7. 公式記録との乖離
報告書は、規定通りの様式で提出された。
紙面の上部には日付と場所、任務名が記され、その下に結果欄がある。そこに書かれているのは、わずか二行だった。
「交戦なし。」
「被害なし。」
理由欄は空白のままだった。
だが、それは記入漏れとして扱われなかった。用紙は差し戻されず、訂正も求められない。空白は、そういう結果なのだと理解された。
王国側の担当官は、報告書に目を通し、静かにうなずく。
被害がない。兵も動かしていない。街道は安全だ。これ以上、確認する項目はない。むしろ「迅速かつ的確な対応」として処理することも可能だった。
結果は成果として分類される。
勇者は初任務を完了し、問題は起きなかった。その事実だけが重要だった。理由を深掘りする必要はない。深掘りすること自体が、余計な仕事を増やす。
教会にも写しが送られる。
司祭は目を落とし、祈祷の合間にそれを閉じる。コメントは添えられない。沈黙は否定でも肯定でもなく、単に選ばれた対応だった。
もし理由を書かせれば、問いが生まれる。
問いは解釈を呼び、解釈は予言文に触れる。触れれば、また文法の問題に戻らなければならない。
沈黙の方が、信仰を保つ。
こうして報告書は、何事もなく保管される。
棚に並び、索引に登録され、他の無数の書類と同じ扱いを受ける。
後年、歴史編纂者がこの資料を見つけたとき、彼はしばらくページをめくり返したという。
特別な言葉はない。数値もない。異常を示す印もない。
それでも彼は、欄外に小さく書き添えている。
――これを、最初の違和感と呼ぶべきかもしれない。
なぜ戦わなかったのか。
なぜ理由が書かれていないのか。
そして、なぜ誰もそれを問わなかったのか。
編纂者は答えを書かない。
書けるほどの材料が、この報告書にはないからだ。
ただ、後に続く数多くの「交戦なし」の記録を思えば、この一枚が、最初の形式だったことだけは確かだった。
出来事は起きなかった。
だが記録は、確かに残っている。
そしてその記録は、
世界が何かを見逃した瞬間を、静かに固定していた。




