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吸血姫Nullが人間に堕ちるまで  作者: 早乙女姫織


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第四話  「最強になろう」それは気まぐれな革命

中庭の空は、今日も晴れていた。痛いくらいの快晴だが、吸血姫であるヌルに、太陽は関係なかった。世界との対話を覚えたヌルには、見え方が変わっていた。風の匂いが変わった。空気の密度が変わった。

魔法を覚えるのは、ただの暇つぶしだった。けれど、今は違う。魔法をもっと知りたい。いろいろな戦い方を知りたい。彼女は、もっと強くなりたいと思っていた。


「最強になろう」


吸血鬼とは、再生能力、魔力が異常に高い生命力のあふれた存在である。その代わり、血を飲まなければいけなかったり、太陽に弱いという弱点があるが、吸血姫であるヌルにはそれらがない。始祖の血が流れているからだ。しかし、かつての魔女狩りや吸血鬼狩りによって同族は減ってしまった。また、人間はそのような歴史を忘れて平和に過ごしている。ヌルはもう忘れられた存在だった。


ヌルは、魔術書を閉じた。もう、読む必要はなかった。風、火、土、水――四つの魔法は、すでに彼女の中にあった。今は、それを「使いこなす」段階だった。

風は、気配を読むために使った。中庭に立ち、目を閉じる。風の流れが、草の揺れが、鳥の羽ばたきが、すべて彼女の皮膚に触れるように伝わってくる。

「……そこ」

ヌルは目を開け、手を伸ばす。風が集まり、一本の枝を弾き飛ばした。それは、まるで見えない矢のようだった。


火は、集中力の訓練に使った。指先に灯をともす。それを消さずに、歩く。走る。跳ぶ。灯が揺れれば、心が乱れている証拠。ヌルは何度も失敗し、何度もやり直した。息がきれる。苦しい。でも、それ以上に楽しかった。


土は、足場を作るために使った。地面を盛り上げ、跳躍の支点にする。あるいは、敵の足元を崩す罠として。彼女は何度も転び、泥だらけになりながら、土の「重さ」と「支え方」を学んでいった。疲れきったヌルは中庭に大の字に寝転がった。


土魔法の精密さをあげるために動物の模型でも作るか。ゆっくりと起き上がるとヌルはまず、胴体を作った。土を丸め、少しずつ形を整える。背中の曲線、腹の膨らみ。次に、足を作る。

細く、けれどしっかりと支えるように。何度も崩れた。けれど、ヌルは焦らなかった。

土は、急かすことをしない。彼女の手を待ってくれる。

耳を作る。長く、柔らかく。風に揺れるような形を。


「……生きてるみたい」


目を作る。小さな窪みを指で押す。そこに、黒い石を埋め込む。それは、ただの飾りだった。けれど、ヌルはその目を見つめた。まるで、誰かが彼女を見ているようだった。


「……名前、つけようかな」


彼女は考える。けれど、名前が浮かばない。ヌルは土の動物を両手で持ち上げた。

重さは、思ったよりも軽かった。


「ラビちゃんで」


彼女はその動物を、石畳の隅にそっと置いた。風が吹き、耳が揺れた。

今度は、猫を作った。しなやかな胴体。丸い顔。尻尾は、少しだけ長く。彼女は猫の動きを思い出しながら、指を動かした。猫は、誰かの膝の上で眠っていた記憶を頼りにして。ヌルは猫の模型を並べ、兎の模型と向かい合わせにした。二つの土の動物が、まるで会話しているようだった。


「……まあまあ、悪くないかも。にゃん太郎。」


彼女はそう言って、微笑んだ。土の動物たちは、彼女の笑顔を見ていた。その日、ヌルは三体目の動物を作った。それは、翼のある小さな鳥だった。まだ飛べない。けれど、空を見ている。ヌルはその鳥に、空の色を思い浮かべながら、形を与えた。


「飛べなくても、空を見ていられるなら、それでいい。ぴよちゃん。」


彼女はそう言って、鳥を高い石の上に置いた。風が吹き、羽が揺れた。それは、まるで飛び立とうとしているようだった。空を飛びたい。その願いは、唐突だった。鳥の模型を作ったせいかもしれない。けれど、ヌルの中ではずっと眠っていた感情だった。地に縛られ、城に引き籠り、時間に囚われていた彼女にとって、空は「触れられない自由」の象徴だった。


