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ソロモンズ リング -gold of King, silver of Ring-  作者: 湊波
第三章 戯れ猫 ― Her Reason ―
15/31

負け犬

 白煙が巻き起こる。その中からゆらりと人影が現れる。

 スズと同い年くらいの少女だ。栗色の長い髪とロングスカートの裾が爆風に揺れる。見事な装飾の成された杖を、地面についている。

 傍らには彼女のものとおぼしき精霊が見えた。水で出来たわしだ。

 スズと少女の目があった。

 途端、少女はスズを睨みつけてきて。

 そこでアーサーが声を上げた。


「わっ、スズっ、前!」

「へっ……!? ミトラ、ストップストップ!」


 前方に、人影。背の低い少年だ。スズの声に慌ててミトラが立ち止まろうとする。

 が、間に合わない。

 少年にぶつかる。


「お、おい……! 大丈夫か!?」


 スズが飛び降りるのと、少年がミトラの下から出てくるのは同時だった。

 背の低い少年は学園の学生服を着ている。


「健太! 何をしておりますの!?」


 背後から、あの少女の険悪な声が飛んできた。

 少年はずり落ちた眼鏡をそそくさと押し上げて応じる。


「い、今行くよ! マリー!」


 マリー。それがあの少女の名前だろうか。スズ達が呆気にとられる間にも、立ち上がった背の低い少年、健太が一つ頭を下げた。


「え、えっと、はじめまして。第三学年の渡瀬健太です。あっちにいるのは西園寺マリー。学園規定第三十五条に従い、魔物の討伐に来ました」

「ちょ、ちょっと待てよ! あれと戦うのか!?」

「ご心配なく。貴方は戦う必要などありませんわ、第二学年の雑魚専さん」


 スズの声に応じたのは馬鹿にしたようなマリーの声だ。

 スズが振り返って顔をしかめれば、彼女は小さく鼻を鳴らす。


「貴方のことは、かねがね噂に聞いておりましてよ? 低級の魔物しか狙わない、向上心のない生徒だと。そんな態度だから、このような戦いで苦戦するのではなくて?」

「っ……じゃあ、お前らなら、なんとか出来るのかよ?」

「出来るかどうかではありませんわ」


 マリーは目を閉じ、緩やかに杖を持ち上げた。


「やるんですのよ」


 杖が軽やかな音を立てて地面につけられる。

 マリーの周囲に突如現れる水の壁。それが白煙の影から飛び出してきた戯れ(ハボリュム)を弾き飛ばした。


「サキエル、鎮めなさい!」

「はい、マスター」


 不思議な響きを持った女性の声がして、サキエルと呼ばれた鷲が飛び立った。羽ばたく。それだけで水が生まれる。 大量の水だ。給水塔からの水量とは比べ物にならない。

 炎に水がかき消される。

 炎は再び生まれることはない。

 マリーは微かに笑みを浮かべた。


「流石、健太の言う通りですわね!」

「どういうことだ……?」

「大切なのは大量の水、です」


 アーサーの声に健太が丁寧に応じる。

 じっとマリーの方を見つめる視線は真剣そのものだ。


「特に、今回に限っては普通の水で大丈夫なんです。今いる魔物はアイニですよね? その性状は炎と増殖ですから……対病原体理論に基づいて考えると、癌と同じ、という結論になります」

「癌?」

「アイニの使い魔である戯れ猫は炎から生まれます。炎が少しでも残っていれば、そこから増えて、再び元の体を形成できる。癌だって同じです。取りきれなければ、転移したり、再発する。だから、癌を治すためには、癌そのものを完全に取り除く必要がある」

