2.保留される命令
王国前線の詰所は、常に忙しいようでいて、決定的な瞬間だけが静かだった。
地図は更新され、伝令は行き交い、命令書は滞りなく回覧される。だが、その命令が実行に移るかどうかは、別の問題だった。
小規模な魔物群の出現が報告されたのは、明け方である。
数は少なく、移動速度も遅い。放置すれば被害が出る可能性はあるが、即座に危機というほどでもない。
討伐命令は定型文で下った。
印章も正しく、命令権限にも不足はない。
兵士たちは、それを否定しなかった。
誰も反抗せず、命令違反の意思も見せない。
それでも、出動は行われなかった。
詰所責任者が理由を尋ねると、返ってくる言葉は揃っていないようで、同じ一点を指していた。
「討伐とは、何をもって完了とするのでしょうか」
「殲滅ですか。追い払うことですか」
「被害が出た場合、どこまでが許容範囲とされますか」
兵士たちは、条件を求めていた。
命令そのものではなく、命令が成立する枠組みを。
詰所責任者は苛立ちを覚えたが、彼らの態度を反抗と呼ぶことはできなかった。
誰も命令を拒否していない。
ただ、始めるための前提が共有されていないだけだった。
その場にいた勇者は、壁にもたれて話を聞いていた。
剣は腰に下げたまま、視線だけを詰所責任者に向ける。
やがて、彼は短く問いかけた。
「この命令が成功したと、
誰が判断しますか?」
詰所責任者は即答できなかった。
判断は上から下るものだと、漠然と思っていたからだ。
だが、誰が、どの時点で、何を基準に判断するのか。そこまでは定められていない。
命令は修正されなかった。
撤回もされなかった。
時間だけが過ぎた。
魔物群は、討伐されることもなく、別の方向へ移動していく。
数日後には散開し、自然に解散したと報告が入った。
結果として、被害は出なかった。
王国への報告書には、次の一文が記される。
出動見送り。
情勢変化により対応不要。
誰も虚偽を書いたわけではない。
状況は確かに変化し、対応は不要になった。
ただ、その間に誰も「討伐」を行っていないという事実だけが、記録から抜け落ちていた。
後年、歴史編纂者はこの詰所の記録を読み返し、簡単な注釈を付け加えている。
この命令は失敗したのではない。
最初から、完了条件を持っていなかった。




