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吸血姫Nullが人間に堕ちるまで 〜第二部制作中〜  作者: 早乙女姫織


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第十三話  鏡に映らぬ自分

今回の話は少し長いです。

王都を離れて数日、ヌルは小さな谷に足を踏み入れていた。風が静かに吹き、草が揺れていた。ここは、フィーナが地図に印をつけてくれた場所だった。

「薬草がよく育つ谷です。魔力の流れが穏やかで、土が柔らかいんです」

ヌルは、しゃがみ込んで地面を見つめた。葉の形。茎の色。香りの強さ。彼女は、魔法ではなく、指先で確かめていく。

「……セリナ。傷を癒す」

「ミルクルート。熱を下げる」

「これは……毒にもなる」

彼女は、小さな布袋に薬草を分けて入れていく。収納魔法は使わない。草の温度と湿度を感じながら、手で持つことに意味がある気がした。鳥の声が遠くで響く。風が、彼女の髪を揺らす。その静けさの中で、ヌルは少しだけ呼吸を深くした。

ヌルは、しゃがみ込み、セリナの葉を摘んだ。傷を癒す力を持つ草。

葉脈の走り方、茎の柔らかさ、香りの深さ――どれも、上質だった。

「……この谷は、まだ生きてる」

けれど、その静けさは、長くは続かなかった。

風が止んだ。

鳥の声が消えた。

空気が、重くなる。

ヌルは立ち上がった。

手のひらに魔力を集め、収納魔法から鎌を呼び出す。空間が揺れ、黒い刃が現れる。

それは、彼女の「守るための武器」だった。

「……来る」

茂みが揺れた。

現れたのは、四足の魔物だった。

毛皮は黒く、目は赤く光っていた。

けれど、何より異様だったのは――その背に絡みついた、枯れた蔓だった。

「薬草を……喰ってる?」

魔物の足元には、引きちぎられた薬草の残骸があった。

セリナ。ミルクルート。毒草の芽。すべてが、根こそぎ荒らされていた。

魔物が吠えた。

ヌルは、鎌を構えた。火が刃を包み、土が足元を支え、水が呼吸を整える。魔物が跳ぶ。ヌルは、横に跳び、鎌を振るう。

刃が空を裂き、魔物の肩をかすめる。けれど、肉はすぐに再生する。

「……再生型」

ヌルは、距離を取った。魔石の気配が、魔物の胸に集中している。

そこを断たなければ、終わらない。彼女は、魔力を集中させた。風魔法で軌道を補正し、火魔法で牽制の火球を放つ。魔物はそれを避け、爪を振るう。土が盛り上がり、彼女を守る。魔力を込める。

風、火、土、水――すべてを、刃に集める。

魔物が吠え、突進してくる。ヌルは、跳ぶ。風が背を押し、火が軌道を焼き、土が着地を支え、水が視界を澄ませる。

「――月下の刈り取り」

鎌が、魔物の胸を貫いた。魔力が爆ぜる。魔物が吠え、震え、崩れた。

森が、静かになった。風が戻り、草が揺れた。ヌルは、鎌を下ろし、膝をついた。肩で息をしながら、空を見上げた。

「……守れた」

彼女は、薬草の残骸を見つめた。いくつかは、もう使えなかった。

けれど、谷の奥には、まだ生きている草が残っていた。ヌルは、そっと立ち上がった。薬草の包みを取り出し、再び摘み始める。指先に、草の温度が伝わる。ヌルは、薬草の包みを収納魔法にしまった。紋章が光り、草の香りが魔力の中に溶けていく。

