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吸血姫Nullが人間に堕ちるまで  作者: 早乙女姫織


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第六話   夜の森に吹く初めての風

森の奥で、ヌルは魔物を斬った。風が剣を押し、火が刃を包み、土が足を支え、水が彼女の心を整えた。魔物は吠え、跳びかかり、牙を剥いた。けれど、ヌルの剣はそれを裂いた。魔物は崩れ、静かになった。その瞬間、ヌルは笑っていた。それは、誰にも見られない笑顔だった。

「……こんなに、身体が動くなんて」

彼女は剣を振り、空を見上げた。風が吹き、葉が揺れる。世界が、彼女の動きに応えているようだった。魔法を覚えたとき、彼女は「世界との対話」を知った。けれど今、彼女は「戦いとの対話」を始めていた。


森を抜けた先の谷で、ヌルは二体目の魔物と出会った。それは、蛇のような胴体に、羽のような鱗を持つ異形だった。地を這い、空を裂き、毒を吐いた。

ヌルは跳んだ。風魔法で軌道を補正し、火魔法で毒を焼き払う。土魔法で足場を作り、水魔法で視界を澄ませる。剣が鱗を裂き、拳が胴を打ち、魔物が悲鳴を上げる。ヌルは笑っていた。それは、喜びだった。自分の力が、世界に届いているという実感。魔物が崩れたあと、彼女はその亡骸を見つめた。

「……強かったね」

その言葉は、敬意だった。けれど、その敬意の中に、確かな快感が混じっていた。


山道では、群れで動く魔物に遭遇した。牙を持つ獣。爪を持つ影。ヌルは剣を抜き、魔法を展開した。風が群れを裂き、火が包囲を焼き、土が罠を作り、水が彼女の動きを滑らかにする。彼女は跳び、斬り、蹴り、避けた。そのすべてが、彼女の中で快感に変わっていた。

「もっと、動ける」

「もっと、斬れる」

「もっと、強くなれる」

魔物が倒れるたび、彼女の中に何かが満ちていった。それは、力への陶酔だった。彼女はそれを止めなかった。止める理由が、もうなかった。


その夜、ヌルは焚き火の前で剣を磨いていた。火の揺らぎが、彼女の瞳に映っていた。

魔物の血は、すでに乾いていたが、彼女の手はまだ戦いの余韻を覚えていた。

「……戦うのって、たのしい。」


森の奥、霧の深い谷で、ヌルは魔物と対峙していた。それは、今までに見たどの魔物よりも異様だった。六本の脚、鎧のような外殻、背中から伸びる棘のような触手。目はなく、代わりに全身が脈打つように動いていた。

「……これは、速い」

ヌルは剣を構え、風の流れを読む。魔物は音もなく地を這い、次の瞬間には彼女の背後にいた。反射的に跳ぶ。土魔法で足場を盛り上げ、空中へ逃れる。火の魔法で牽制の火球を放つ。けれど、詠唱が間に合わない。

「風よ――」

言葉を紡ぐ前に、魔物の棘が彼女の肩をかすめた。血が滲む。

痛みが、意識を研ぎ澄ませる。

(速い。言葉が、間に合わない)

ヌルは地に着地し、剣を構え直す。魔物は再び姿を消す。

風の流れが乱れる。気配が、背後から迫る。

(考えるより、感じる)

ヌルは目を閉じた。風の流れ。土の震え。空気の湿度。すべてが、彼女の皮膚に触れていた。

「……火よ」

声に出す前に、指先が動いた。意識が、魔法に触れた。詠唱の言葉が、頭の中で形になる前に、彼女の魔力が、世界に問いかけていた。指先に、熱が集まる。赤い光が灯る。火の魔法だった。けれど、詠唱はなかった。

「……無詠唱?」

驚く暇はなかった。魔物が再び現れ、突進してくる。ヌルは火の魔法を放つ。今度は、ただ指を弾くだけで、炎が走った。

(できる。言葉はいらない)

彼女は跳び、風を呼ぶ。詠唱なしに、風が身体を持ち上げる。

土が足元に盛り上がり、水が視界を澄ませる。すべてが、意識と感覚で繋がっていた。

魔法は、言葉ではなく、意志で動いていた。

「これが……本当の対話」

ヌルは剣を振る。風が刃を押し、火が軌道を焼き、土が着地を支え、水が呼吸を整える。

すべてが、無言のまま、彼女の中で繋がっていた。

魔物が吠える。けれど、もう遅い。ヌルは跳び、剣を振り下ろす。魔物の外殻が裂け、黒い体液が飛び散る。魔物は崩れ、動かなくなった。ヌルは剣を下ろし、深く息を吐いた。肩の傷が痛む。けれど、その痛みさえも、今は心地よかった。

「……再生したからいいものの、服が汚れてしまった。」

それは、力の進化ではなかった。それは、感覚の深化だった。魔法が、彼女の一部になった証だった。


沼地では、巨大な魔物が待っていた。甲殻に覆われた身体。

鋭い触手。毒の霧。ヌルは剣を構えた。魔法を展開する。

風で霧を裂き、火で甲殻を焼き、土で足場を固め、水で呼吸を整える。

戦いは長かった。何度も攻撃を受け、何度も避けた。けれど、彼女は笑っていた。

それは、戦いの中でしか得られない生の実感だった。最後の一撃。剣が魔物の心臓を貫く。魔物が崩れる。ヌルは膝をつき、息を吐いた。

「……最高だった」

その言葉は、誰にも聞かれなかった。

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