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勇者は選ばれる存在ではない。 選ばれたことにされる存在である  作者: 南蛇井


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3.大人の違和感

家庭の食卓で、母親は匙を止めた。

子どもが席を立たない。


「食事が終わったら片づけなさい」

声は穏やかだった。命令というより、確認に近い。


子どもは頷く。

だが、動かない。


「どうしたの?」

「……それって、誰が決めたの?」


反抗ではない。

口調は柔らかく、視線も逸らされていない。

ただ、前提が置き直されただけだった。


母親は一瞬、言葉を探す。


「決まっていることだから」

そう答えながら、自分でも曖昧だと感じる。


決まっている。

だが、誰が、いつ、どこで決めたのか。


子どもは黙る。

否定もしない。

ただ、椅子に座ったままだ。


学校では、似た場面が繰り返される。

教師が黒板を指し、号令をかける。


「静かにしなさい」


教室は一応、静かになる。

だが、完全には従わない。


「昔からそうだった」

教師はそう言ってみる。


それは説明にならない。

自分でも分かっている。


子どもは、また黙る。

あるいは、同じ問いを返す。


「考えなくていい」

最後に出てくる言葉は、それだった。


だが、その瞬間、教師の胸に小さな穴が開く。

考えなくていい、と言えるほど、

自分は理解しているだろうか。


教会の指導室では、司祭が椅子に深く座り直す。

子どもは祈りを途中で止めていた。


「なぜ祈らない」

問いに対する答えは、やはり同じだった。


「それって、誰が決めたの?」


司祭は叱らなかった。

背教でも、反抗でもないことが分かっていたからだ。


祈りは義務だと、教えられてきた。

だが、それが誰の理解として共有されているのか、

即座に言葉にできなかった。


叱っても、

謝られても、

状況は進まない。


謝罪は受け取れる。

だが、次の行動に移れない。


大人たちは、怒りを感じなかった。

怒る理由が見つからなかったからだ。


代わりに、不安が広がる。


自分は、何を前提に指示を出していたのか。

それは本当に、共有されていたのか。


答えは出ない。

しかし、問いだけが残る。


この違和感は、声高に語られることはない。

家庭でも、学校でも、教会でも、

個人の戸惑いとして処理される。


だから、まだ問題にはならない。


ただ、確かに、

大人たちは初めて、

自分たちが「考えなくていい」と

信じてきた領域の広さを、

思い知らされ始めていた。

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