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ソロモンズ リング -gold of King, silver of Ring-  作者: 湊波
第二章 雑魚専 ―H__ Reason―
10/31

なんでそこまでして謝るんだよ

***


 雨が全身を叩いていた。


「…………」


 地面に這いつくばったまま、頭だけ上げる。空は灰色。雫がいくつもいくつも落ちてくる。それが地面を叩いて、辺り一面を薄くけぶらせていた。

 空が泣いている。大泣きだ。

 泣きたいのはこっちの方なのに。

 顔を俯けた。体中が冷たい。寒い。もう、少しだって体は動かなかった。

 このまま何も感じなくなって、何も見えなくなって、何も聞こえなくなれば、自分は消えてしまえるのだろうか。降り注ぐ雫に溶けてしまうことが出来るだろうか。

 それは、ひどく素敵な考えに思えた。

 けれど。



――あなたは、出来損ないなのよ。『   』なんて、要らないの。



「……ぁさん……」


 掠れた声で呟く。記憶の中の人影は傘を揺らして去っていく。止めることなんて出来ない。それが悲しくて。



 もう自分は、誰の特別にも、なれない。雨にも溶けないその刺だけが、胸に刺さって、痛かった。



***


 雨が窓を叩く音がしてスズは目を覚ました。部屋はひどく暗い。

 仮眠室の壁にかけられたデジタル時計が静かに十九時を示す。

 時計のすぐ下に設けられた姿見の中で、スズの顔がしかめられる。

 嫌な夢だった。おまけに中途半端に眠ったせいか頭が痛い。最悪な気分のままスズはベットから降りて部屋を出る。

 保健室は暗かった。シエラの姿も一ノ瀬の姿もない。もう随分遅い時間だ。二人が帰っていたとしても不思議はなかった。うっかり眠ってしまったスズをそっとしておいてくれたのは二人なりの優しさなのか。

 ……俺も、帰らなきゃ。胸の内だけで呟いて、スズはふらりと廊下に足を踏み出す。

 なおざりに手を離した扉が音を立ててしまった。

 廊下も薄暗くなっていた。長い廊下をのろのろと歩く。人気はない。ただ時折、灯りの点いている教室がある。そこから部活終わりの生徒のものらしい楽しげな笑い声がするだけだ。

自分はただ一人、廊下を歩くだけ。


「…………」


 スズは小さく息を詰めて足を早めた。

 謝らなきゃ。アーサーに。現実から逃れるように考える。

 スズの方からアーサーの精霊であるミカエルを殴ってしまったのだ。幾らミカエルが散々な言いようだったとはいえ、殴った挙句に逃走は明らかに自分の方が悪い。

 それに……胸の内だけで付け足してスズは顔を俯ける。

 正確にはミカエルの言葉で怒ったわけじゃない。出来損ないと、いう言葉が、雨の中の記憶の言葉を重なったからだ。

 唯一スズの覚えている、けれど一番忘れてしまいたい、過去を思い出させたから。

 身勝手な理由だ。現実はミカエルの言う通り、出来損ないと言われてもおかしくないほど弱いのに。

 結局は、ただの八つ当たり。

 だからこそ謝らなければ。

 ……でも、謝ったところでアーサーは許してくれるだろうか。

 玄関の、下駄箱。灯り一つ無い夜闇の中でスズは足を止める。

 もしも……もしもアーサーが許してくれなかったら? 身勝手な人間は嫌いだと言ったら? そもそも、アーサーのところから逃げ出して時間も随分経っているのだ。

 もう、スズのことなんかどうでも良くなって、他の人と仲良くなっているのだとしたら?


