5.止められない流行
再び、子どもたちの場である。
校庭、路地、寺子屋の縁側。
大人の視線が届くところでも、少し外れたところでも、
同じ言葉が使われるようになっていた。
「それ、言っちゃだめだ」
教師が注意する。
すると、別の子が囁くように繰り返す。
意味を確かめるでもなく、笑いながら。
「それって、誰が決めたの?」
禁止は効かなかった。
むしろ、形だけが強化される。
問いの内容は、もはや重要ではない。
理由を求める気配もない。
言葉は、疑問ではなくなっていた。
それは、間を止める合言葉になっていた。
誰かが命令する。
誰かが動こうとする。
そこで、一拍の沈黙が入る。
「それって、誰が決めたの?」
作業は止まる。
遊びは中断される。
会話は、次の言葉を失う。
答えは求められていない。
だが、否定もできない。
誰も嘘をついていない。
だから、押し切ることができない。
大人たちは、訂正しようとする。
「深い意味は考えなくていい」
「そんなことを言うのはやめなさい」
だが、その瞬間、
自分たちが何を前提に進めていたのか、
言葉にできないことに気づく。
子どもたちは、深刻ではない。
ただ、言葉が止める力を持つことを、
遊びの中で覚えてしまっただけだ。
世界は、依然として平穏だった。
犯罪は増えていない。
反乱も起きていない。
市場は開き、
祈りは続き、
軍は配置についたままだ。
それでも、
すべての進行が、わずかに遅れていく。
決断までに、
命令から行動までに、
必ず一拍の空白が生まれる。
それは記録に残らない。
数字にも現れない。
ただ、世界全体が、
息を吸ってから吐くまでの間を、
少し長く取るようになった。
歴史編纂者は、後にこう注釈する。
勇者が社会を変えたのではない。
社会が、自分たちの前提を、
子どもの口を借りて聞き返されただけである。
第四部は、
事件ではなく、速度の変化で終わる。
誰も止められず、
誰も否定できないまま、
問いの形だけが、世界に残った。




