第三話『拒絶のモナド』
「ようするに君は〝モナド〟っていう生物で」
「うんうん」
「戦時中、日本政府が秘密裏に製造した『超科学生命体』」
「そのとおり」
「でも戦地に投入される前に戦争が終わってしまった」
「そうそう」
「それから十年くらい、とある施設に保管されていたけれど」
「いいぞお、その調子だ」
「五ヶ月前、施設が何者かに襲撃され、君はどさくさに紛れてそこから脱走した」
「大正解‼ そんなお前にこのゲロ袋を進呈しよう」
さすがにそれはお断りだ。さあさあ、と目で訴えられたが、僕は無視した。
「じゃあ、君のことは〝モナド〟って呼べばいいの?」
「うーん、それはあんまりいい気がしないな。おれたちモナドは全部で十体いるんだ。そして十体にそれぞれ名前がつけてある。だからおれのホントの名前は『拒絶のモナド』って言うんだ」
拒絶の、モナド。めちゃくちゃなくらい記号的な名前だ。犬に『優しい犬』とか『怖い犬』って名付けるのと同じことじゃないか。それは、とてつもなく可哀想なことだと思う。……そうだ!
「名前、つけてあげようか」
我ながら名案だと思った。ウチは一人親の世帯だったから、生き物を飼育する金銭的な余裕がなかった。だから一度でいいから、こういう友好的な生き物に対して名前をつけてみたかったのだ。端的に言うなら、この行動は僕のエゴだ。
彼(仮)はうーんと、おそらく存在しないだろう首を傾げると、「いや、お断りするよ」と僕の目を見て言ってきた。
「あ、ごめん。おこがましかったかな」
「いや、そうじゃない。おれはさ、逃げなきゃいけないんだ」
「逃げる?」
「そう。さっきも言っただろ?『施設から脱走してきた』って。その施設の関係者かは知らないけど、おれを追っている人間がいる。まあ極論言うならおれは『兵器』だからな。それが野放しになってちゃあ、お偉いさんも黙っちゃないない。おれをとっ捕まえて、また狭いカプセルの中に閉じ込めるつもりなんだ。
でもそれは嫌だ。せっかく外に出られたんだ。自由になったんだ。逃げ切れる保証はないけど、これ以上窮屈な思いはしたくないんだ。だから、おれは逃げる。名前はいらない」
「そう、なんだ」
彼の言語能力の高さに、僕はいまさら気がついた。今もこうして、自らの意思を明確な論理とともに伝えているのだ。そしてその崇高にも思える目標を前に僕は圧倒されてしまい、しばらくの間声の出し方を忘れてしまった。
彼はふん、と鼻息を外に出す。
「と、いうわけだ。じゃあな! このことは誰にも言うなよ~~」
「あ、ちょっと!」
引き留めた甲斐もなく、彼はその丸っこいボディを全力で上下させながら、向こうの草むらに消えていった。
なんだかボールが跳ねてるみたいだなぁ、とか思っているうちに、彼の姿はだんだん遠のいていき……。ついには僕の視界から消えてしまった。
はあ、とため息が出た。ほんの数分の出来事だったけれど、僕の胸の内はしょっぱい寂寥感でいっぱいになってしまった。なんだか、大切な家族がどこかに行ってしまったような、そんな感覚……。
いやいや、なにを言っているんだ、僕は。妄想は妄想のままにしておけよ。彼は彼の人生……いや、『モナド生』を歩むんだ。ぺーぺーの学生が突っ込んでいい事象じゃない。僕はいまから現実に戻って、なんでもない日常を過ごすんだ。何の変哲もない、ただの日常を。
「さ、帰ろうかな」
心機一転。このことは奇妙な思い出として、脳ミソに残しておこうと決意した。そのときだった。
「ねえ、君ィ。あのモナドと、どーゆー関係?」
野太い、男の声がした。
鼓動が暴走し始めるのとほぼ同じタイミングで、僕は背後を振り向く。
僕の双眸がかろうじて捉えたのは、目の大きいネックレスチェーンを首に巻いた大男が、片手に持った細いパイプを今にも振り下ろそうとしている姿だった。
◇◇◇
草彅サヤカは覆面パトカーの助手席でぶーたれていた。ついさっき、警視庁のトップに怒られたからだ。
つぎ独断専行したら、ただじゃ済まない、とも言われた。怒られているにも関わらず、その場で屁をこいてしまったから、もっと怒られた。とんだとばっちりだ。アンタも会議中にすかしっぺをしたことくらいあるだろう、と言ってやりたかったが我慢した。だって私は大人だもん。二十歳のレディだもん。そのくらいの礼節はわきまえている。
「いやいや、人前でオナラした人間が礼節うんぬんを語る資格ないでしょ」
運転席の夏廻ソウマはさらりと言ってのけた。
爽やかな顔しているクセに、毒を吐くときは流れるように吐きやがる。よく言えば裏表がないのだが、悪く言えば遠慮がなさすぎる。そんな人でも一応『先輩』だから仲良くやらなきゃいけない。仕事だから彼の運転する車の助手席に乗らなくちゃならない。
社会の厳しさと理不尽さに耐えられず、草彅は顔をしかめながらため息を吐いた。
「先輩ってへーきで女の人殴ってそう」
「あはは。今からドリフト走行されたいのかな?」
ほら来た。笑顔と脅迫の同時攻撃。草彅も負けじと言い返す。
「じゃあ、右に傾きながらで頼みますわ」
「なんで?」
「私の吐いたゲロが自動的に先輩にかかる。はい、私ノーベル物理学賞受賞。勝ち頂きました、対戦ありがとうございましたー」
こりゃかなわないな、と夏廻は諦め半分に言った。どうやら彼は論戦を放棄したようである。チェッ、面白くねぇな。草彅は背もたれを倒して天井を仰いだ。
「こーら。勤務中だよ、ナギちゃん。ちゃんと前を向いてなさい」
「はん! 五ヶ月も逃げてる小動物をただのパトロールで見つけられたら、ツチノコだって見つかってるぜ。こんなのやるだけ無駄だよ。それなら関連組織を洗ったほうがまだマシだ。『笠羽一派』とか特に……」
ピロン、と通知音が鳴ってやっと草彅は口を噤んだ。ポケットを探ってスマホを取り出す。通知は同じ職場の別の先輩からだった。
「モモさんからだ。えー、なになに……。防カメの映像? 数分前? ふむふむふむ。……え、マジか」
「どうしたの?」
「やっぱり時代はメカだよ、メカ。テクノロジーでもあるワケだ。眩しいのは嫌いだけど、文明の利器はふんだんに使うべきだね」
「だから、モモさんはなんて……」
「モナドが一体見つかったよ。近くの高校に通う少年と、多摩川の河川敷で接触したらしい。そしてその後……」
メッセージの内容を伝え終わるのよりも早くに、草彅は天井のスイッチを押して赤色灯を展開・点灯させる。そして夏廻に断りも入れずに、運転席側にある足踏み式のサイレンスイッチを手で押し込んだ。ウーンとけたたましい音が周囲に鳴り響く。
草彅は一拍空けてから告げた。
「その後、少年共々何者かに拉致されたらしい」