数箇所、学園自体も三箇所。被害を淡々と読み上げて、壇上にいた学園長はスライドを切り替えた。
「そこで我々は、予定していた魔物掃討作戦を前倒しで行うこととなりました。魔物の出現する〈穴〉を塞ぐためには、近傍に出現している〈塔〉、および内部に存在する〈塔〉の主を倒す必要がある、ということは皆さんも授業で習っていると思いますが……」
「ちょっと、ぼんやりしないでくださる?」
ひそひそと声をかけられて、机に頬杖をついていたアーサーはやる気なく振り返った。後ろの席にマリーと健太が座っている。
「大事な作戦会議の最中ですのよ? そういう態度が全体の指揮に関わるんですわ」
「ちょ、ちょっとマリー」
健太がおろおろとマリーを止めようとする。それでもマリーはアーサーを睨みつけたままだ。
アーサーも眉根を寄せた。
「うるさいな……別にキミには関係ないだろ」
「大アリです。貴方は今回の作戦の要なんですのよ? 『ソロモンの再来』がいるからこそ、私達は〈塔〉の中に攻め込め、」
「その名前は好きじゃない」
「……アーサー」
深々とマリーがため息をついた。
「スズのことは私も驚いていますわ。まさか女だったなんて……」
マリーが憂いを帯びた声で呟く。健太も目を伏せた。皆思い出しているのだろう。自分だってそうだ。アーサーは息をつく。
思い出すのはスズが目覚めたと聞いて、保健室に飛んで行った四日前のことだ。
***
「まさかあなた達が知らなかったなんてね……」
シエラは椅子に腰掛けながら深々と溜息をついた。保健室には、アーサーの他に困惑した様子のマリーと健太がいる。
多分、自分も同じ顔をしてるんだろう。隣の部屋でやっと眠ったスズのことを思い、アーサーの胸の内は沈んだ。
スズの上げたか細い悲鳴と、怯えた顔つきが頭をついて離れない。
「うっかりしてたわ……あなた達、仲が良さそうだったから……てっきりスズの方から話してるのだと思ってた」
「それは……自分が女だ、ってことでしょうか」
健太が恐る恐るといった調子で問いかけると、シエラは一つ頷いた。
「まぁ、私以外の先生にもこのことは言ってなかったみたいだから、あなた達に言ってなくても不思議はないけどね……入学の時の書類も全部、誤魔化してたみたいだし」
「シエラ先生はなんで知ってらっしゃるんですの?」
「あの子、よく怪我をしてたから……診察の時に見てたのよ。最初に教えてもらったのは入学の時の血液検査の時だけど。マリーと健太もしたでしょう?」
頷く二人の後ろには、血液の入ったアンプルが並ぶ棚があった。美しく整頓された棚には、アンプルや薬品の出入記録の紙も貼り付けられている。
棚だけじゃなく、この部屋は何もかもが綺麗だった。綺麗すぎるほど手が行き届いている。
うっかりしてた、というシエラの発言が似合わないほど。
居心地が悪い。ぼんやりと思うアーサーの頭上を、マリーの声が通り過ぎて行く。
「それにしても……なんでスズは私達に秘密にしてたのでしょう?」
「……詳しくは知らないわ」
でも、もしかしたら昔、何かあったのかもね。そう言ったシエラの目は何故か少し遠くを見ていた。
***
「……なにか、変なんだ」
「どういうことですの?」
ぼそりと呟いたアーサーをマリーが不審そうに見やる。しかしアーサーがそれに応じる前に、壇上の声が変わった。
シエラだ。白衣を羽織り、真剣な表情で話し始める。
「それでは引き続いて報告いたします。先のデパートにおける魔物の襲撃ですが、二つのことが確認されました。まずは今回の〈塔〉の中にいる魔物の主について」
スクリーンの映像が切り替わる。画面一杯に映し出されたのは灰色のフードを被った少年だ。
「最初にデパートを襲撃したアイニが、この少年の手によって再度復活したのを確認しました。また、ここ一週間の魔物襲撃の際にも、この少年の姿は確認されています。このことから、恐らくは彼が、今回の〈塔〉における魔物の主であると考えられます。そして、」
シエラは一度、言葉を切って辺りを見回した。
「この少年と共に現れる魔物は、種類の如何に関わらず、精霊の攻撃が無効化されるという現象が確認されています。この原因については未だ調査中ですが、対処法についての仮説がありますので、この場を借りてご説明いたします」
「え……」