「そうか……大量の水を一度にかけて、元となる炎を消す必要がある、と」

「はい……ってすいません、なんか偉そうに言ってしまって」


 はっとしたように健太は頭を下げた。


「僕はマリーと一緒に本体であるアイニを探してきます。二人はこのまま避難してください」

「足手まとい、ってか?」


 スズの低い声に、健太は目を瞬かせた。


「えっ……そんなことは思ってませんけど」

「気にすることはありませんわ、健太」


 周囲一面を水浸しにしたマリーが、鼻先で笑った。


「卑屈にとるということは、自覚があるということですもの」

「う、うるさいな!」

「事実でしょう? 悔しければ行動で示してはいかがかしら?」

「それは……」


 スズは拳を握りしめて顔を俯ける。

 俺は、お前たちとは違う。

 そんなスズの思いを読み取ったみたいだった。

 マリーが目を細める。


「負け犬」


 一言だ。たった一言。

 だが、そのたった一言でスズの中の何かが音を立てて、切れる。


「っ……ふざ、けんなっ!」


 スズがそう言ったのと、ミトラがマリーに向かって飛び出したのは同時だった。

 健太が悲鳴を上げる。マリーは驚いたように目を見開く。

 そしてミトラは――マリーの背後から飛び出した悪食狼(オリヴィエル)に噛みついた。


「っ、なんですの……きゃっ!?」


 スズはマリーを引き寄せた。胸の内で抱きとめる。ちょうどマリーの立っていた場所に噛みちぎられた悪食狼の上半身が落ちた。


「なっ、なっ……」

「雑魚専だの負け犬だのうるせぇんだよ! お前もミカエルも……! 俺だって好きで逃げてる訳じゃねぇし! でもこれしか出来ないんだからしょうがないだろ!」

「な、何を言ってますの!?」

「だから!」


 マリーを立たせる。そうしてスズはマリーに人差し指を突きつけた。


「お前らは好きなようにアイニと戦えよ! 俺は悪食狼の相手をしてるさ! 雑魚専らしくな!」

「っ、な……」

「なんだよ、アイニと戦うのが怖くなったのか?」


 やけくそで、半笑いになりながらスズが尋ねれば、マリーはさっと顔を赤くした。


「そ、そんな訳ないでしょう! 馬鹿にしないで! 貴方が突拍子もないことを言うから驚いただけですもの!」

「だったらとっととアイニを倒しに行けばいいだろ?」

「当然ですわ! 貴方こそ、悪食狼を私達の方へ寄越さないようになさい!」

「雑魚専なめんな! 言われなくてもそのつもりだよ!」

「健太、行きますわよ!」

「あ、う、うん!」


 足音高く歩き始めたマリーを慌てて健太は追いかけていった。

 二人が向かうのは燃え盛る屋上の方だ。

 その背を睨みつけ、スズは鼻息荒く声を荒げる。


「俺達も行くぞ!」

「……っ、ふふっ」


 返事の代わりに返って来たのはアーサーの押し殺したような笑い声だった。

 スズは顔をしかめる。


「なにがおかしいんだよ?」

「いや……そうだな、なんか楽しくなっちゃって」

「はぁ? 俺は真面目で」

「うん、それは分かってる」


 アーサーがやけに自信満々に頷いた。

 それが何となく気に食わなくて、スズが唇をとがらせると、彼はまた少し笑ってから口を開く。


「ねぇ、訊いていいかな」

「なんだよ」

「さっきは逃げようって言ってたじゃないか。どうして今度は助けようって思ったんだい?」

「別に助けたいって思った訳じゃねぇし」

「そうなの?」

「……腹が立ったんだよ」


 ミトラの背に飛び乗りながらスズはぶっきらぼうに言葉を続けた。


「確かに俺は雑魚しか倒せねぇけどさ、俺は俺の出来る範囲で精一杯やってんの。それを馬鹿にされる筋合いはねぇって思っただけ」

「…………」

「おかしいと思うか?」

「……ううん」


 ちらりとスズが視線を送った先で、アーサーが緩く首を振る。


「素敵な考えだと思う。うん、ボクにも是非協力させてほしいな」

「協力?」

「マリーだって健太と力をあわせて戦ってるじゃないか。スズだけ一人で戦うのは不公平だよ」


 だからボクも一緒に戦う。そう言って、アーサーもまたミトラの背に飛び乗った。


***


 屋上では炎と水が入り乱れていた。

 スズにとって幸運だったのは、そのおかげで悪食狼(オリヴィエル)が一匹ずつでしか襲いかかってこなかったことだ。群れでは恐ろしい悪食狼も一匹ずつならば何の脅威もない。

