<塔>の主、魔物の王
「や~ん、クロガネ、聞いてよぅ~」
真っ黒な床、真っ黒な壁、果ての知れないほど高く暗い天井。無機質な部屋に甲高い女の声が響く。
真っ赤な女だった。
すらりとした体を露出の多い赤い布が包んでいる。
燃えるような赤い長髪に、同じ色の瞳。そして額に生える、一対のねじ曲がった角。
「ねーぇ、クロガネ」
「なに? アイニ」
女――アイニの声に応じたのはフードを被った人影だった。クロガネと呼ばれた彼は擦り寄るアイニの頭を撫でる。
「あのねぇ、あたしのネコちゃんが倒されちゃったのよぅ」
「ネコ……あぁ、戯れ猫かい?」
「そうよ~ぅ。クロガネの言った通りに狙ったのにぃ、精霊が邪魔してきてぇ」
「へぇ……流石は『ソロモンの再来』ってことかな」
「笑ってる場合じゃないわよぅ」
すん、とアイニは鼻を鳴らした。
「あたしもう、悔しくて悲しいんだからぁ」
「じゃあ、リベンジする?」
「できるのぉ?」
「もちろん。ママから情報は入ってきてるしね……次のタイミングがあれば僕もアイニと一緒に行くよ?」
「嬉しい! クロガネが行くなら間違いないわぁ!」
ぱっと顔を輝かせてアイニが抱きつく。クロガネはくすくすと笑った。
その時だ。
「ふうん、クロガネも行くんだ」
軽い調子の声にクロガネは顔をしかめて振り向いた。
部屋に設けられた唯一の窓の方だ。
窓枠に背を預けて、一人の青年が立っている。ダークブラウンの髪。同じ色の瞳には面白がるような光が浮かんでいる。
その胸元で揺れるのは、赤い宝石のついたペンダント。
〈塔〉に囚われた、〈塔〉の主の証。
「羨ましい限りだ。俺だって外に行きたいのにさ」
肩をすくめて青年が呟く。
クロガネは低い声で呻いた。
「お前は馬鹿か? 〈塔〉の主は外に出られない」
「だからこそのお前だろ? クロガネ」
クロガネは青年を睨みつけた。
「ママに選ばれて〈塔〉から出るのは僕の方だ。ローラン、お前じゃない」
「はっ、その肝心のママは俺にご執心だけどな」
「……ママだってじきに僕の方が優秀だって気付く」
「そうよ、クロガネの方があんたなんかよりずーっと素敵なんだからぁ!」
アイニが青年に向かって舌を出す。彼女に同意するように、部屋の暗がりのあちこちから獣のような唸り声や人の声ともつかぬ声がした。
だが青年は大げさに体を震わせただけだ。
「おぉ怖っ……冗談だってのにさ……」
「クロガネはあんたなんかに構ってる暇ないの! 大人しく塔に閉じ込められてればぁ!?」
「へいへい、分かりましたよって……ったく……」
アイニに睨まれた青年は、ぶつぶつ呟きながら、ふらりと暗がりに消える。
所詮、彼はこの〈塔〉が存在するためだけに必要なお飾りなのだ。
魔物は全てクロガネを慕っている。
一人なのはローランで、自分ではない。
決して。
いい気味だ。
暗闇に消える青年の背に吐き捨てて、クロガネは小さく笑みを浮かべる。
「さぁ、じゃあ迎えに行こうか」
窓の外を見つめ、彼は呟いた。見えるのは、遥か下に広がる荒れ果てた街の跡。
〈塔〉から覗く世界は、暗闇の中で雨に濡れていた。