「っ……」


 自分の想像に自分で嫌になる。乱暴に靴を履き替える。

 右腕がずきりと痛む。

 外からは雨の音がする。

 それを全部無視して、玄関から外に飛び出して、駆け出そうとして。

 雨の中、スズは固まった。


「…………お前、何してんの」


 見慣れた人影が雨に打たれて立っていた。金髪に白い肌。青い瞳の彼は、スズを見るなりにこりと微笑む。


「待ってたんだよ」

「は?」

「スズに謝ろうと思ったからさ」

「謝るって……なんで?」

「ミカエルがスズに失礼なことを言っただろう?」

「そ、そんなの、お前が謝らなくていいだろ! 色々言ってきたのはミカエルな訳だし……そもそも俺がかっとなって殴った事の方がよっぽど悪いし」

「スズは悪くないよ」

「そんなこと言ったって、」

「ボクの精霊が失礼なことを言ったのがそもそもの原因なんだ。それに……ボクがそれを制御できなかったことも」

「…………」

「だから……ごめん」


 髪を頬に張り付かせたまま、アーサーが頭を下げる。雨の音。かすかに香る濡れた地面の匂い。静かな世界でスズはじっとアーサーを見つめて。

 唇を小さく震わせた。


「……ず、っと」

「え?」

「ずっと、ここで待ってたのか?」

「そう、だけど……」


 そろりと上げられたアーサーの顔には不安の色が張り付いていた。

 その表情は全く彼らしくない。もっと馬鹿っぽく笑ってればいいのだ。知り合って、まだ一週間も経ってないけれど、それくらいのことはスズにだって分かる。

 そして、アーサーがそんな表情をする原因が自分にあるということも。


「……っ、とりあえずお前、一回こっち来い」

「えっ、でも」

「いいから」


 生ぬるい雨に構わず、スズはアーサーの腕を引っ張って歩き出した。

 程なくして見えるのは、学園の敷地内に建てられた古い寮だ。

 木造の寮に入り、薄暗い廊下を駆け抜け、自分の部屋に戻る。

 引き出しからタオルを出す。

 呆けたように入り口で立ち止まるアーサーに向かって放り投げた。


「えっと……」

「いいから拭けって。お前が風邪引いたらこっちだって後味悪いんだ」

「あ、ありがとう」


 アーサーの控えめな声がした。スズは急いで背を向ける。雨が窓を叩く音に混じって、彼が微かに体を拭く音がする。

 少ししてから、アーサーに背を向けたまま、ぶっきらぼうにスズは呟いた。


「ったく……本当お前は馬鹿だよ。普通、雨降ったらやめるじゃん。それか傘差すとかさ」

「うん」

「そもそもさ、謝る必要ねぇんだよ。精霊が制御できないって話は珍しくないし」

「うん」

「学園とか行ったことなかったんだろ? そういうのもこれから勉強すればいいわけだしさ」

「うん」

「だからやっぱ悪いのはお前じゃなくてお前の精霊とか俺とかで……なのにさ」


 床を見つめながら、一つ息を吸って吐いた。


「……なのに、なんでそこまでして謝るんだよ」

「友達になりたいから」


 当然のように返ってきた言葉にスズはハッとして振り返った。アーサーはタオルを片手に、やっぱり部屋の入口に立っている。

 それでもさっきとは違って、少しだけ笑っている。


「友達に嫌な思いをさせたら、謝るのは当然のことだろう?」

「……友、達」


 それは、何の変哲もない言葉だった。

 何も……少しだって特別じゃない。

 けれど、確かにスズの胸の中で響いて。

 雨に濡れた冷たい体に、じわりと染みて。

 スズは小さく顔を俯ける。アーサーは多分、まだ笑ってるんだろう。

 それがほんの少し悔しくて、でも、嬉しくて、だからスズは唇を動かした。


「……その顔、ムカつく」

「えぇ? でも人と話す時はまず笑顔で、って言うじゃないか」

「お前のはなんかヘンなんだよ」

「そうかなぁ……じゃあこう?」

「……それはもっとヘン」


 小さくスズは噴き出す。それにアーサーは一度目を瞬かせて、また笑顔になった。

 雨の音は少しずつ遠ざかっていた。

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