第四話 地獄
うっすらと、景色が現れた。
ネジやらガラスの破片やらが散らばった床。おそらく兵器を製造していたであろう巨大な機械。むき出しになった天井の鉄骨の向こうには朱に染まった空が見える。ここは、ここは……。
細かった視界が、縦に横にだんだんと拡張されてゆく。それに伴い、僕はやっと自分の状況を理解することができた。
ここはどこかの廃工場だ。そして僕は錆びた柱に体を括りつけられている。ということは、あの河川敷から拉致された、ということだろうか。
「おお、起きたか。悪かったなあ、坊主。急に襲ったりしてよお」
そう話しかけてきたのは、僕の頭をパイプでぶん殴ったあの大男だ。首のチェーンネックレスをじゃらじゃら鳴らしながらこちらに近づいてきた。
顔を傾け、大男がやってきた方向を見てみる。バンダナ、ゴーグル、竜の入れ墨。自分たちのいかつさを見せつける一種のアート。大男の仲間と思われる五人ほどの男たちが、何かを中心にしてたむろしているのが確認できる。
僕はその何かにピントを合わせる。野犬を捕まえる捕獲機のような鉄の箱だ。中では、白いボールのようなものが、がしゃがしゃと音を立てながら跳ねている。
間違いない。モナドだ。つい先ほど出会い、そして別れた『拒絶のモナド』だ。
僕と一緒に連れ去られたのか? なぜ? なんのために?
思考を巡らせている間に大男は僕の目の前にしゃがみ込み、唇の端を妖しく吊り上げて笑った。
「百二十万、六十万、九万五千……。なあ坊主、この数字はなんだと思う?」
「……。知り、ません」
「はは。そうだろうな。いいぜ教えてやる。これは『価格』だ。十代男の腎臓、両目、片方の睾丸の『価格』……。ダークウェブじゃあ、当たり前に取引されてるんだぜ?」
息をするのを忘れるくらい、戦慄した。つまるところ、僕からそれらを摘出する、と言っているのだ。そんなもの、恐怖以外の感情を感じないわけがない! 生きながら殺されるようなものじゃないか!
「なん、で……」
「おお、可哀想に。まともに声が出ないのか。ふふふ、『なんで』かって? 決まってるさ。お前が偶然あの場にいたから、だ。俺は〝あるお方〟にモナドを献上するため、仲間とともに東京中を探し回った。そして、本日2112年9月3日! 俺たちは多摩川河川敷にてモナドを発見した! それとともに、お前というちょうどいい金の種も発見した! そんでもってお前たちは、人目のつきにくい橋の下にいた。これでもう……分かるだろ?」
「そん、な」
そんな理不尽な理由で、僕は死ななくちゃいけないのか。十五年という短い生涯を終えなくちゃいけないのか。そんなの、そんなの……
「違うじゃないか」
「あ?」
大男は呆け気味に首を傾げた。僕はもう、我慢の限界だった。
「ちょっとは考えてみろよ。踏みにじられる側の心情を。奪われる側の感情を! いい大人だろ。理解できなはずないだろ? どうして平気な顔して人を殺せる……。どうして人の幸せを壊せるんだ。そうだ、そうだよ。お前みたいな大人ばっかりだから……」
脳裡に映し出されたのは、母と訪れた『戦没者慰安局』なる政府の施設。そしてその一室に保管された、父親の頭蓋骨の一部……。
僕は、決意を持って口に出す。
「戦争が、起こるんだ」
大男はもちろん、奥のほうにいる仲間の悪党どもも僕を仰視していた。沈黙、沈黙、ただただ沈黙。大男は怒りを覚え、怒号を吐くために大きく息を吸った。
まさに、その瞬間。
「あはは! よく言ったなあ!」
キーの高い、子供のような声。ああ! あのモナドの声だ!
男たちはいっせいに声のする方向に体を向ける。だが、モナドの反射神経の方が優れていた。モナドは男たちが振り向いた瞬間、持ち前の跳躍力で脇腹なり股間なりに体当たりしながらその場を切り抜けたのだ。
あとで聞いたことだけど、彼はこのとき檻を噛み砕いてそこから脱出したらしい。僕が啖呵を切ったことで敵の視線が逸れたからできたことだそうだ。まあ、今は関係ないことだったかな。
猛進、猛進、猪突猛進。白い球体は怒涛の勢いで僕に向かって跳ねてくる。壁のように突っ立っている大男にさえ、モナドは物怖じ一つしない。ぴょん、と空中に大きく跳ね上がり、大男の顔面に全体重を乗っけた一撃をお見舞いした。
「オラオラオラァ!」
モナドは止まらない。素早く僕の背中に回り、縛っていた紐を噛みちぎってくれた。解放された僕は身の自由を体感する余裕もなく、モナドを抱えて廃工場の奥へ逃げる。
「ねえ君、やっぱり名前をつけてもらうべきだよ」
「しつこいなあ。おれには『拒絶……」
「それは聞いた! でも今のままだと、僕の独白がやりにくいんだ。君、僕の中でなんて呼ばれてるか知らないだろ? 『モナド』とか『彼』だよ、今のところは」
「えー、『彼』はないだろ、『彼』は。おれ、竿どころか玉すら持ってないんだぜ?」
「でしょ? だから勝手に名付けてやる。君は今の名前、好き?」
そりゃまあ、おれの個性だから、と返答される。
「じゃあ〝キョゼ〟。いまこの瞬間から君は〝キョゼ〟だ。いいね?」
大昔のアニメ映画がちらついたけど、そんなの気にしちゃいられない。問題は背後から迫る悪党たちだ。各々が物騒な武器を構えて僕たちを潰そうと息巻いている。
「さっそくだけど、キョゼ。あれだけ勢いよく出てきた君のことだ。この場を攻略できる方法が、なにかあるんだよね」
「あるよ。でもその前に、お前にはやるべきことが二つある」
「何と何?」
「一つはお前のフルネームを教えること。もう一つは地獄を生きる覚悟を持つこと」
ははは。身構えて損をした。なんだ、そんなことでいいのか。
明確な意思のもと、僕は答える。
「僕の名前は島崎ショウ。地獄ならとっくに生きてきた」
キョゼの大きな口がにんまりと笑った。つられて僕もニィッと笑った。