第六話 三滝坂の怪異(2)
文楽社に寄り晩飯も食べてきたおかげで、気づけばそれなりに夜遅くの時間帯になっており、外は真っ暗だった。
人を家に上げるのはいつぶりだろうか。
三滝坂に住むようになってからは初めてかもしれない。
相手は友人や親しい人ではなく仕事相手なのだが、なんだか妙な気分でもあった。
(それにしても、怪奇現象を自分で経験し、それを小説に脚色するとはなぁ)
これまでの本もすべてそうなのだろうか。
だとしたら彼はかなりの数の怪奇現象を経験していることになる。
眉唾物の話だが、もしそれが本当だとしたらやっぱり椿さんはよほどの物好きだ。
一部の界隈からは熱狂的な人気があるとか言われているらしいし、本当なのかもしれない。
まあどっちにしろ、俺と椿さんは今回限りの仕事相手なのだからどうだっていいことだが。
「椿さん、お茶入りましたよ」
「ありがとうね。それと、はいこれ。俺の小説だよ。こっちは三滝坂の怪異について、新聞記事があったから切り抜いたやつ。驚いたでしょ」
「お、おお……。ありがとうこざいます」
湯呑みと引き換えに矢継ぎ早に渡されるものだから、椿さんの言う通りに素直に驚いてしまった。
「記事を読んでみて、俺の持ってる情報と君の体験に齟齬がないかを確認したい」
隠し持ってないでそれを先に出せ、とは思ったが受け取ってどれどれと読んでみる。
「これ、新聞にもなってたのか」
実業家高坂氏が云々と書かれた記事の下、読者からの投稿として『三滝坂の怪異』が取り上げられていたとは知らなかった。
切り抜きなのに関係無い記事まで切り抜いてくるところに椿さんの大雑把さが伺える。
とりあえず目を滑らせてみるが、なるほど。
おれが体験したことと違いはないが、どうやら人物名がコウイチだがヨウイチだがオウイチだがで迷っているらしい。
あとは、姿を見たという証言も。
声からして女性の幽霊だったが、それ以外にも青白い顔にずたぼろの長い黒髪、煤けて破けた着物などなど。
どれも共通していることは出現する時間なのでこの点は間違いなさそうだ。
「どう?」
「大体合ってる。おれの見たものと同じだと思いますよ」
「なら良かった。計画通りにやらせてもらうね」
その計画、おれは知らないんだが。
「それじゃあ、俺は少し寝るとするかな。晩飯代ぐらいは働かないとだからね。夜はまだまだ長いんだし、君も今のうちに休んでおきなよ」
「言われなくてもそうしますよ」
と言いつつも、椿さんはおれの布団の上でそのまま我が物顔で横になっている。
まるで自分の家のようなくつろぎっぷりにもはや咎める気なんて起きやしない。
しかし、休めと言われても精神の方はともかく特に体力的には疲れているわけでもなかった。
このまま無為に時間を過ごすのももったいないので、椿さんが持ってきてくれた彼の著作をどれどれと手に取ってみる。
題名は、『亡者の偏愛』。
「おぉ……」
作者があんな腑抜けた様子なのに、意外にもずいぶんと固い雰囲気じゃないか。
朝凪さんはおれにはあまり薦めたくなさそうだったからだろうか、余計に興味が湧いてきた。
ぺらりと頁を捲って読んでみる。
あらすじは怨霊に執着される少女の話というもので、とある村に住む少女が怨霊の見目の美しさにつられて拐かされるという所から始まる。
途中で正気に戻りなんとか逃げ帰るものの、その日から少女の身近な人間が次々と不審な死を目の前で遂げるように。
その様子が惨たらしいのなんので、鬼気迫る描写も相まって口に出すのもはばかられるぐらいだ。
焦りと後悔で次第に追い詰められていく少女の内面が事細かに描かれ、その焦燥感がよく伝わってくる。
拐かされた先で見た桃源郷のような景色と、宝玉のような瞳を持つ、男でありながら天女の如き美しさの怨霊。だがそれはまやかしで、実態は少女の魂を我がものにしようと狙う恐ろしいものだ。
怨霊の美しさと醜さは表裏一体で、それが分かっていながらも人外の力に抗えず、徐々に崩壊していく少女の精神と、迫り来る怨霊の執念深さが物語は進むに連れて色濃くなる。
なるほど確かに。朝凪さんの言っていた通り、怪奇・幻想・惨劇その全てが揃っている。
絵画を血塗れにしたとしても、美しさを穢すところまで含めて完成系に至るかのような作風だ。
おれもあまりこういったことに詳しい質ではないのだが、なかなか興味深いと感じられた。
まあそれはそれとして、最後は恐らく少女が自らの命を供物として捧げることで終わるのだろうなと思いつつ惨劇を読み進めていたのだが。
「……そろそろ来るな」
「えっ」
眠っていたはずの椿さんが急に起き上がるなりそう言うので驚いてしまった。
「あれ、ずいぶん集中して読んでくれてたんだ。どう、面白かった?」
「それなりには……じゃなくて、なんなんですか急に」
「だから、来るんだよ。怪異が」
それはつまり、三滝坂に現れる奴が来るということで。
椿さんはついさっきまでだらしなく寝ていたはずなのに、立ち上がってさっと身なりを整えると颯爽と部屋を出ていこうとする。
「俺たちも行こうか。準備はいいかな、小鞠くん」
「行くって、まさか」
嫌な予感がする。
「そうだよ。迎えに行くんだ」
やはり思った通りだった。
わざわざ怪異を自分から迎えに行こうと言うのか、この人は。
おれは慌てて椿さんの跡を追いアパートの外へ出る。
夜空の色はより濃くなり、おれが思っていたより時間が経っていたらしい。
外付けの階段をあまり足音を立てないように気をつけなが降りていけば、往来に突っ立っている椿さんがいた。
「小鞠くん、あれ」
椿さんの視線の先には、ぽつりと人影がひとつ。
乱れた黒髪に煤けた着物、胡乱な表情で彷徨うその姿は正しく。
「怪異か……!」
身構えるおれだったが、椿さんはおれの横を通り抜けてそのまま怪異に向かって行こうとする。
「ちょ、なにやってんだよ椿さんっ!」
恐れを知らないかのようなその勢いに、おれは呆気にとられそうになるも引き止めようとする。
しかし、椿さんは余裕綽々というかのように平然と怪異に近づき、おもむろに掌を差し出す。
……いや、違う。
椿さんの掌には、小さな鈴が乗せられていた。
「これより先は我が領域。従わぬと言うのなら己の力で打ち破るといい!」
動かしてもいないのに、鈴がチリンと音を立てる。
その音は反響するように幾重にも重なり、二つ三つに増えしんと静まった町を覆うように鳴り響いた。




