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勇者は選ばれる存在ではない。 選ばれたことにされる存在である  作者: 南蛇井


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6. 小事件:戦闘の不成立

指定地は、地図に記された通りの場所だった。

街道から少し外れた林の縁で、視界は悪くなく、逃げ場も多い。魔物が出没すると報告されるには、あまりに都合のよい地形だった。


主人公が足を踏み入れると、気配はすぐに現れる。

枝が揺れ、低い唸り声が聞こえ、姿が見える。確かにモンスターだった。体格は大きいが、動きは慎重で、距離を保ってこちらを窺っている。


敵意は明確だった。

それは視線の向け方や、身体の重心の置き方から読み取れる。だが、攻撃には至らない。間合いの外に留まり、威嚇だけを繰り返している。


主人公は剣に手をかけない。

代わりに、一歩だけ前に出る。


彼は問いかける。

短い言葉だった。命令でも、挑発でもない。内容は、その場に居合わせた者以外には伝わらない種類の問いである。


モンスターは動きを止める。

唸り声が途切れ、耳がわずかに動く。理解したのかどうかは分からない。ただ、反応はあった。


主人公は続けて、もう一つ問いを置く。

それは相手を否定するものではなく、状況そのものを確認するような言葉だった。


沈黙が生まれる。

互いに、次に何をすべきかを探っている沈黙ではない。今、何が成立しているのかを測るための間だった。


モンスターは攻撃姿勢を解く。

完全に敵意を失ったわけではない。だが、踏み込む理由が見つからない、という様子で足を引く。


主人公も動かない。

剣を抜かなければならない条件が、ここには揃っていないことを確認している。


時間だけが過ぎる。

日差しがわずかに傾き、風向きが変わる。戦闘が始まるには、あまりにも遅すぎる時間帯になる。


やがてモンスターは後退する。

一度だけ振り返り、距離を保ったまま林の奥へ消えていく。追撃は行われない。


現場には、何も残らない。

死体も、傷跡も、勝利の証もない。


主人公はしばらくその場に立ち、状況をもう一度見渡す。

戦闘が起きなかったことを、失敗とも成功とも判断しない。


ただ、成立しなかった、と確認する。


後に提出された報告書には、簡潔な一文だけが記された。


「交戦なし。被害なし。」


理由は書かれていない。

だがその空白は、最初から用意されていたかのように、誰にも問われることはなかった。


この小さな出来事は、事件としては記録されない。

しかしここで初めて、戦いが起きるための条件が、言葉によって外された。


それに気づいた者は、まだいない。

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