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吸血姫Nullが人間に堕ちるまで  作者: 早乙女姫織


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第三話   退屈という名の獣の倒し方

風が草を揺らし、鳥が遠くで鳴いている。ヌルは石畳の上に座り、膝に灰色の魔術書を広げていた。

『初歩から学ぶ魔術基礎』――素っ気ない表紙。

「魔法とは、世界との対話である」

その一文が、彼女の胸に残っていた。魔法陣の描き方。詠唱の基本。触媒の種類。

どれも、かつての彼女には不要だった。力でねじ伏せることができたから。

けれど今は違う。力は眠っている。ヌルは小枝を拾い、地面に円を描いた。

四方に印を刻み、風を呼ぶための詠唱を口にする。

「風よ、ここに」

声は小さかった。けれど、確かに世界に向けて放たれた。

……何も起きなかった。

ヌルは眉をひそめる。もう一度、印を整え、詠唱を繰り返す。落ち着いて、世界のことを考えながら。

「風よ、ここに」

今度は、ほんのわずかに、草が揺れた。風が吹いたのか、彼女の声が揺らしたのか。それは、わからなかった。けれど、ヌルは少しだけ笑った。

「……まあまあ、悪くないかも」


 彼女は本を閉じ、立ち上がる。風は、彼女の髪を揺らした。それは、魔法だったのかもしれない。あるいは、ただの風だったのかもしれない。今までは世界に命令をして望む形にしていた。それが吸血姫だからだ。しかし、その分、反動も大きかった。あまりの体の痛みに魔法を使うことを控えていたが、これは楽しいかもしれない。風魔法をずっと使い、いつの間にか日が暮れてしまった。


翌日も、彼女は中庭にいた。

今度は火の魔法。小さな灯を生む術式。石の上に指を置き、詠唱を唱える。

「灯よ、ここに」

指先が、かすかに温かくなる。けれど、火は生まれない。

ヌルは焦らない。もう一度、詠唱を整え、息を整える。

「灯よ、ここに」

今度は、指先に赤い光が灯った。ほんの一瞬。けれど、ちゃんと発動した。

ヌルは目を見開き、そして笑った。それは、誰にも見られない笑顔だった。

魔法を覚えるということは、世界に触れるということだった。そして、彼女は初めて、

「誰かと生きる」ために、世界に問いかけ始めた。

そして今、ヌルは土に向き合っていた。地面に膝をつき、指先で土をなぞる。

魔術書にはこう書かれていた。

「土の魔法は、形を与える魔法である」

「それは、世界に触れること。世界を少しだけ動かすこと」

ヌルは小さな円を描き、その中心に印を刻んだ。詠唱は短い。けれど、重みがあった。

「土よ、形を貸して」

彼女の声が、地面に染み込む。

しばらくして、土がわずかに盛り上がった。

小さな丘のように、指先の動きに応じて形を変える。

ヌルは目を細めた。ぼこぼことした、歪な形を浮かび上がらせる。

「……触れるって、こういうこと?」

彼女は土の形を崩し、もう一度詠唱を唱えた。

今度は、花の形を思い浮かべながら。土は、彼女の想像に応えるように、柔らかく広がった。

それは、完璧ではなかった。花びらの大きさはばらばらであり、不格好だった。

「これは、むずかしいな。」


次は、水だった。中庭の片隅に、古い噴水がある。水は濁っていたが、まだ流れていた。

ヌルは水面に手をかざす。魔術書にはこう書かれていた。

「水の魔法は、流れを読む魔法である」

「それは、感情に触れること。揺らぎを受け止めること」

彼女は詠唱を唱えた。

「水よ、揺らぎを教えて」

水面が、わずかに波打った。

彼女の手の動きに合わせて、波が広がる。

それは、彼女の心の揺れと呼応しているようだった。

ヌルは手を引き、水面を見つめた。

そこに映る自分の顔は、少しだけ柔らかかった。

「……まあまあ、悪くないかも」

水に火を合わせてお湯を出す。どちらも細かな制御が必要であり、時間がかかった。気が付いたら、辺りがびちゃびちゃになってしまった。足にも泥がついている。

「今日はこのくらいにして、早めのお風呂にするか。」


風は問いかけだった。

火は灯りだった。

土は形だった。

水は揺らぎだった。

ヌルはそれらを、少しずつ覚えていった。

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