第二十一話 残された剣、残された言葉
王都北区、かつてヌルが宿泊していた宿。
朝の光が、石造りの廊下に差し込んでいた。
ミデンは、いつものように裏庭へ向かっていた。
短剣を腰に、革のベストのまま。けれど、何かが違っていた。
裏庭には、誰もいなかった。
いつもなら、ヌルが先に来て、鎌の手入れをしているはずだった。
その姿が、どこにもなかった。
「……ヌルさん?」
返事はなかった。
風が、静かに草を揺らしていた。
ミデンは、蒼銀の環商会へ向かった。
受付の奥、帳簿をめくるレイヴの姿があった。
彼は、ミデンの顔を見るなり、眼鏡を外した。
「……来ると思っていたよ」
「ヌルさん、ここに来てませんか?」
レイヴは、静かに首を振った。
「昨日の朝、素材の取引を最後に、出ていった」
「……え?」
「君と狩りに出た翌日だ。素材を売って、何も言わずに」
ミデンは、言葉を失った。
「……そんな、何も……」
「彼女は、そういう人だ。記録されない者。痕跡だけを残して、風のように去る」
ミデンは、拳を握った。
「でも、僕は……何も聞いてない……」
レイヴは、帳簿を閉じた。
「それでも、君は“見ていた”だろう。彼女の背中を」
ミデンは、自分の宿の裏庭に戻っていた。
石畳の上に、昨日の足跡がかすかに残っていた。
ヌルが立っていた場所。
魔力を纏い、剣を振っていた場所。
彼は、短剣を抜いた。
魔力を、刃に纏わせる。
呼吸を整え、重心を沈める。
「……あなたがいなくても、僕はやります」
振り下ろす。
空気が裂ける。
けれど、刃は揺れていた。
魔力が不安定だった。
「……違う。こんなんじゃ、届かない」
彼は、何度も構え直した。
振る。
受ける。
跳ぶ。
斬る。
ヌルがいたときのように。
彼女の視線を思い出しながら。
その夜、ミデンは部屋の机に向かっていた。
紙に、今日の記録を書き留めていた。
『ヌルさんがいなくなった。でも、あなたに追いつくために、ここに残る。』
彼は、筆を置いた。
窓の外には、星が瞬いていた。
その光は、どこか遠くで旅を続ける誰かに届いているようだった。
翌朝。ミデンは、再び裏庭に立っていた。
短剣を構え、魔力を纏わせる。
呼吸を整え、重心を沈める。
「……あなたが見ていなくても、僕は振るいます」
斬撃。
空気が震える。
魔力が、刃に乗る。
「あなたが残したものは、僕の中にある」
彼は、静かに剣を収めた。
そして、空を見上げた。
「……うるさくしないから、また会いたいです」
風が、果物の香りを運んできた。
それは、どこか懐かしい匂いだった。




