第一話 永遠の午後、時計の針は眠ったまま
初めて長編を書きます。よろしくお願いします。
その城にはもう人はいない。
しかし、柔らかく温かい午後の光は、城の窓辺に静かに降りていた。
薄紅色のカーテンが風に揺れ、床に落ちる影が、まるで時間の残像のように伸びていく。
「うーん」と伸びをする影がひとつ。
その部屋に、吸血姫ヌルはいた。
ごろりと、ソファの上に横たわっていた。片足は背もたれに乗せ、もう片方は床に垂れている。姿勢などどうでもいい。誰も見ていないし、見られたいとも思わない。
真っ白な髪が絹のように流れ、ルビーの瞳は天井の模様をぼんやりと追っていた。
「……暇」
その一言すら、口にするのが面倒だった。
天井の模様は、何百回も見たはずなのに、今日もまた違って見える。
退屈が幻覚を生むのか、それとも時間が歪んでいるのか。
近くのテーブルには、読みかけの本が積まれている。どれも途中で飽きた。血の香りが染みついた古いグラスも、もう何日も触れていない。
ヌルはソファからずるりと滑り落ち、床に寝転がる。冷たい石の感触が背中に広がるが、それすらも刺激にはならない。
「世界って、こんなに動いてるのに、なんで私は止まってるんだろう」
誰に向けたでもない問い。時計の針は、壁の向こうで眠ったまま。光だけが、彼女の白い肌を淡く照らしていた。部屋の中には、静寂しかなかった。外の世界では、鳥が鳴き、風が木々を揺らしているのだろう。人間たちは忙しく働き、笑い、泣いているのだろう。
けれどヌルには関係がない。彼女は吸血姫。永遠に生きる存在。
「退屈って、死ぬよりつらいかも」
そう思った瞬間、ヌルはくすりと笑った。死ぬことができない者が、死を羨むなんて、滑稽だ。人間は不老不死を羨むが、実際に不老不死になったら発狂するだろう。自分がどれぐらい生きたか。数を数えるのが面倒で自分の年齢すらわからない。彼女は仰向けのまま、腕を伸ばして天井を指差す。指先が触れるはずもない模様に、意味もなくなぞるような動きをする。
「久しぶりに家の整理整頓でもするか」
ヌルは起き上がる。ゆっくりと、まるで眠りから覚めるように。
彼女は立ち上がり、部屋の隅に置かれた古い小物入れを開けた。鍵がたくさん入っている。衣装入れから、汚れてもよさそうな服を探した。
「これ、まだ使えるかな」
マントを羽織り、鏡の前に立つ。鏡に映る自分の姿は、変わらない。真っ白な髪、血の気のない肌、ルビーの瞳。けれど、瞳の奥に、ほんの少しだけ光が宿っていた。
ヌルは部屋を出る。外の世界は、まぶしかった。午後の光が、彼女の背を押す。永遠に続くと思われた静寂が、ほんの少しだけ、軋んだ。