健太が小さく声を上げた。マリーも驚いたようにスクリーンを見つめている。
そこにはスズの写真とデパートでの戦いが映し出されていた。
スズが巨大な戯れ猫に攻撃される。その腕から血が吹き出す。しかしその血液が戯れ猫に触れた瞬間、戯れ猫の体は砂のように崩れていく――
「魔物が我々の攻撃を無効化する際には、魔物に触れた部分から砂のように精霊の攻撃が消滅します。しかし、こちらの生徒の血液が付着すると、それとは全く逆の現象、すなわち、我々が魔物の攻撃を無効化できるということが確認されました。このことから、この生徒の血液が今回の作戦の要の一つになると考えられ……」
シエラの言葉は淡々と続く。
アーサーはそんな彼女をじっと見つめていた。
***
「よくやったわね」
真っ暗な〈塔〉の部屋に無感動な女の声が響く。
それに、クロガネは勢い良く笑顔で頷いた。彼が見つめる先には、大人の大きさほどの巨大な丸い鏡が置かれている。
僅かにぼやけた鏡面には、声の主である女の姿がぼんやりと浮かんでいた。
「そうだよね! 僕、がんばったんだ! 特にこの前のデパートで戦った時とか! ママの言いつけ通りに出来てたでしょ?」
「えぇ、完璧だったわ。フードでちゃんと顔をも隠していたし。今度会った時はご褒美をあげましょう」
「本当!? あっ、でも……ママ、今度はいつ帰ってくるの?」
「なんとも言えないわ。こっちも忙しいのよ」
「そ……っか……」
クロガネはほんの少し顔を俯けた。すぐさま女がため息をつく。
慌てて彼は顔を上げた。
「だ、大丈夫だよ! 僕、我慢できるもん!」
「…………」
「僕はいい子でしょ? 何でも言ってよ! ちゃんとママの言う通りするから!」
「じゃあいつ帰ってくるか、なんて訊かないで。鬱陶しいわ」
「うん! 言わない! 勿論だよ! 言わないから……」
クロガネは精一杯の笑みを浮かべた。
ぎゅっと服の裾を握りしめる。
「ねぇ、ママ……僕はいらない子じゃないよね?」
「あらあらぁ、ローランじゃないの! 元気にしてた!?」
返ってきたのは打って変わってはしゃいだ声だった。
はっとしてクロガネが振り返れば、部屋の奥から青年――ローランが気まずそうに顔を出しているのが見える。
その胸元で、赤い宝石のついたペンダントが揺れた。
「あ、えっと、久しぶり」
「そんなに畏まらないでいいのよ! もっとこっちに来て頂戴……あら、少し痩せたんじゃないの?」
「えーうーん、どうなんだろうね?」
「貴方って子は本当に自分のことに構わなさすぎるんだから! 何かあったら連絡なさいよ? すぐにでも飛んで行くんだから」
「うん、まぁ心配しすぎないで……」
「あぁそれよりローラン、聞いて! もうすぐ貴方をこの〈塔〉から自由にしてあげられそうなの……!」
ローランが、クロガネの方へちらりと視線を送ってくる。
同情するような目つきだ。それがクロガネの中のプライドを大いに傷つけて。
「っ……」
クロガネは唇を噛み締めて、身を翻した。足音高く二人の元を去る。
それでもきっと、気づくのはローランだけで、彼女は微塵もそのことに気づかないに違いない。
……どうして僕を見てくれないの。
そう思ってしまって、クロガネの足は自然と止まる。
「く、クロちゃん」
立ち並ぶ柱の影から、おどおどとアイニが姿を現した。人型に戻ってはいたが、クロガネよりもずいぶん小さい、子供のような姿をしている。
スズに消された分の炎が戻ってきていないのだ。
「大丈夫ぅ……?」
「…………」
「あの女の言うことなんか気にしなくていいわよぅ! 今回のことだって、結局は全部クロちゃんが頑張ったんだしぃ! そもそもあの女だって、偉そうに言うだけで何もしてないんだしぃ!」
「……うるさい」
「ひっ」
クロガネはアイニの腕を掴んで睨みつけた。彼女は怯えたように体を震わせる。
「でっ、でもぉ……!」
「魔物(お前ら)に認められるんじゃ意味が無いんだ……ママに認めてもらわなきゃ……ママに……」
「クロちゃん……」
……もっといい子にならなきゃ。
あいつみたいに、捨てられるのはごめんだ。
ぼそりと呟いて、クロガネは乱暴にアイニを突き放した。背後で、彼女が何かを言っている。
けれど、ふらりと歩き出したクロガネの耳には少しだって入らなかった。