5.誰も否定していない
玉座の間とは別の、小さな会議室だった。
公式記録には残らない場所で、夜の静けさがそのまま壁に染み込んでいる。
魔王は幹部数名を前に、卓に肘をついた。威圧のための姿勢ではない。思考のための沈黙が、先にあった。
「世界は――我を恐れているか」
問いは、宣告でも試験でもなかった。
事実確認に近い、平坦な声だった。
幹部たちは一瞬だけ視線を交わす。
即答できない問いではない。だが、どの言葉を選んでも、完全にはならないことを知っていた。
最初に口を開いたのは、戦務担当の幹部だった。
「否定はされておりません」
魔王は頷きも否定もしない。
次に、情報を扱う幹部が続ける。
「存在は認識されています。各勢力の文書に、貴方の名は記されています」
最後に、戦略を統括する者が言った。
「しかし……対処対象として扱われていないようです」
言葉は丁寧だった。
恐れも、忠誠も含まれている。嘘はなかった。
魔王はその三つの返答を、頭の中で並べる。
否定されていない。
存在は認識されている。
だが、対処されていない。
それは矛盾ではない。
むしろ、あまりに整合的だった。
敵として否定されない。
脅威として排除されない。
だから、戦争の理由が生まれない。
恐怖がなければ、対抗も生まれない。
対抗がなければ、英雄も定義されない。
魔王は、かつて幾度も見てきた流れを思い出す。
自分がいるだけで、世界は動いた。
だが今、その動きは始まらない。
「誰も、我を否定していない」
魔王は、そう呟いた。
それは安堵ではなかった。
「だが――誰も、我と戦おうとしていない」
幹部たちは沈黙した。反論は存在しない。
文書上、確かに敵対は成立していない。
否定も、拒絶も、宣戦もない。
だからこそ、戦争が成立しない。
会議室には、重い静けさが残った。
魔王軍は整っている。準備も万全だ。
それでも、動けない理由が、ここには確かに存在していた。