 スズ達を背に乗せ、唸り声を上げたミトラは次々と悪食狼を狩っていく。


「ミトラ、次はその奥だ!」

「スズ、伏せて!」


 アーサーの声にスズは素早く身を屈めた。

 頭上から響く悪食狼の唸り声……それが耳障りな音と共に途中で情けない悲鳴に変わる。

 降り注ぐ鮮血。


「ごめんスズ、浅かった……!」

「いや、十分だ! ミトラ行け!」


 赤い刃の短剣を握ったアーサーが呻く。それ応じながらスズはミトラの背を叩いた。

 ふらつく悪食狼にミトラが襲いかかり、瞬く間に息の根を止める。


「やった……!」

「気を抜くな! さっきの奴狙うぞ!」


 アーサーに釘を差しながらも、スズも少しだけ頬がゆるむのを抑えきれなかった。

 やりやすい。そう思ったからだ。アーサーがいてくれるだけで、スズ自身に向かってくる攻撃を気にせずに、周りの状況を見ることが出来る。

 そこで、周囲の炎が苛立ったように大きくうねった。

 アイニの声が響く。


「なんなのよぉ、この水!」

「観念なさい」


 マリーの凛とした声に、炎が揺らめく。

 そこから顔を歪めたアイニが姿を現した。


「この小娘……っ!」

「いい加減に負けを認めてはいかが?」


 マリーは、悠然と微笑んで付け足した。


「貴方と私では相性が悪すぎますのよ。大人しく負けを認めれば、」

「負けなんて……負けなんて認めないわよぉ!」


 アイニの背後から炎が吹き上がった。

 今まで見たどんな炎よりも熱く、激しい。

 アイニの声とも悲鳴ともつかない声が響き渡る。

 呼応するように燃え上がった炎は、マリーに殺到する。

 けれど。


「勘違いなさらないで――負けを認めても、私は貴方を許す気などさらさらありませんわ」


 マリーは地面を杖で叩いた。

 サキエルが一際高い鳴き声を上げる。彼女の肩から飛び立つ。

 水を纏ってサキエルは弾丸のごとくアイニに突撃した。 

 大量の水と大量の炎。拮抗して見えたのは一瞬だ。

 水が炎を飲み込む。その中で、アイニの胸をサキエルが貫く。


 衝撃のような音。一拍遅れて辺り一面が白煙で覆われる。水が全て気化する。

 それでも――炎は全て消えた。


「……終わった、のか……?」

「当然ですわ」


 ミトラの背から飛び降りたスズに、マリーが足音高く近づいてきた。

 その表情は厳しくて、スズは思わず後ずさる。


「っ、な、なんだよ……」

「手」

「は?」

「だから、手をお出しなさい!」


 反射的にスズは手を差し出した。その手をマリーはしっかりと握る。


「痛っ……なにすんだよ!?」

「失礼ですわね! なにしてるか分かりませんの!?」

「はぁ? 分かるわけないだろ!?」

「わ、分かるわけないだなんて……! 私が折角、お……おっ……」

「お?」

「お礼が、言いたいんだよね。マリーは」


 助け舟を出したのは健太だった。顔を真っ赤にしてマリーが口ごもる。


「お、お礼って……」


 スズの言葉に返事はない。マリーはツンとしてそっぽを向く。健太はそんな彼女を見て、申し訳無さそうにスズに頭を下げる。


「えええ?」


 疑問符を躍らせるスズの掌に、ミトラが嬉しげに湿った鼻先を擦りつけてから消えた。

 傍らに立ったアーサーはスズを見て微笑む。


「良かったね、スズ」

「よ、良かったって……」

「おい、お前ら! 大丈夫か!?」


 そこで青空の下、一ノ瀬の声が響いた。シエラも一緒だ。

 マリーと健太が一の瀬に向かって話し始める。そしてシエラは、


「皆、無事ね! 安心したわ!」

「うわっぷ!?」


 思い切りスズを抱きしめた。柔らかくて暖かい胸元。そこから顔を真っ赤にしてスズは体を突き放す。


「し、シエラ先生っ……!」

「あらあらぁ? このままでも良かったのに。なんならこの先までいくのも構わな、」

「な、何言ってるんですか!?」


 スズがあわあわと反論すれば、シエラはにっこりと微笑んだ。


「ふふっ、冗談よ。さぁ、とりあえず怪我がないかどうかだけ確認させて?」

「怪我なんて大げさですよ、先生。別に俺は、」

「いいからいいから。とりあえずスズからにしましょう……そうね、服を脱ぐから、あっちの見えないところに行った方がいいかしら。まだ言ってないんでしょう?」


 シエラがアーサーの方をちらりと見る。スズは慌てて首を縦に振った。

 アーサーが小首を傾げる。


「スズ? 言ってないって何をだい?」

「っ、お前には関係な、」




「見ぃつけた」




 そこで少年の声が青空に響いた。無邪気で明るい。なのに、どこか絡みつくような声。

 スズ達は弾かれたように顔を上げる。

 宙空。なにもないはずのそこに、一人の少年が浮かんでいた。

 頭から灰色のフードをすっぽり被っている。

 顔はよく見えない。

 だが、その口元は笑みを浮かべている。

 歪んだ微笑みを。


「――アイニ、いつまで寝てるの?」


 少年が歌うように口を動かす。その瞬間、何もないはずの空に、紅の魔法陣が現れる。

 魔法陣に描かれているのは、矢印のような文様だ。

 それが激しく瞬き、人の大きさほどもある炎が突如として生まれて。

 急速に膨らんだ炎が、爆発した。

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