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勇者は選ばれる存在ではない。 選ばれたことにされる存在である  作者: 南蛇井


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第三部:記録の混乱 1.王国文書の増殖

王国中央文書院・戦務記録局では、紙の匂いが常に漂っていた。

この時期、その匂いは例年よりも濃かった。


前線や地方からの報告書が、途切れることなく運び込まれる。

数だけを見れば、戦時に近い量だった。

だが内容は、驚くほど穏やかである。


出動見送り。

交戦なし。

治安安定。


それらの文言が、報告書ごとに微妙な言い回しを変えながら、繰り返されている。

紙は増えるが、戦果欄は空白のままだった。


記録官たちは、黙々と集計を進める。

被害数、出動回数、負傷者数。

数字はすべて良好で、基準値を下回っている。


異常値は見当たらない。


「問題はないな」


誰かがそう言い、誰も反論しなかった。

異常があるなら、数字に現れるはずだ。

だが、現れていない。


原因分析欄だけが、最後まで埋まらない。


「治安が安定している理由は?」


その問いは、記入者の前で止まる。

討伐が行われていない。

抑止策が強化されたわけでもない。

新たな制度が始まった記録もない。


だが、被害は出ていない。


理由を書けないまま、欄は空白となる。

空白は違反ではない。

理由が不明であること自体は、規定に反しない。


やがて、月次報告の仮結論がまとめられる。


王国内治安は概ね安定している。

特筆すべき事象なし。


その文言は、過去の報告書とよく似ていた。

違いがあるとすれば、紙の量だけである。


記録官の一人が、積み上がった報告書の束を見て、ふと手を止める。

これほどの記録がありながら、書かれているのは「何も起きていない」という事実だけだ。


だが、その違和感は記録されない。

違和感を記す欄は、どの書式にも存在しなかった。


こうして、王国の文書は増えていく。

安定しているという結論を、

ますます厚い紙で裏付けながら。


後年、歴史編纂者はこの時期の戦務記録を指して、簡潔に記した。


この頃、王国はかつてないほど多くを記録した。

そして、かつてないほど少ないことしか理解していなかった。

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