第八話〝嘱託捜査官〟
「キョゼの身柄をあなたたちに託せば、この先彼に『自由』は訪れない。兵器として利用されるか、またカプセルの中に封じられるか。そのどちらかだ。僕はそれが許せない。生命は生命らしく扱われるべきなんだ。だから僕は……」
あなたたちを、拒絶する。
沈黙、沈黙、ただただ沈黙。一対一対一の戦況は依然として続いている。この中の誰かが一つでも攻撃的な行動を取れば、この均衡はたちまち崩壊する。第三者がこの場に現れても同じだ。そんな危うい空間に、僕らは存在しているのだ。
いったい何分経っただろうか。いいや、もしかすると十数秒しか経っていないのかもしれない。まずいな。緊張で他の感覚が鈍っている。そもそもこの窮地を脱せたとして、僕はどう行動するのが正解なんだ? 何をすればキョゼの『自由』を守れるんだ?
そんなことを考えていると、僕を斬る気まんまんだった草彅が、
「なーんだ、そんなことか」
と言って刀を握ったまま腕をだらんと下に垂らした。僕は、酷く狼狽した。
「ははは、モナドとくっついた人間でも表情は変わるんだな。よかったよかった。ちゃんと感情があるらしい。理性もあるらしい。ほら係長、説明してやりなよ」
「ええ、そうですね」
佐々城は肩の筋肉を緩めて僕に一歩歩み寄った。「まずは順序を違えたことをお詫びします」
申し訳ありませんでした、と佐々城は気を付けをして頭を下げた。僕の動揺はさらに加速する。さすがの草彅もこの展開を予想してなかったらしく、目を丸くして上司の丸まった背中を見ていた。口を挟む余裕もなく、佐々城は次の言葉を紡ぐ。
「先に我々の考えを提示するべきでした。その上で『拒絶のモナド』に……、いえ、キョゼくんに会わせるべきだった。私は、順序を間違えた」
「い、いや、僕は……」
「そーだな、確かにこの状況を作りだしたのは私らだ。すまんな、ショウ」
カラクリ刀はいつの間にか鉄板に戻っていた。草彅はそれを尻ポケットに戻すついでに、ペコっと頭を下げた。急に慣れ慣れしくなったけど、そこは突っ込まないでおこう。
体をむくりと起こして佐々城は続きを話す。
「そしてこれから私は、また君に謝らなければなりません。なぜならこれから提示する我々の考えは、君に利益をもたらすものではないからです。デメリットしかない危険な提案だからです」
「それは、いったい……」
「はい、単刀直入に言います。君には捜査官になってもらいたい」
「……はい?」
言葉は聞き取れた。一言一句漏れなく聞き取れた。でも理解が追い付かない。追い付いてくれない。佐々城の言ったことが演繹的すぎたのだろうか。それとも演繹を構築するその原理が、僕の常識を超えていたからだろうか。とにもかくにも、意味が、分からない。
「捜査官? それはつまり、警察官になれ、と言うことですか」
「はい。ですが警察学校に入れ、というわけではありません。超法規的な段階を踏んで新設された〝嘱託捜査官〟という役職に就いてほしいのです」
「…………」
「草彅さんが話したかもしれませんが、私たち警視庁公安部特殊対策課第二係はモナドに関する事件を捜査します。そこには、モナドを管理していた施設を襲撃したテロ組織の捜査も含まれている。そしてそのテロ組織は十体のうち五体のモナドを略奪しました」
「えっ」
キョゼの記憶には、そんな情報はなかった。施設襲撃時の記憶は割れたカプセルが這い出て、燃え盛る施設内を逃げ回っているものだけだ。ということは、『記憶の同期』は不完全かもしれないわけで……。本題から離れかけた思考を、僕は無理矢理引き戻す。
「つまり、僕とキョゼには対テロ組織のための戦力になってほしい、ということですね」
佐々城は細長い顔を前に倒した。
「それだけではありません。もちろん組織との交戦は避けられませんが、実を言うと施設から脱走したモナドはキョゼくんだけではない。他に二体いるのです。我々はその捜索もしなければならない」
その二体のモナドがキョゼみたいに友好的とは限らない。悪意ある人間と手を組んで世間を脅かすかもしれない。その場合戦う必要がある。けれどモナドと一体化した人間は、生身の人間で歯が立つ相手ではない。必然的に、それを制圧できるのは僕とキョゼのコンビだけである。佐々城は、後ろめたそうにそう説明した。
「島崎君がこの提案を受け入れた場合、酷な話ですが、事態が落ち着くまで学校への登校を禁じさせてもらいます。寮からも退居しなければなりなせん。その後はこちらが用意したセーフハウスに住んでもらうことになります。ほんとうに酷な話ですが、これは政府側の意向なので覆すことはできません」
「……。質問したいことが、一つ。この提案を拒んだ場合、警視総監が言ったように、僕は少年院に送られられますか。政府の人間に監視されながら、不自由な毎日を過ごさないといけませんか」
「……はい」
忌憚なく、そう言われた。それは誠心と誠意が詰め込まれた正義の返答でもあった。
まっすぐな佐々城の眼差しに、僕は答えざるを得なかった。キョゼとの一体化を解き、生身の肉体に回帰する。怪物は消え去り、そこにはただの人が残った。
床に落ちたキョゼを抱きかかえ、僕は問いかける。「ねえキョゼ。君は、他のモナドと戦える?」
キョゼは厭世的な笑みを浮かべて、しょうがねぇなあ、と肯定した。
それならもう、迷いはない。僕はキョゼを床に降ろし、佐々城のほうに向きなおる。
「佐々城係長」
「はい」
「僕は、地獄を生きる覚悟ができています。キョゼも仲間と戦う覚悟ができている。だから僕らは、あなたたちと一緒に戦います。あなたたちの仲間になって、モナドの脅威を排除します。それがたぶん……」
僕に課された使命だから。
「あ……ああ……!!」
佐々城は崩れ落ちるように床に手を突いた。目尻に小さな水滴を浮かべ、一回りも二回りも年が離れているだろう僕に対して、全霊を籠めて平伏した。そして叫ぶようにこう言った。
「これは……、大人の不始末です。地位と権力に塗れた、汚い大人の不始末です。国がちゃんとしていなかったから、モナドは外に放たれた。あまつさえその尻拭いを子供にさせるなんて、こんな不条理が、この世に……!」
上司の激情に耐えかねた草彅は、そっと駆け寄り上司の背中に右手を置いた。左手は肩に添えてやり、黙ったままその場を見守った。
ややあって佐々城はすみません、と言って立ち直り、今度は正座になって僕を見据える。
「なにせ生物としての格が違う。君たち二人を守ることは、私にはできません。……けれど、ともに命を張る覚悟はあります。この事件の果てに虚無が待っていたとしても、この身を砕く覚悟があります。だから……どうか……」
馬鹿な大人たちのために、その力を貸してください。
佐々城は……、いや、係長は、そう言った。僕は、この人に敵意を向けてしまったことを、過去の自分を殴りたいくらい後悔した。