「……これで、誰かを癒せる」

谷を出て、森の縁に差しかかったときだった。小さな泣き声が、風に混じって聞こえた。

ヌルは足を止めた。声の方へ向かうと、木の根元に、膝を抱えた子どもがいた。

「……どうしたの?」

ヌルが声をかけると、子どもはびくりと肩を震わせた。けれど、彼女の姿を見て、少しだけ安心したようだった。

「転んじゃって……足が、痛い……」

ヌルはしゃがみ込み、子どもの足を見た。膝に擦り傷。少し赤く腫れている。彼女は、布袋からセリナの葉を取り出した。

「少し、冷たいかも」

葉を潰し、魔力を少しだけ流す。薬効が引き出され、香りが立つ。それを、そっと傷に当てる。子どもは、少しだけ顔をしかめた。けれど、すぐに呼吸が落ち着いた。

「……すごい。痛くなくなってきた」

ヌルは、包帯代わりの布を巻きながら、静かに答えた。

「薬草が、頑張ってるから」

手当てが終わると、子どもは立ち上がった。少しだけ足を引きずりながらも、歩けるようになっていた。

「ありがとう、お姉ちゃん」

ヌルは、何も言わなかった。

けれど、子どもが笑ったその瞬間、彼女の胸に何かが灯った。

「……気をつけて。森は、静かだけど、油断しないで」

子どもはうなずき、森の奥へと戻っていった。ヌルは、手のひらに残った薬草の香りを嗅いだ。それは、剣の柄とは違う感触だった。』

久しぶりに王都に戻った。石畳がしっとりと濡れ、街の輪郭が柔らかく滲んでいる。

ヌルは、通りを歩いていた。背には鎌。マントの内側には、収納魔法の紋章が淡く光っている。向かう先は、北区の商会〈蒼銀の環〉。魔石と魔導素材、薬草の取引を扱う王都でも有数の取引所。以前、魔石を売った場所だった。

今日は、魔石に加えて、魔物の素材と薬草も持ってきていた。

魔物の爪、牙、硬質な皮。そして、谷で摘んだセリナやミルクルート、毒にもなる草。

それらは、彼女が戦いと癒しの中で手に入れたものだった。

扉を開けると、銀の装飾が施された応接室に通された。変わらず、空気は魔力で満ちていた。机の向こうには、あの査定官がいた。

「おや……またお会いしましたね」

レイヴは、金の眼鏡を押し上げ、微笑んだ。

「今日は、どのようなご用件で?」

ヌルは、手のひらをかざした。収納魔法の紋章が光り、空間が揺れる。次の瞬間、机の上に魔石が並び、魔物の素材が現れ、薬草の包みがそっと置かれた。

レイヴの目が、わずかに見開かれた。

「……これはまた、見事な収穫ですね」

レイヴは、魔石をひとつ手に取った。

「この黒曜石のような質感……上級個体の核ですね」

「再生能力のある魔物でしょうか?」

ヌルはうなずいた。

「谷を荒らしていた。薬草を守るために、狩った」

レイヴは、魔物の爪を手に取り、魔力を流す。

「この爪、魔力を帯びていますね。加工すれば、対魔障壁を貫通する武器の素材になります」

次に、薬草の包みを開いた。

セリナの葉が、香りを放つ。

「……これは、見事なセリナ。保存状態も完璧だ。魔力の揺らぎがほとんどない」

彼は、しばらく黙っていた。

そして、帳簿を開き、数字を記し始めた。

「魔石、魔物素材、薬草――すべて合わせて、金貨六百七十枚。どうでしょう?」

「……受け取る」

レイヴはうなずき、金貨の詰まった箱を差し出した。

「また、何かあればいつでも。あなたのような方の素材は、価値があります」

ヌルは、金貨を収納魔法にしまった。

空間が揺れ、金の重みが魔力の中に吸い込まれていく。

「今回は少し、魔力の流れを詳しく見たいと思いまして」

ヌルは、静かにうなずいた。レイヴは、机の下から小さな鏡を取り出した。枠は銀で縁取られ、中央には魔法陣が刻まれていた。

「これは、魔力鑑定用の鏡です。姿を映すだけでなく、魔力の性質や流れを可視化するものです」

ヌルは、鏡の前に立った。光が揺れ、魔力が集まる。けれど――鏡には、何も映らなかった。彼女の姿が、そこにない。鎌も、マントも、髪も、目も。ただ、空間がわずかに揺れているだけだった。