中庭の空は、まだ高かった。雲はゆっくりと流れ、鳥が遠くで鳴いていた。ヌルは石畳の上に立ち、再び魔術書を開いた。

『初歩から学ぶ魔術基礎』――その最後の章に、空を飛ぶための術式が記されていた。

「風と土の融合。重力の緩和。意志の集中」

「空を飛ぶ魔法は、世界との深い対話を必要とする」

ヌルは小枝で魔法陣を描いた。円の中に風の印と土の印を重ねる。

それは、彼女が今まで覚えてきた魔法の集大成だった。

「風よ、支えて」

「土よ、離れて」

「重力よ、ほどけ」

詠唱は、彼女の声に溶けていった。けれど、何も起きなかった。

ヌルは眉をひそめる。もう一度、印を整え、詠唱を繰り返す。風の流れを感じながら、地面の重さを意識しながら。

「風よ、支えて」

「土よ、離れて」

「重力よ、ほどけ」

今度は、足元がわずかに浮いた。ほんの数センチ。けれど、ヌルは目を見開いた。


「……浮いた」


彼女は息を整え、もう一度詠唱を唱える。今度は、風の魔法を強め、土の魔法を静かにほどく。

「風よ、支えて」

「土よ、離れて」

「重力よ、ほどけ」

身体が、ふわりと持ち上がった。地面との接点が消え、彼女は空中に浮かんでいた。それは、まるで夢のようだった。ヌルは両腕を広げた。風が彼女の髪を揺らし、マントが空に舞った。彼女はゆっくりと上昇し、城の屋根を越えた。


「……高い」


空は、思っていたよりも広かった。雲は近く、風は冷たく、太陽は眩しかった。

けれど、彼女の胸は静かだった。


「飛べる。私は、飛べる」


ヌルは風の流れに身を任せた。魔法陣は、彼女の足元に残っていた。それが、彼女を支えていた。けれど、彼女は知っていた。この魔法は、永遠ではない。集中が途切れれば、重力は戻る。風が乱れれば、支えは崩れる。だからこそ、彼女は慎重に、丁寧に、空を歩いた。彼女は城の上空を旋回し、塔の先端を見下ろした。かつて、誰も登れなかった場所。今、彼女はその遥か上にいた。城の周りを一周するとヌルはゆっくりと降下した。風の魔法を弱め、土の魔法を呼び戻す。足元に、柔らかな土の支えが生まれる。彼女は石畳に着地した。膝が少し震えた。けれど、笑っていた。


「まあまあ、悪くないかも」


その夜、彼女は屋根の上に登った。魔法を使わず、自分の足で。空は、星で満ちていた。彼女は空を見上げ、静かに呟いた。


「次は、もっと遠くまで飛んでみよう」


それは、誰にも聞かれなかった。けれど、星が瞬いた。まるで、返事のように。


城の地下倉庫には、かつての騎士たちが使っていた武器が眠っていた。剣、槍、弓、斧、鎖。どれも錆びていたが、手入れをすれば使えた。ヌルは最初に、隅にあった木の剣を選んだ。理由はない。ただ、握ったときにしっくりきたから。


「……重い」

彼女は木の剣を振った。風を切る音が、腕に響く。魔法とは違う。これは、肉体の技術だった。ヌルは、ひとりで素振りを繰り返した。朝から夕方まで、何百回も。手のひらに豆ができ、潰れ、またできた。それでも、やめなかった。


「なにかに集中できるって素敵」


彼女はそう思った。振れば、重い。当たれば、痛い。それだけのことが、今の彼女には必要だった。


次に、片手剣を試した。重いが、速い。けれど、間合いが難しい。ヌルは何度も自分の足を切りそうになりながら、その「間合いの感覚」を覚えていった。


弓は、風の魔法と相性がよかった。矢の軌道を風で補正する。けれど、引き絞る腕がすぐに悲鳴を上げた。ヌルは、弓を置いた。


「……これは、向いてないかも」


彼女は笑った。向き不向きがあることを、初めて知った。それが、少しだけ嬉しかった。


武器を使うには、まず自分の身体を知ること。そう魔術書の余白に、誰かの手書きで書かれていた。ヌルは、素手での戦い方を学ぶことにした。誰にも教わらず、ただ自分の身体と向き合う。

まずは、立ち方。重心の置き方。次に、拳の握り方。腕の振り方。足の運び方。彼女は、鏡の前で何度も繰り返した。拳を突き出し、蹴りを放ち、回避の動きを練習する。

最初はぎこちなかった。けれど、魔法と同じだった。身体もまた、世界との対話だった。


ある日、ヌルは自分の影と戦った。夕暮れの中庭。長く伸びた影が、まるで敵のように見えた。彼女は構え、拳を突き出す。影もまた、拳を突き出す。蹴りを放つ。影もまた、蹴りを放つ。それは、孤独な戦いだった。ヌルは倒れ、起き上がり、また構えた。何度も、何度も。やがて、影が彼女の動きに遅れ始めた。それは、彼女の身体が「本物」になってきた証だった。

その夜、ヌルは風呂に浸かっていた。身体中が痛かった。けれど、それが心地よかった。

風は問いかけだった。

火は灯りだった。

土は形だった。

水は揺らぎだった。

剣は重さだった。

拳は意志だった。

そして、ヌルはそれらを、すべて覚えた。

退屈という名の獣は、もういなかった。

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