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ソロモンズ リング -gold of King, silver of Ring-  作者: 湊波
第三章 戯れ猫 ― Her Reason ―
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『   』なんて要らないんだよ

 雨の中、彼女が去ろうとしていた。

 コート代わりの白衣を揺らし、傘をほんのすこし傾けている。

 それを追いかけたい自分がいて。なのに、体が動かない。雨を吸った体は重い。冷たい。寂しい。悲しい。想いばかりが空回る。

 かあさん。結局転がり出てきた言葉はそれだけで。


「スズ」


 返事があった。待ち望んだ声にスズは顔を跳ね上げる。彼女が振り向いてくれたのか。そう思って。けれど。


「な……!?」


 見えたのは、視界いっぱいに広がる炎だった。彼女の背が炎の中に揺らめいて消える。狂ったような少年の笑い声が聞こえてくる。獣の唸り声も。

 炎が揺らめいて、見覚えのある人影が見えた。


「アーサー……」

「……スズ、どうしてボク達を助けてくれなかったの」


 ねぇ、どうして。彼はそう言った。そこにいつものような笑みはない。

 憎々しげに顔を歪めている。

 スズを睨みつけて、その唇が動く。




「キミは出来損ないだ。『   』なんて要らないんだよ」




***


 スズは悲鳴を上げて飛び起きた。体を掴まれる。それが嫌で、喚きながら拘束から逃れようとして。


「落ち着いて!」

「っ……!?」


 突然、声がクリアに聞こえた。

 悲鳴のような声。

 スズはピタリと動きを止める。


「せ、んせい……?」


 荒い息のまま、おずおずと顔を上げる。ほっとしたようなシエラの顔がそこにあった。

 ゆるゆると辺りを見回せば、どうやら自分がベッドの上に座っているらしいことに気づく。


「良かった……落ち着いた?」

「ここは……」

「保健室よ。大丈夫。もう、戦いは終わったから……何か飲む?」


 シエラの髪がスズの頬を掠めて、ぬくもりが離れる。陶器の擦れる音がして、ほんのりと湯気の上がったピンクのマグカップが差し出された。


「どうぞ」

「あ、りがとうございます」


 まだぼんやりした頭で、スズはそれを受け取った。じわりとぬくもりが染みる。それでようやく自分の体が冷えきっていたことに気づく。

 向かいの椅子に座ったシエラは安心したように息をついた。


「本当によかったわ……三日間も目を覚まさなかったんだから」

「三日間って……そうだ、アーサー達は!?」

「安心して。皆、怪我は思ったより軽かったの。もう普通に授業に出てるわ」


 ほっとスズは息をついた。そんなスズを見て、シエラは組んだ膝の上に頬杖をつく。


「魔物が私に襲いかかろうとしたのは覚えてる? そしたら突然、目の前で魔物の頭が砂みたいに粉々になって消えてしまって」

「粉々に?」

「そう、私も驚いたわ。敵の方も予想外だったみたいだしね。その後すぐに、仲間の魔物と一緒に引き上げていったから、こっちとしてはありがたかったんだけど……あら、腑に落ちない顔してるわね」

「だって……」

「なんで奴らが去っていったのか、知りたい?」

「分かるんですか!?」


 スズがシエラの方へ身を乗り出す。

 彼女は困ったように笑った。


「知ってるわけじゃないわ。ただ仮説だけ……えぇでもそうね、これが本当ならスズが皆を救えるかも」


 意味深な言葉にスズが目を瞬かせる。

 しかしシエラは含み笑いを浮かべただけだった。


「まぁ、この話はもう少しスズの体調が良くなってからにしましょう」


 お薬取ってくるから、その間に着替えてしまいなさい。そう言って、スズからマグカップを取り上げたシエラは、仮眠室から出て行った。

 軽い音を立てて扉が閉まる。



 スズは一つ息をついた。

 少しばかりよろめきながらも、ベッドから降りて立ち上がる。

 衣擦れの音を響かせて服を脱ぐ。

 サイドテーブルに置いてあった新しい制服を取りあげる。

 その影から写真立てが見えた。

 今より少し若いシエラと、スズと同い年くらいの茶髪の少年が写っている。少年の顔は見覚えがあった。前にシエラが見せてくれた写真と同じだ。

 ローランっていうのよ。自分の息子の名前を、愛おしげにシエラが呼んでいたのを思い出した。今は離れて住んでるけど、いつか一緒に暮らすのが夢なの。そう言っていたことも。

 それが眩しくて、羨ましくて……胸が痛かった。

 スズの指先が微かに震える。服が指先をすり抜けて床に落ちる。

 部屋の片隅の姿見。そこに自分の姿が映った。


 ――あなたは、出来損ないなのよ。


「っ……」


 耳の奥で響いた女の声に、スズは体を固まらせた。

 嫌だ。そう思うのに鏡から目を逸らせなくなる。

 窓の外からの日差しは柔らかい。外からは小鳥の鳴き声が聞こえてくる。あの戦いが嘘みたいに静かだ。けれどその静けさがかえって辛かった。

 あの雨の音が聞こえてきそうだ。無意識の内にぎゅっと体を抱きしめる。

 怖い。怖かった。

 鏡を見るのは嫌いだ。こんな体だから捨てられたのだと、見る度に思い知らされるから。もしかしたらまた捨てられるのかもしれないと思ってしまうから。

 息が、自然と荒くなる。背中に嫌な汗が伝う。ふと思い出したのは、さっきの夢の中に出てきたアーサーの姿だ。

 アーサー。天然で、少し強引で、ちょっとどころか大いに変で……大切な、友達。

 アーサーだけじゃない。マリーも健太も。このことを知ればどんな顔をするのだろう。



「出来損ないって、言うに決まってるだろ」



 そう言ったのは、鏡の中から見つめ返してくる自分自身だった。意地悪く笑う。その笑い方は、あのアイニを連れていた少年にひどく似ている。


「や……めろ……」


 スズは首をゆるゆると横にふる。

 それでも鏡の中の彼は言葉を続ける。


「それからこう言うんだ」

「やめろって……」

「出来損ないはいらない、って。そうだよなぁ、あの人が望んでたのは男で、なのにお前は、」

「やめろ!」


 鏡の中の笑う自分がかき消える。彼の言葉も途中で消える。

 けれど鏡の中の言葉の続きは、すぐ後ろから聞こえてきた。




「お、んな……?」




 ぽつりと響いた言葉にスズは振り返る。

 半開きの扉。そこに目を丸くしたアーサーとマリー、健太が見えて。


 ――あなたは、出来損ないなのよ。女なんて、要らないの。


 雨の中の女の言葉が、耳の中で響き渡る。

 スズは青ざめて、悲鳴を上げた。

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