レイヴは、言葉を失った。眼鏡の奥の瞳が、わずかに見開かれる。彼は、鏡を傾け、魔力を流し直す。けれど、何も変わらなかった。

「……これは……」

ヌルは、何も言わなかった。けれど、鏡の前に立ち続けた。その沈黙が、空気を重くする。レイヴは、静かに口を開いた。

「鏡に映らない者は、稀にいます」

「それは、魔力が過剰に内包されている。」

ヌルは、手のひらの紋章を見つめた。収納魔法。

「……」

レイヴは、彼女を見つめた。

「あなたの魔力は、外に向かって流れていない。すべてが、内側に沈んでいる」

「それは、強さでもあり、危うさでもあります」

鏡は、記録の魔具でもあった。魔術師たちは、鏡に映ることで、自分の魔力を記録し、研究に役立てていた。けれど、ヌルは、記録されなかった。

彼女の魔力は、鏡の魔法陣をすり抜け、空間に溶けていった。

「……あなたの魔力、やはり興味深いですね」

レイヴは、眼鏡の奥の瞳を細めた。

「鏡の反応。あれは、記録の魔術があなたを“認識できなかった”証拠です」

ヌルは、何も言わなかった。けれど、彼の言葉を否定もしなかった。

「研究所から、あなたの魔力の構造を調べたいという依頼が来ています」

「非公式に、ですが。あなたの魔力は、制度の外にある。だからこそ、価値がある」

レイヴは、机の引き出しから一枚の書類を取り出した。それは、王都の身分証明書の申請用紙だった。

「あなたがこの都市で正式に動くには、身分証が必要です」

「研究所の調査に協力していただけるなら、私の名で推薦状を出しましょう」

ヌルは、わずかに目を細めた。

「……見返りに、私の魔力を使う?」

「正確には、“記録させてほしい”のです」

「あなたの魔力は、既存の分類に収まらない。収納魔法の構造、魔力の流れ、そして“映らない”という現象」

「それらを、王都の魔術体系に記録すること。それが、私たちの望みです」

ヌルは、しばらく黙っていた。魔力を記録されるということは、存在を制度に組み込まれるということ。

「……条件がある」

レイヴは、少しだけ驚いたように眉を上げた。

「聞きましょう」

「魔力の構造は見せる。でも、記憶や感情には触れさせない」

「私の魔法は、“しまう”ことに意味がある。すべてを開くことは、できない」

レイヴは、静かにうなずいた。

「了解しました。あなたの魔力の“構造”だけを記録します」

「それ以上は、あなたの意志に委ねましょう」

ヌルは、手のひらをかざした。収納魔法の紋章が淡く光る。

「……なら、いい」

数日後、ヌルは研究所の地下にある魔力観測室にいた。魔法陣が床に刻まれ、空間が静かに揺れている。レイヴは、観測官たちに指示を出していた。

「魔力の流れを可視化するだけでいい。干渉はしないように」

「彼女は、“映らない”存在だ。無理に触れれば、魔力が崩れる」

ヌルは、魔法陣の中心に立った。風が、静かに吹いた。彼女の魔力が、空間に滲み出す観測鏡が、わずかに揺れた。そして、光の筋が、彼女の周囲に浮かび上がった。それは、螺旋のように絡み合い、中心へと収束していた。

「……これは……」

「魔力が“内向き”に折りたたまれている……」

「自己封印型の構造……いや、これは……」

レイヴは、静かに呟いた。

「しまう魔法が、魔力そのものの構造にまで及んでいる……」

調査が終わったあと、レイヴはヌルに一枚の書類を手渡した。それは、王都の身分証だった。名前の欄には、「ヌル」とだけ記されていた。

所属:〈蒼銀の環〉推薦。

備考:魔力特例対象者。

「これで、王都の施設を自由に使えます」

「研究所も、商会も、図書塔も。」

ヌルは、身分証を見つめた。それは、初めて「記録された自分」だった。

「……ありがとう」

商会を出ると、王都の陽が高く昇っていた。ヌルは、静かに歩き出した。鏡に映らぬ自分。それは、しまいすぎた記憶と、閉じすぎた感情の結果だった。けれど、今は少しだけ、取り出してみようと思った。誰かに見られること。誰かに届くこと。それが、強さの一部かもしれないと。

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