第十二話 異質な視線
王都の昼は、まばゆかった。石畳が陽光を反射し、塔の尖端が空を突き刺すようにそびえていた。ヌルは、通りの端を静かに歩いていた。背には鎌。手のひらには、収納魔法の紋章が淡く光っている。魔石を売ったことで、金貨を得た。今はその金で、必要なものを揃えるべきだった。
王都の南区にある中央市場は、色と香りに満ちていた。果実の山。香辛料の袋。布地の束。商人たちの声が飛び交い、客たちが笑いながら品を選んでいた。ヌルは、果物の露店の前で足を止めた。赤い果実が、陽に透けて輝いていた。彼女は、金貨を一枚取り出し、手に取った。
「それ、旅人さんが買うの?」
隣にいた少女が、目を丸くして言った。ヌルはうなずいた。
けれど、少女は少しだけ後ずさった。
「髪、白いんだ……」
「目も赤い……。」
ヌルは、何も言わなかった。けれど、周囲の視線が、彼女に集まっているのを感じた。
次に訪れたのは、布地を扱う店だった。旅用のマントを新調するためだった。店主は、彼女を見るなり、少しだけ眉をひそめた。
「……珍しい色ですね」
「その髪と目に合う布は、なかなか……」
ヌルは、濃紺の布を指さした。
「これでいい」
店主は、少しだけ戸惑った顔をした。けれど、金貨を見て、すぐに頷いた。
「……かしこまりました」
そのやり取りの間も、店の奥から視線を感じた。店員たちが、彼女を見ていた。好奇心と、警戒と、少しの恐れが混ざった目。
午後、ヌルは王都の中央塔へ向かった。そこは、魔術師たちの研究所でもあり、観光名所でもあった。塔の上からは、王都全体が見渡せる。受付で金貨を渡し、階段を登る。途中、観光客たちが彼女を見て、ささやいた。
「鎌を背負ってる……」
「魔術師じゃないよね?」
「あの紋章は?」
ヌルは、何も言わなかった。けれど、視線は背中に刺さるようだった。
塔の頂上。風がひゅうひゅう音を立てる。王都の屋根が広がっていた。
ヌルは、静かに空を見上げた。
「……広い」
その言葉は、風に溶けた。
王都の夕暮れは、金色に染まっていた。塔の影が長く伸び、石畳が冷え始める。
ヌルは、通りを歩いていた。魔石を売った金貨は、魔力の中にしまってある。けれど、今必要なのは、眠る場所だった。
最初に訪れたのは、南区の小さな宿だった。木の看板に「旅人歓迎」と書かれている。ヌルは扉を開け、受付に立つ中年の女性に声をかけた。
「部屋を、一つ。今夜から」
女性は、彼女の姿を見て、少しだけ眉をひそめた。
「……お一人ですか?」
ヌルはうなずいた。
「金貨は、あります」
女性は、ちらりと鎌に目をやった。
「申し訳ないけど、今夜は満室でして」
ヌルは、何も言わずに扉を閉めた。
次に訪れたのは、少し高級な宿だった。石造りの外壁。魔力灯の明かり。受付には、若い男性が立っていた。
「部屋を、一つ。静かな場所がいい」
男性は、彼女の顔を見て、少しだけ戸惑った。
「お名前は?」
「ヌル」
「……失礼ですが、身分証は?」
ヌルは、魔術書の一部を見せた。
けれど、男性は首を振った。
「申し訳ありません。王都では、身元の確認が必要でして」
「身分証はどうやってみんな手に入れるの?」
「商人組合、騎士団、住民証明書など、みなさまご自身にあった場所で手続きされております。住民証明書もないのですか?」
「そう。教えてくれてありがとう。」
ヌルは、魔術書をしまい、静かに立ち去った。背中に、視線が刺さるようだった。
日が沈みかけた頃、ヌルは路地裏の宿にたどり着いた。看板は古く、扉も軋んでいた。
けれど、灯りはともっていた。受付には、年配の男性が座っていた。彼は、ヌルの姿を見ても、表情を変えなかった。
「部屋を、一つ。今夜から」
「金貨は?」
ヌルは、収納魔法から一枚取り出した。空間が揺れ、金貨が手のひらに現れる。男性は、目を細めた。
「……収納魔法か。珍しいな」
「部屋はある?」
「ある。だが、騒がないこと。武器は部屋でしまっておくこと」
ヌルはうなずいた。
「……わかった」
部屋は狭く、窓も小さかった。けれど、鍵がかかり、布団が敷かれていた。ヌルは、鎌をそっと壁に立てかけた。収納魔法に、金貨と魔術書をしまう。風が、窓の隙間から吹き込んだ。冷たい。けれど、今夜は、歩かなくていい。
「……宿を取るだけで、こんなに」
彼女は、布団に横になった。誰にも頼らず、誰にも迎えられず。けれど、扉の向こうには、灯りがともっていた。
夜中、ヌルは宿の部屋で鎌を磨いていた。布地の新しいマントが、椅子にかかっていた。果物の香りが、窓辺に残っていた。彼女は、手のひらの紋章を見つめた。
収納魔法。誰にも教わらず、誰にも見せず、ただ自分のために使ってきた魔法。けれど、王都では、それが「異質」だった。




