第十一話 価値とは何か
王都の朝は、喧騒と光に満ちていた。石畳を馬車が走り、露店の呼び声が交差し、魔術師たちのローブが風に揺れる。ヌルは、通りの端を静かに歩いていた。背には鎌。マントの内側には、収納魔法の紋章が淡く光っている。魔石を売る。それが、王都に来た目的のひとつだった。魔物を倒すたびに集めてきた、黒く硬い石。それは、彼女の戦いの証であり、力の結晶だった。
王都の北区、石造りの建物が並ぶ一角に、その商会はあった。〈蒼銀の環〉――魔石と魔導具を扱う、王都でも有数の取引所。扉の前に立つと、衛兵が目を細めた。
「用件は?」
ヌルは、マントの裾を払って一歩前に出た。
「魔石の取引。査定をお願いしたい」
衛兵は彼女の背の鎌に一瞬目を留めたが、すぐに頷いた。
「案内します。武器はそのままで構いません」
ヌルは無言でうなずいた。それは、彼女にとって「信頼されていない」ことの証でもあった。けれど、今はそれでいいと思った。
案内されたのは、銀の装飾が施された応接室だった。壁には魔法陣が刻まれ、空気は魔力で満ちていた。机の向こうに、細身の男が座っていた。灰色の服に、金の眼鏡。その瞳は、ヌルの一挙手一投足を観察していた。
「ようこそ。私は査定官のレイヴと申します」
「魔石の取引をご希望とのことですね?」
ヌルはうなずいた。魔石は革袋の中に入れておいた。大小さまざまな魔石が、机の上に並ぶ。レイヴの目が細くなった。
「……これは、なかなかの量ですね」
「しかも、質も高い。これは……上級個体のものも混じっている」
ヌルは黙っていた。彼の言葉に、特に反応を返すつもりはなかった。けれど、彼の手の動きは見逃さなかった。魔石に触れる指先。魔力の流れ。
レイヴは、魔石をひとつひとつ丁寧に見ていった。光にかざし、魔力を流し、重さを測る。やがて、彼は帳簿を開き、数字を記し始めた。
「この量、この質であれば……」
「金貨で換算して、およそ三百五十枚。どうでしょう?」
ヌルは、少しだけ目を細めた。
「それが、正当な価格?」
レイヴは微笑んだ。
「もちろん。王都の相場に基づいた、誠実な査定です」
「ただ……」
「ただ?」
「これほどの魔石を、あなたのような若い方が集めたとは思えない」
「どこで、どうやって?」
ヌルは答えなかった。けれど、レイヴはそれ以上問わなかった。
「……失礼。詮索は無粋ですね」
レイヴは、机の下から小さな箱を取り出した。中には、金貨がぎっしりと詰まっていた。
「三百五十枚、確かに。ご確認を」
ヌルは、指先で一枚をつまんだ。重み。冷たさ。それは、魔石とは違う感触だった。けれど、「価値」だった。
「……受け取る」
レイヴはうなずいた。
「またのご利用をお待ちしております」
「あなたのような方が、王都に来てくださるのは、我々にとっても光栄です」
ヌルは、金貨を収納魔法にしまった。収納魔法の紋章が、淡く光る。空気が揺れた。魔力が集まり、空間が折りたたまれる。レイヴは、言葉を失った。眼鏡の奥の瞳が、わずかに見開かれる。彼は、魔石に手を伸ばすことも忘れ、ただその現象を見つめていた。
「……これは……」
ヌルは、何も言わなかった。それを、ただ「必要だから」しまっただけだった。けれど、レイヴにとって、それは「見たことのない魔法」だった。
「収納魔法……ですか?」
レイヴの声は、わずかに震えていた。
「空間魔術の応用……いや、これは……」
「詠唱もない。触媒もない。魔力の揺れも極端に少ない……」
彼は、魔石を手に取った。けれど、その手は、わずかに震えていた。
「これほど安定した収納魔法を、個人が使うとは……」
「しかも、魔石の魔力がまったく劣化していない……」
ヌルは、静かに答えた。レイヴは、彼女を見つめた。その瞳には、驚きと、少しの敬意が混ざっていた。
「……失礼しました。取り乱しました」
レイヴは、魔石をひとつずつ丁寧に見ていった。けれど、彼の手つきは、先ほどよりも慎重だった。まるで、ヌルの魔法に触れることを、少しだけ恐れているように。レイヴは帳簿を閉じた。
「金貨三百五十枚。正当な価格です」
「……ただ、個人的には、もっと払ってもいいと思っています」
ヌルは、少しだけ目を細めた。
「どうして?」
レイヴは、微笑んだ。
「あなたの魔法は、私の常識を揺るがしました」
「それだけで、価値がある」
ヌルは、何も言わなかった。
商会を出たあと、ヌルは広場の片隅に腰を下ろした。人々の声が遠くに聞こえる。けれど、彼女の周囲は静かだった。魔石を売った。それは、彼女が命を懸けて得たものだった。魔物と戦い、傷を負い、孤独の中で積み上げてきた証。それを、金に換えた。それは、必要なことだった。けれど、どこかで「何かを手放した」気がしていた。
「……これが、価値なの?」
彼女は、手のひらの紋章を見つめた。
「……次は、何を得る?」
彼女は歩き出した。金貨の重みを胸に、けれど、それ以上のものを探すように。




